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第10話 約束の日

 二人はまた市場へ出かけていました。

 町全体の飾り付けは既に終わり、当日の出店の準備が進められていました。


「準備、だいぶ進んだね」


「あと5日だからね」


「楽しみだわ。いつも以上に賑やかになるなんて、想像できない」


 うっとりしているウンディーネを、アルベルトが微笑ましそうに眺めます。


「僕も楽しみだよ」


 そのまま二人は自然と手を繋ぎ、ゆっくりと町を歩きました。




 夕方、屋敷へ戻る頃には日が沈みかけており、やはりじいに小言を言われてしまいました。


「また言われちゃった」


「じいも、もう少し大目に見てくれていいのにな」


 アルベルトがめんどくさそうに頭をかきます。


「アルベルト、明日も一緒に市場に行けるかしら?」


「ああ。……明日は満月だよね」


「そう……だったわね」


 二人は空を見上げました。少しひしゃげた形の月が、目線の先に浮かんでいます。

 明日になれば、約束の十日間が終わります。


「明日、ニクスにお願いしてみるわ」


「お祭りの日のこと?」


「うん。せめて、その日だけでもアルベルトと一緒にいたいもの」


「そうだね。なんなら、僕も一緒にお願いするさ」


「もうアルベルト。湖に来たらまたじいに閉じ込められちゃうわ」


 二人は目がピタリと合うと、くすくすと笑い合いました。


 その夜――。


 ウンディーネはベッドから月を眺めていました。


「お祭り、アルベルトと絶対一緒に行くんだ……」


 そう呟いて目を閉じます。

 けれど、その胸には朝から感じていたざわつきが、まだ残っていました。


 しばらくすると、再び川のせせらぎがやたらと耳につくようになりました。


「……また?」


 ウンディーネはベッドから起き上がり、窓を開けました。

 暗闇の中、川の音が昨日よりも激しく聞こえます。


「なんだろう……?」


 しばらく聞き耳を立てましたが、風も穏やかで、ここ数日大雨が降った様子もありません。


「……やっぱ気のせい、かな。長く人間の身体で過ごしたせいかも」


 そう自分を納得させ、ウンディーネは窓を閉めました。


 明日は、満月。

 それよりも今は、お祭りのことを考えていたい。

 そう思いながら、ウンディーネは再びベッドへ戻りました。


 翌朝――。


 ウンディーネは窓から差し込む朝日の眩しさで目を覚ましました。


「今日がいよいよ……」


 今日で、ニクスとの約束が終わります。


 けれど、不思議と寂しい気持ちはありませんでした。

 お祭りの日には、またアルベルトと会える。

 そう思っていたからです。


「ウンディーネ、起きてる?」


 扉の向こうから、アルベルトの声が聞こえました。


「今行くわ!」


 二人はいつものように食堂へ向かい、朝食を済ませました。


「今日は、いい天気ね」


「そうだね。これなら湖へ行くのも大丈夫そうだ」


「うん」


「この後少し町へ行かないかい?」


「『満月が湖の真上に来るまで』って言われてるから、お昼過ぎに出発すれば大丈夫よね」


「うん、そうだね」


 早速二人は朝の町へ出かけました。

 祭りの準備は更に進み、人々はいつも以上に活気づいています。


「昨日より賑やかになってるわ」


「祭りの時はもっと賑やかになるよ」


「すごい……」


 ウンディーネは町を眺めた後、ふと改まった様子で口を開きました。


「ねえ、アルベルト」


「ん?」


「お祭り、一緒に行きましょうね」


「もちろん」


 アルベルトは、ごく当たり前のように答えます。


 その後二人はしばらく町を歩き、屋敷へ戻りました。


 昼を少し過ぎた頃。

 ウンディーネは窓から青い空を眺めていました。


 そして、意を決してアルベルトのいる部屋へ向かいます。


「アルベルト」


「ウンディーネ?」


「そろそろ、行こうと思うの」


「……そっか。じゃあ、外まで送るよ」


「ありがとう」


 二人は並んで屋敷を出て、森へ続く道まで来ました。


「ここから先は一人で大丈夫よ」


「そう?」


「うん。道は分かってるわ」


