第9話 明日も、その先も
次の日。
ウンディーネはまたアルベルトと市場に来ていました。今は早朝で、人々は売り物の準備をする時間帯です。
「あれ?みんな何をしているの?」
見ると、売り物を並べると同時に周囲や建物を、鮮やかな布で飾り付けしています。
「ああ、お祭りの準備だね」
「お祭り?」
「うん。年に一度、とある人に感謝を込めて盛大に楽しむんだ」
「とある人……?」
アルベルトが意味深に言うので、ウンディーネは思わず尋ねます。
「そう、君だよ、ウンディーネ」
「えっっ!?」
ウンディーネが町中に響くほどの声で驚きます。みんなが手を止めてこちらを見るので、ウンディーネは顔を真っ赤にしてうつむきました。
「ははは、驚いたよね」
アルベルトは気にもせず続けます。
「そう、このお祭りは、湖の精霊様への感謝を表してるんだ。いつも豊かで、綺麗な水をありがとうって」
「そう……だったの……。全然知らなかった」
「湖は禁足地になってるもんね。仕方がないことだけど、ウンディーネに伝わってないんじゃ意味ないよね……」
アルベルトはそう言うと、少し寂しそうな表情をしました。
「ねえ、そのお祭りっていつなの?」
「んー、確か10日後だったと思う」
「そっか、満月の日からちょっと経っちゃってるね」
ウンディーネは一瞬だけ残念そうな顔をしましたが、すぐに明るい笑顔を取り戻し、アルベルトの方を向きます。
「でもニクスにお願いしてみるわ。せめてその日だけでもって」
「そうだね、一緒に参加しよう!」
「ふふっ!お祭りの日、湖の精霊本人も参加してるって分かったら、みんなどんな顔をするかしら?」
「あはは、きっと驚くだろうね」
ウンディーネはアルベルトの周りを楽しげにくるくると周ります。
「ねえアルベルト、お祭りの日はどんなことをするの?」
「町のみんなで歌って、踊って、美味しいものを食べて……。祭りの最後は麦を一束、川に流すんだ。湖からの恵みをお返しする意味があるみたいだよ」
「川じゃなくて湖まで来てくれたらいいのに」
ウンディーネはそう言って口を尖らせました。
「そうだね……。実は、僕が父様の後を継いだら、湖は自由に行ける場所にしようと思ってるんだ」
「そうなんだ!そうなったら、湖まで人間たちやアルベルトが来てくれるのね!楽しみだわ」
「そうだ」
アルベルトがふいに、ウンディーネの顔を真っ直ぐに見つめました。
「お祭りの日は父様も必ず参加するんだ。その時にウンディーネを紹介しよう!」
希望に満ち溢れているアルベルトとは対照的に、ウンディーネは浮かない顔をしています。
「……前から思ってたんだけど、トウサマ……ってなあに?誰かの名前なの?」
「あ……えっと……。僕の家族……って言ってわかるかな?」
「んー。よく分からないけど、アルベルトにとって大切な人なのね」
「ああ、そうさ」
「私もアルベルトの家族?」
「え……。うん、そうだね」
アルベルトは少し考えてから、優しく笑いました。
「ウンディーネも、僕にとって大切な人だよ」
「大切な人……」
ウンディーネは噛み締めるようにその言葉を繰り返すと、嬉しそうに笑顔を返しました。
「ふふ、お祭りの日がもっと楽しみになったわ!」
「僕もだよ」
そして、二人は並んで市場の中を歩いていきました。
それからの数日は、いつも通りの日常を過ごしました。
朝は一緒に食事をして、アルベルトが仕事をしている間は屋敷の中を見て回り、それが終われば二人で町へ行く。
そんな素晴らしい毎日は、あっという間に過ぎていきました。
そして、満月まであと二日。
「ねえ、アルベルト」
「ん?」
「人間の暮らしって、本当に楽しいわね」
ウンディーネはベランダから町を見渡しながら、そう言いました。
「それはよかった」
アルベルトも笑います。
「僕も、君といると楽しいよ」
「ふふっ、よかった」
ウンディーネは嬉しそうに笑いました。
けれど、その日の夜の事です。
ウンディーネは急に目が覚めてしまいました。
「……?」
屋敷の近くを流れている川のせせらぎに、違和感を覚えたのです。ウンディーネはしばらく川の音を注意深く聞いてみます。
「いつもと違うような……?」
窓から顔を出して川を確かめます。
しかし、川はいつも通り穏やかで、澄んだ水をたたえています。
「……気のせいかしら」
そう呟き、ウンディーネはベッドに戻りました。
それから、満月まであと一日となりました。
ウンディーネは朝から、何となく胸がざわついていました。
理由は分かりません。
それでもアルベルトの顔を見ている間は、不思議とそのことを忘れられました。
「明日が満月だね」
アルベルトが朝食後のお茶を飲みながら、静かに言いました。
「ええ……この10日間、あっという間だったわね」
「そうだね」
アルベルトの様子は、やはりどこか寂しそうです。
「でもまた会えるわよ」
「そうなんだけど……。なんか、君がいることがすっかり当たり前になっちゃってさ」
気恥ずかしさを隠すため、アルベルトは困ったように笑いました。
「当たり前?」
「うん。朝起きたら君がいて、一緒にご飯を食べて、仕事が終わったら町へ行って……。そんな毎日が、ずっと続くような気がしてたんだ」
「……ずっと?」
ウンディーネはその言葉を聞いて少し考えると、ふわりと笑いました。
「私も、そんな気がしてたわ」
「そっか」
アルベルトも嬉しそうに笑います。
「じゃあ、今日もいつも通り過ごそうか」
「うん!」
ウンディーネは元気いっぱいに頷きます。
その時、かすかに川の流れる音がウンディーネの耳に聞こえてきました。
昨日よりも、少しだけ音が乱れて大きくなったような気がします。
ウンディーネは一瞬だけ窓の外へ目を向けました。
「……?」
けれど、アルベルトが声をかけると、すぐにそちらへ振り返ります。
「ウンディーネ、今日はどうする?」
「そうね……。とりあえず外に出てから決めるわ!」
二人はいつものように、笑いながら部屋を出ていきます。
その背後で、外を流れる川の音だけが、静かに響いていました。




