第2話 月明かりの再会
次の日、また人間達の様子をウンディーネに話そうとシルフ達がやってきました。
「ウンディーネー」
「あれ、今日はもう水面にいるんだね」
「うん……」
ウンディーネは空を見つめて素っ気なく答えます。
「どうしたの?」
「ねえシルフ、アルベルトって知ってる?」
「え?うーん……」
ウンディーネに聞かれたシルフ達は、手を顔に添えて考えます。
「たしか町で一番エライ人の息子がそんな名前だった気がするよ」
「町で一番?すごい……」
「そのアルベルトがどうしたの?ウンディーネ」
「実はね――」
ウンディーネは昨日の出来事をシルフ達に話します。
「ええ!?そうなんだ、大丈夫だった?」
「今回の『森の掃除』は大変だったみたいだよ」
人間達から聞こえてきた話によると、いつもとはちょっと違っていたらしいのです。
「森の魔物がやたら強かったんだって」
「普段見ないやつもいたってさ」
「そうだったんだ……。うん、私は大丈夫だよ」
「そうだよね!ウンディーネは水だから、どんな攻撃だってすり抜けちゃうもんね!」
シルフ達は自分の事のように、得意気にウンディーネの周りを飛び回ります。
「アルベルトの事は何か聞いてないかな?」
「うーん、そうだなあ。聞いている事と言ったら――」
シルフ達によると、アルベルトは『森の掃除』には今年が初参加だったにも関わらず、厄介者の黒狼を一度に三匹も倒したと町で大変な話題になっているそうです。
「人間ってずるいね」
「本当はウンディーネがやったのにね」
シルフ達は不満げに口を尖らせます。
「仕方ないよ、だってここは人間が来ちゃいけない場所だもん。きっと言えないんだよ」
そう言うウンディーネの顔は、どこか嬉しそうな様子だったのでした。
それ以来というもの、ウンディーネはシルフ達が湖を訪れるたびにアルベルトの話を聞きたがるようになりました。
ウンディーネがアルベルトと出会ってから、数日が経ったある日。
「ウンディーネ、聞いて聞いて!」
「すごい話聞いちゃった!」
シルフ達が高揚した様子で湖にやってきました。
「シルフ!今日はずいぶんと慌ててるじゃない」
「実はね、アルベルトがここに来たがってるみたいなんだ!」
それを聞いたウンディーネは、目をまん丸にします。
「え?アルベルトが?」
「でも皆が禁足地だからって反対してるの!」
「だけどもアルベルトは諦めてないみたい!」
シルフ達はウンディーネの周りをくるくる回りながら言います。
それを聞いたウンディーネは少し考えこんだ後、改まった様子で静かに口を開きました。
「ねえ、シルフ」
「なあに?ウンディーネ」
「あなた達の力で、アルベルトをここに連れてこれないかしら?」
シルフ達は驚きました。
「アルベルトを?」
「アルベルトは人間だよ?」
「うん、一度だけでいいの。お願いよ」
ウンディーネはいじらしいほど必死に頼みます。あまりのその様子に、シルフ達は少し戸惑ってしまいました。
「珍しいね、ウンディーネがそこまで言うなんて」
「一体どうしたの?」
シルフ達が問いかけます。
「一度だけでいいから人間と話してみたくなったのよ。アルベルトもここに来たいみたいだし……」
「まあウンディーネのワガママって珍しいもんね」
「直接連れてくるのは難しいけど、ここまでの案内くらいはしてあげるよ」
そう言って風に紛れて消えてしまいました。シルフ達の笑い声だけが湖に残されました。
その頃、町ではというと――。
「お坊ちゃま!いい加減にしてください!あそこは禁足地だと何度申したら分かっていただけるのですか!」
町の中心部にほど近い場所にある大きなお屋敷の庭で、執事の老人がなにやら大声でアルベルトに怒っています。
「命を助けてもらったんだ。きちんとお礼がしたい」
「それなら日々のお祈りで事足りましょう」
「じい、精霊様は本当にそう思っていると思うか?直接聞いてみないと分からないじゃないか」
