第5話 新たな世界
「だあれ?」
ウンディーネは呼ばれるままに水面から顔を出すと、岸の方にずぶ濡れのフードをかぶった人物が見えます。
一瞬ギョッとしますが、ウンディーネは気配からすぐに気が付きました。
「あら?あなたも水の精霊なの?」
「お察しが早くて助かります、ウンディーネ。私はこの近くの川に棲む水の精霊です。名をニクス」
「ニクス……。あなた、私と違ってちゃんとした身体があるのね。人間と全然変わらない」
「私は下級の精霊ですので、ただ色々と混じってしまっているだけです」
「そうなの?でも羨ましいわ。その身体なら何処へだって行けるんでしょう?」
「ええ、一応は」
それを聞いたウンディーネは、寂しそうに目線を落としました。
「ところでニクス。川の精霊のあなたがどうしてここに?」
「はい、風の噂で聞きました。何でも、お気に入りの人間に会えなくなってしまったとか」
「風の噂……」
ああ、シルフ達の話を聞かれていたのかと、ウンディーネは理解しました。
「シルフ達、心配していましたよ。ちっとも姿を見せないと」
「うん……。なんでだろう、今は他の人間の話なんか聞きたくないって思っちゃうの」
「やはりまだ会いたいですか?」
「それはもちろん!でも……もう無理なの」
「それはなぜ?」
「だって、私の身体は湖と一緒。ここから動けないの」
そう言ってニクスに湖と融合している足元を見せます。
「それにもし、もしもよ?離れられたとしても、ここの水はすぐ淀んでしまうし、私も霧になって消えちゃうわ……」
「なるほど、それで私の身体を羨ましいと……」
ウンディーネは悲しげな瞳のまま微笑むと、ゆっくり頷きます。
「ふむ……」
ニクスはしばらく黙ったまま、ウンディーネを見つめていました。
「もしも――」
ニクスが静かに口を開きます。
「私とあなたの、立場を交換できるとしたらどうでしょうか?」
「え!?」
ウンディーネは驚いてニクスの方を見ます。
「そんな事ができるの!?」
「ええ……私も一応は水の精霊。多少の間ならウンディーネの代わりが勤まるでしょう。そして、あなたは私の身体で実体を得る」
「どうしたらいい?」
「こちらへ……」
ニクスに促され、ウンディーネは岸へ近づきます。
するとニクスが手を差し出すので、ウンディーネもそっと手を伸ばしました。
手を取るのかと思いきや、ニクスがいきなりウンディーネの中に飛び込んできました。
「わっ……!」
その瞬間、ウンディーネの身体が淡い霧のようにほどけていきます。そして湖の水面が大きくうねり、二人の姿が溶けて混ざります。
やがて、湖を覆っていた霧が晴れるように、水面が静かになりました。
そこに立っていたのは――。
「……あれ?」
ウンディーネは自分の手を見つめます。
水ではなくちゃんと形のある、白い手。
試しに指を動かしてみると、五本の指が思い通りに動きました。
「わあ……、触れる!」
ウンディーネは自分の頬に触れてみます。
柔らかくて、温かい。今まで感じたことのない感触でした。
「お気に召されたようでよかったです」
声に振り向くと、そこには先ほどまでのウンディーネのように、湖の水そのものとなったニクスの姿がありました。
「これで湖の外へ行けますね。でも、次の満月がこの湖の真上に来るまでですよ」
「え?」
「それを超えると魔法が解けて元の身体に戻ってしまいます。もし陸地でそうなれば……」
ウンディーネは生唾をゴクリと飲み込みます。
そんな事恐ろしくて考えたくもありませんでした。
「分かったわ!必ずそれまでにここに戻るわ!」
「あ、ウンディーネ!」
意気揚々と湖を去ろうとするウンディーネを、ニクスが呼び止めます。
「?」
「ずぶ濡れで嫌でしょうが、私が着ていたローブを羽織っていきなさい。人間の世界では、胴の素肌を晒す事は禁じられていますよ」
「あ……そうね、分かったわ!」
ウンディーネはニクスが着ていたローブを肩にかけると、よたよたとおぼつかない足取りで町に向かって歩いていきました。
ウンディーネにとって、湖の外へ出るのは初めてのことなので、足元の地面の感触も、頬を撫でる風も、何もかもが新鮮です。
転ばないように一歩ずつ歩きながら、ひたすらに町へと向かって足を進めました。
でもウンディーネは、今まで一度も歩いた事がないので、すぐに疲れてしまいました。
「はあ……。歩くのってとっても疲れるのね……。まだ全然着く感じじゃないな……」
一休みの為、近くにあった切り株に腰掛けます。
その後はどれくらい休んだでしょうか、ウンディーネがぼんやり森の景色を眺めていると、誰かに話しかけられました。
「君、大丈夫かい?」
「!?」
聞き覚えのある声に、ウンディーネは勢いよく顔を上げました。そこには、馬に乗った一人の青年がいました。
見覚えのある姿に、ウンディーネは思わず目を見開きます。
「……」
けれど、青年の方はウンディーネを知らない少女だと思っているのか、何の反応もありません。
「こんな森の中で一人でどうしたんだい?ずぶ濡れじゃないか」
馬から降りて心配そうにウンディーネへ近寄ります。
「……アルベルト」
「え……?」
栗色の髪。
日に焼けた肌。
それに優しげな茶色の瞳――。間違いない。
「やっぱりアルベルトだ!」
「……えっと。何処かでお会いしましたか?」
「私だよ!わからない?」
「……?」
アルベルトは困惑したようにウンディーネを見つめます。
「ウンディーネよ!」
「――!」
その名前を聞いた瞬間、アルベルトは息を呑みました。
「……ウンディーネ?」
「そうよ!久しぶりね、アルベルト! 私、ずっと会いたかったの!」
「ウンディーネ!」
「きゃっ!」
アルベルトはいきなりウンディーネをギュッと抱き締めます。
ウンディーネは初めてのことで驚きましたが、不思議と嫌な気持ちは無く、なんて温かいんだろうと、いつまでもこうしていたいと思っていました。
「お坊ちゃま、何か御座いましたか!?」
じいがこちらへ来る気配がしたので、二人は慌てて離れます。
「おや?そのご婦人は?」
「その……道に迷っていたらしい」
アルベルトは顔を赤くして誤魔化します。
「おや、ろくに服も着ていないとは。お気の毒に、追いはぎにでも遭われたか。お坊ちゃま、ひとまず屋敷に連れて帰りましょう」
「ああ」
こうして、ウンディーネはアルベルトの腕の中で、馬に揺られつつ、町のお屋敷へ行く事になったのでした。
ずっと会いたかった人と、また一緒にいられる――。
そう思っただけで、ウンディーネは胸がいっぱいになりました。