 ウンディーネは笑いました。


「そっか、それもそうだね」


 アルベルトも笑います。


「じゃあ、お祭りの日に」


「うん。お祭りの日にね」


 二人はしばらく見つめ合った後、森の奥へ歩き出しました。


 何度か振り返りながら手を振ると、アルベルトも手を振り返します。

 振り返るたびに、ウンディーネの胸元のペンダントがキラリと光っていました。


 やがて木々の向こうにアルベルトの姿が見えなくなると、ウンディーネは湖へ向かって真っ直ぐ進んでいきます。









「おや、ウンディーネ。思ったより早かったですね」


 湖に着くと、すでにニクスが姿を見せていました。


「うん……。湖のこと、ありがとう」


「そのご様子、十分楽しめたようですね」


「うん!ニクスのお陰よ!」


「そうですか」


「それでね、人間って面白いのよ!例えば――」


「はい」


 ニクスはウンディーネの言葉に対して、表情を変えもせずに淡々と相づちを打ちます。

 はたから見ると、全く興味がないのがわかるのですが、今のウンディーネは嬉しさのあまり気づけていません。

 ニクスにはお構いなしにこの10日間をどう過ごしたのか、大げさな身ぶり手ぶりで話しました。


「……あなたは、本当に人間がお好きなんですね」


 ニクスが無表情のまま、ボソリと呟きました。


「ええ!人間もアルベルトも大好きよ!」


「……その人間を水に沈めるとどうなるか、知ってますか?」


「……え?」


「それこそ面白いですよ。人間は水に沈められると、必死になって藻掻くんです」


 ニクスの口元がゆっくりと笑みの形に変わります。

 ウンディーネはその笑顔を見て初めて、何かがおかしいことに気づきました。


「そして上へいこうと一生懸命に手足を動かして、やがて動かなくなる。……永遠に」


「な……何を言って……」


「よければ、今からお見せしますよ」


「え……?」


 ニクスが静かに湖の水面へ目を向けます。


「この湖の水が、町へ一気に流れ込んだら……」


「……!それが目的だったの……?」


 ウンディーネの表情がみるみると怒りに染まります。


「どうしてそんなことをするの!?」


「それが私の精霊としての性質だからです」


「性質……?」


「あなたは水に対する感謝や敬いから生まれた。でも私は逆。水に対する恐怖から生まれたのです。

 まあ今は、飲み込んだ人間の負の感情も混じってしまっていますが」


「最初に言ってた、色々と混じって……ってそういう……」


「だからねウンディーネ。私が町を襲うことなんて、シルフ達が風を吹かせるのと同じ、ごく当たり前のことなんですよ」


 まるで小さな子どもに言い聞かせるような口調でニクスが言います。


「人間を飲み込んでるから、身体があったのね!なんてひどい事を……!」


 ウンディーネは手で顔を覆いました。

 その時です。


 ゴオオと聞き覚えのある音が聞こえてきたので、ウンディーネは顔を上げ、辺りを見回すと、どうやら森の向こうから響いているようです。


「この音……」


 昨日の夜、屋敷で聞いた川のせせらぎ。

 けれど、今はもう「せせらぎ」と呼べるような音ではありません。


 ゴォォォォ――。


「……川?まさか……」


 ウンディーネは湖の水面へ目を向けますが、いつもと同じように静かに揺らめいています。けれどその水の奥から、何か巨大なものが蠢いているような感覚がしました。


「……昨日の夜から聞こえていたのは、これだったのね」


「ようやく気づきましたか」


「あなたの思い通りにはさせない!私の身体返して!」


「もう遅い。この10日間で、湖はすっかり私に馴染んでしまいましたよ」


「……!」


 ウンディーネは少しずつ波が激しくなっていく湖を見つめます。


 自分が長い間、無自覚のうちに守ってきた湖。

 その水が今、町へ続く川へと流れようとしています。


「みんな……。アルベルト……!」


 頭の中に先ほど交わした言葉がよぎります。


『お祭りの日に』


『うん。お祭りの日にね』


 その約束が、急に遠いものに感じられたのでした。

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