第7話 市場でのひととき
着替えが終わると、アルベルトはウンディーネを森が一望できるテラスへ案内しました。
白く輝く椅子とテーブルがあり、そこにウンディーネを座らせます。
「これ、口に合うといいんだけど……」
アルベルトがそう言うと、メイドが丁寧な動きで何かを運んできました。
「……?花の匂いがする……」
「花の香りを移したお茶なんだ。森の中にいたし、花なら馴染みがあるかと思って」
アルベルトが自分の事を考えて用意してくれた――。
そう考えると、ウンディーネは何故か手元のお茶から目を離せません。
湖にいた頃には知らなかった、胸の奥がふわりと温かくなるような気持ち。
それが何なのかは分からなかったけど、カップの中に映るウンディーネは優しい笑顔を向けていました。
「ところでウンディーネ。聞いてもいいかい?」
「なあに?」
ウンディーネたちがお茶に口を付けていると、改まった様子でアルベルトが尋ねました。
「その身体っていうか……どうして人間みたいになってるんだい?」
「ニクスのお陰なの」
「ニクス?」
「うん」
ウンディーネはニクスの事を話しました。次の満月までに戻らないといけない事も。
「へえ、そんな精霊もいるんだなあ。にしても、次の満月までか……じゃあ、あと10日くらいだね」
「うん、そこで一旦お別れ。だけどまたお願いして、すぐアルベルトに会いにいくわ」
にこりと笑いかけるウンディーネに、アルベルトも自然と口元が笑っていました。
「お坊ちゃま、少しよろしいですか」
「うん?ごめん、ウンディーネ。ちょっと……」
「うん、大丈夫よ」
アルベルトがじいに呼び出され、その場にはウンディーネだけが残されました。
「お坊ちゃま、何度も言いますが……」
「さっきも聞いた。分かってる。でもあの子は間違いなく精霊様だよ」
「だとしてもです。あなた様は次期領主様になるお方。素性の分からぬ者と、あまり親しくされるのはいかがなものかと」
「素性の分からぬって……ウンディーネはウンディーネだよ。湖の精霊様だよ」
「そういうことではございません。お坊ちゃまのお立場を考えれば、周りがどう見るかも考えていただきませんと」
「じいは命の恩人をそんな風に扱うのかい?」
「そう言うわけでは……」
「分かってるよ。ウンディーネのことはちゃんと考えるから」
「お坊ちゃま……」
「だから、今はもういいだろ」
アルベルトはじいにそう言うと、ウンディーネの所へ戻ってきました。
「アルベルト、大丈夫?」
アルベルトが難しい顔をしているので、ウンディーネが心配そうに尋ねます。
「ああ、大丈夫だよ」
「ホント?」
「うん。それよりさ、市場へ行かないかい?ここに来る前に話してたろ?」
「いいの!?うん、行きたい!」
アルベルトは早速ウンディーネと、屋敷の玄関口へ進みます。
すると再びじいがアルベルトに近寄ってきました。
「お坊ちゃま、護衛を……」
「という名の監視だろ。安心してくれ、ウンディーネがここにいるんだ。禁足地に行く理由が無いだろ?」
アルベルトは、祈るような表情でじいに目配せをします。
「……分かりました。夕方には戻って来ていただけますな?」
「ああ、ありがとう。じい」
「あ、ありがとう……」
ウンディーネもつられてペコリとお礼を言います。
そして、楽しそうに話しながら町へ出かける二人の背中を、じいは複雑な表情で見送っていました。
「精霊様の名を騙り、お坊ちゃまに近づいた人間ではないかと思っておりましたが……」
じいはふうと小さくため息をつきます。
「……あんなに悪意も打算も感じられない相手を疑うのも、なかなかに難しいものですな」
一方、アルベルトとウンディーネは、約束していた市場に到着していました。
ウンディーネは行き交う大勢の人々に気後れして、ついアルベルトの後ろに隠れてしまいます。
「すごい……。今日は何かのお祭りなの?」
「ここはいつもこんな感じだよ!さ、はぐれるといけないから」
アルベルトはそう言って、ウンディーネの手を取ります。
「……?」
ウンディーネは握られた手を見つめました。
手のひらから、アルベルトの温もりが伝わってきます。
「こうしていれば、はぐれないのね」
「そうだよ」
「へえ、不思議ね。こうしていると胸の奥もなんだか温かくなるわ」
ウンディーネは嬉しそうに笑うと、そのままアルベルトの隣を歩き始めます。
あまりにも素直な感想に、アルベルトは少し照れくさそうに笑いました。
市場は色々な物が売られており、食材の他にも屋台もあります。
「何だろう?いい匂い?」
この身体になったからでしょうか、甘い匂いが鼻に入るとそれを口にしたくて仕方がありません。
これまで感じたことの無い感覚に、ウンディーネは戸惑います。
「ははは、ウンディーネ。お腹が空いてるんだね」
「え?」
アルベルトは突然屋台へ向かうと、蜂蜜と木の実を使ったクッキーがたくさん入った箱を買いました。
「精霊はどうしてるのか知らないけど、人間はこうやって美味しいものを口から食べて力を得ているんだ」
そう言って中のクッキーを一つかじります。その様子を見ていたウンディーネの顔がパッと明るくなりました。
「シルフ達から聞いたわ!そうなのね、これが『お腹が空く』ってことなのね!」
「ふふ、そうだよ」
「む!?」
アルベルトはクッキーを一つ摘むと、それをウンディーネの口に入れました。
クッキーが口の中で砕けた瞬間、蜂蜜と木の実の香りがパッと広がります。サクサクとした感じも小気味よくて、いつまでも感じていたいくらいです。
「……!」
驚き顔でひたすらにもぐもぐと口を動かしているウンディーネを、アルベルトは微笑ましく眺めていたのでした。
「気に入ったみたいだね」
「ええ!これが『美味しい』って感覚なのね!口にするだけで幸せな気持ちになるの!」
「ウンディーネのお陰だよ」
「え?」
「ウンディーネがいつも綺麗な水をくれているから、畑が豊かになって、家畜は元気に育つ。そうして僕たちは美味しい物が作れるんだ」
アルベルトが森の方を眺めて嬉しそうに言います。
「そうなんだ……。んー、私はただそこに居るだけだからよく分からないわ……」
ウンディーネは次々とクッキーに手を伸ばしながらそう言いました。
それから二人は市場を歩きながら、いろいろなものを見て回りました。色とりどりの果物。 見たことのない道具。 大きな声で客を呼ぶ店主。
ウンディーネが何かを見つけるたびに立ち止まるので、アルベルトはそのたびに笑いながら説明してあげました。
シルフ達から聞かせてもらうだけだった、夢にまで見ていた人間の生活がそこにありました。
けれどウンディーネにとっては、それ以上に――アルベルトと一緒に過ごす時間が、何よりも楽しいものになっていました。




