第3話 その人は、砂糖を入れすぎる
翌朝、私の机に、糸巻きが十二個並んでいた。
新品の鋏が三本。
針が五箱。
そして、銀貨の袋。
「依頼主の加減が分かりません」
執事のサイラスさんに言うと、真面目な顔でうなずかれた。
「長年、受け取ることに不慣れでいらっしゃいます」
レオン様は二十七歳だった。
昨夜、契約書に年齢を書いてもらって初めて知った。
霜のせいで、私はもう少し年上だと思っていた。
白く見えた髪は黒く、強張っていた頬も、今朝は幾分やわらかい。
コートは身体から離せない。
着用者の生命力が、三十一人を保護する最後の支えになっている。
母親の仕様書は失われていたが、裏地の文字と、六年間の彼の記録から、それは確認できた。
だから作業は、彼が椅子に座っている間にする。
「痛かったら言ってください」
「布に触っているだけだが」
「寒かったり、息苦しかったりしてもです。分からないことを黙って我慢されると、こちらが困ります」
彼は、私を見た。
それから、うなずいた。
「分かった」
今日は縫い目を写すだけ。
レオン様は、術衣の所有者として検査を申請した。昨日切った一針が保護を弱めず、漏れていた熱を減らしたという測定結果も添えた。
宮廷からは、対の布に関することは認められないが、コートの熱漏れを抑える補修は許可するという返事が来た。救うことと、問題を知られずに済ませることが、同じ言葉で書かれていた。
細かな線を追いながら、私は元の術式にある文字を拾った。
『帰路は対の白布へ』
青いコートには、対になる白い布がある。
預かった魂は、そちらを出口にして帰る仕組みらしい。
「白い布に、心当たりはありますか」
「北門の出口側に、白い幕があった。母が作った同じ組のものだ」
「今は?」
「取り外されている。門と一緒に、宮廷の管理に移った」
私は、別の紙に書いた。
白い幕。
管理部署。
事故からの保管履歴。
いきなり王都へ乗り込んでも、探せない。
レオン様が、私の指を見ていた。
「切ったのか」
親指の古い傷。
前の工房で、術糸を見ながら鋏を動かした時にできたものだ。
「もう治っています」
「新しい傷を作らないようにしてくれ」
「善処します。修復士ですので」
「役目を理由に、痛くていいとは思わない」
私は、針を止めた。
そんな言葉を、仕事中にもらったことがなかった。
父もロドルフも、結果だけを見た。
破れたか、直ったか。
その間にいる私のことは、見なかった。
「では、休憩にします」
「そうしてくれ」
サイラスさんが茶を運んできた。
レオン様は、私の皿に砂糖を三個置いた。
「甘いものは好きか」
「好きです」
四個になった。
「でも、紅茶には一個で結構です」
手が止まった。
その顔が、あまりにも真剣だったので、私は笑ってしまった。
「何個入れれば疲れが取れるか、分からなかった」
「訊いてください」
「……何個がいい」
「一個です」
彼は残りを、きちんと箱へ戻した。
午後、作業を終える頃には、胸の霜が少し薄くなった。
追加された糸のうち、元の保護術式から独立した結びがもう一つ見つかったからだ。
一度に触るのは一か所だけ。
ほどいた糸は捨てず、紙の上に元の形で留める。
誰が何を足したか、その証拠になる。
裏地が少し広がり、見えなかった名前が現れた。
ネリ・ノアン。
八歳。
その隣に、大人の名前。
マルタ・ノアン。
そして、ぎゅっと寄り添う二本の細い線。
「お母さんと、一緒なんですね」
「そうだ。門の中で、最後まで手を握っていた」
私は、名簿を見直した。
三十一人。
幼い子も、お年寄りもいた。
兵士は七人。それ以外は、村の人たちだった。
この人は、全員を抱いて、六年間暮らした。
「送ってあげましょう」
私が言うと、彼は、すぐには答えなかった。
唇に力が入っている。
「ああ」
それだけの声が、少し震えた。
その夜、王都の術衣工房へ出した照会に、返書が来た。
伝書鳥は、人の馬車よりずっと速い。
『該当する白幕は、事故後に焼却済み』
署名は、ロドルフ。
私を捨てた男の名前だった。




