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第5話 直らなくても、ここにいていい

王都へ向かう馬車で、レオン様は窓側に座った。

 私とロザさんは、反対側。

 サイラスさんは、御者台の隣だった。

 三十一人の名簿と、ほどいた糸の標本は、別々の箱に入れた。


 私は、コートの袖口を見ていた。

 灰色の糸を辿ると、一度だけ青い糸を深く噛んでいる場所がある。

 そこをほどくには、元の織り目を支える必要があった。


「触るな」


 私が鋏を持つより早く、レオン様が言った。


「馬車が揺れている」

「見ているだけです」

「もう三度、鋏に手を伸ばした」


 私は、箱の蓋を閉めた。

 ロザさんが、口を押さえた。


「よく見てること」

「危ないので」


 レオン様は即答した。

 窓の外へ顔を向ける、その耳が、少し赤かった。


 日が暮れる前に、街道の宿へ着いた。

 主人は彼の名前を聞いて、鍵を落とした。

 呪いの噂は、ここまで来ている。


「触れなければ、大丈夫です」


 私が言うと、レオン様が、軽く首を振った。


「無理はさせるな。離れを借りる」


 彼は、この手の拒絶に慣れていた。

 そこが、いちばん嫌だった。


 夕食の後、離れの明るい窓辺で、袖口を調べた。

 レオン様が、机の反対側に座る。

 ロザさんは隣の部屋で休み、サイラスさんが扉の近くにいた。


 灰色の糸を、細い針で持ち上げる。

 下にある青い糸が、見えた。


 切れていた。


 私は動きを止めた。

 灰色の縫い糸が隠していたのは、熱の漏れだけではない。

 元の術式の、擦り切れた部分だった。


 六年も使い続ける設計ではなかったのだ。

 仮の避難場所。

 それが、六年。


「どうした」


 レオン様の声に、私は顔を上げた。


「元の糸が、弱っています。足された糸を取るだけでは、持ちません」


 説明しているうちに、手が冷たくなった。

 ほどけばいいと思った。

 順序を守り、細工を外し、本来の姿を戻せばいいと。

 でも、弱った糸には別の支えがいる。

 見つかった白い幕も、傷んでいたら。

 途中で、布が保護できなくなったら。


「私には、できないかもしれません」


 口に出すと、急に涙が出た。

 彼はすぐ手を伸ばして、途中で止めた。

 呪いが、まだ残っている。


「まだ、できないと分かったわけではない」

「でも、できるつもりで来ました。できなかったら……」


 何を言いかけたのか、自分でも分かった。

 できなかったら、いらなくなる。

 役に立たなかったら、また、捨てられる。


 レオン様は、私の鋏から目を離した。


「その時は、別の方法を考える」

「私の仕事です」

「依頼したのは俺だ。危険を判断する責任まで、お前一人には渡していない」


 彼は、机に置いた契約書を開いた。

 私が書いた作業条件。

 危険がある工程は事前に説明する。

 安全に実施できない場合は、中断する。


「できないことを、できないと言うための条項だろう」


 私は、うなずいた。

 書いたのは私なのに、自分には許していなかった。


「支払う報酬は、変えない。お前の時間と技術に払っている」

「……はい」

「それとは別に」


 彼が、少し言い淀んだ。


「お前がここにいるのは、嫌ではない」


 私は彼を見た。


「仕事が終わらなくても?」

「終わっても」


 暖炉が鳴った。

 彼は、困ったように自分の袖を見た。


「今のは、宿の話だけではない」


 私は、泣いたまま笑ってしまった。

 告白なのか、そうではないのか。

 でも、この人は、私を部品のように扱わなかった。


 その夜は、鋏を使わなかった。

 代わりに、母親の材料表と、私の修繕控えを突き合わせた。

 弱った糸を横から支える細い織り方は、元の裏地にもあった。

 それを残った同じ糸で延ばせば、出口へ送るまでの短い時間は支えられるかもしれない。

 必要な材料を、書き出す。

 試すなら、まず、小さな独立部分で。


 全部を今夜解決しようとしなかったら、見えるものがあった。


 寝る前、レオン様が、扉の外から声をかけた。


「茶はいるか」

「お願いします。砂糖は」

「一個」


 私は、今度は声を出して笑った。

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