「むやみに会おうとすると精霊様の罰が下りますぞ。領主の息子が禁足地に行きたがるなど……!」
実はここ数日、アルベルトは何度も禁足地へ向かおうとしていたのでした。
そのたびにじいはアルベルトを引き止めており、夜になっても気が抜けず、ほとんど眠らずに彼を見張っていたのです。
「お坊ちゃま、そろそろじいを安心させてくださ……ふぁ」
老人は話の途中で大きなあくびをします。
「……っと失礼」
「いや。じい、ここ数日寝ていないだろう?」
「ええ、誰かさんのせいでね」
「それでも風呂まで見張られたら、僕だって落ち着けないよ」
「いいえ、今のお坊ちゃまなら裸で窓から飛び出すくらいはやりそうですからな!」
「……」
アルベルトは思い詰めたような表情の後、小さく息を吐くと、困ったように笑って言いました。
「分かった分かった。そこまでされちゃもう諦めるよ」
「……本当でございますか?」
「ああ。約束する」
「お坊ちゃま……」
じいはほっとしたように肩の力を抜きました。
「今日はもう休んでくれ。じいに倒れられたらたまらない」
「しかし……」
「大丈夫だ。僕も部屋で少し頭を冷やすことにする」
「……では、お言葉に甘えまして」
そうは言うものの、じいはアルベルトが部屋に入るのを見届けるまでずっと部屋の前にいました。
「やれやれ、信用ないんだなあ」
「これまでの行いの結果ですぞ」
アルベルトは呆れた様子で部屋に入り、ドアを閉じると、やっとコツコツと足音が遠のいていきました。
「はあ……」
気だるげな溜息を吐き、広々としたふかふかなベッドに飛び込みます。
「どうするかなあ……」
そのまま物思いにふけっていると、アルベルトはいつの間にか眠ってしまいました。
気が付くと、外はすっかり夜になっています。
今日は満月。月明かりがアルベルトの部屋の中を幻想的に照らしています。
アルベルトはベッドから起き上がると、扉のような大きな窓の前に行き、ゆっくりと押し開きました。
窓からは森が一望でき、禁足地の湖も見えます。
「また……会えないだろうか」
湖を見つめたままそう呟くと、優しげな夜風が頬を撫でました。それと同時に、子どものような笑い声も聞こえます。
「だ、誰だ!?」
アルベルトが警戒した様子で辺りを見回します。
「こんばんは、人間さん」
「ウンディーネがあなたに会いたんだって。来てくれる?」
手のひらぐらいの大きさの、羽根の生えた子どもを見て、アルベルトは目を見開きます。
「風の精霊……?ウンディーネというのはまさか……!」
「そう、湖に棲む水の精霊だよ。アルベルト、君に会いたがってるんだ」
「精霊様が……僕に……。もちろん行くさ!」
アルベルトは夢中で窓から身を乗り出します。
「じゃあ行こう」
「うわあ!!」
そのまま行こうとするシルフを追い掛けようと、アルベルトはさらに身を乗り出し、窓から落ちてしまいます。
でも身体は地面に激突する事なく、風のクッションによってフワリと降り立ちました。
「こっちこっち!」
「キャハハ!」
アルベルトはシルフ達に誘われるままに、森の奥へと足を進めます。
夜の森は、昼間とはまるで違う顔をしていました。
木々の間から差し込む月明かりが、道なき道を淡く照らしています。
「こっちだよ!」
「迷子にならないでね、人間さん!」
シルフ達は楽しそうにアルベルトの前を飛びながら、森の奥へと進んでいきます。
「分かってるよ」
アルベルトも二人を追いかけるように、木々の間を進んでいきました。
精霊に導かれているからでしょうか。
それとも、この先にあの精霊様が待っているからでしょうか。
夜の森の中だというのに、今は不思議と怖くはありませんでした。
しばらく歩いていると、木々の隙間から淡い光が見えてきました。
「あれは……?」
アルベルトが足を止めます。
木々の向こうには、銀色の月明かりを静かに映す大きな湖が広がっていました。
「着いたよ!」
「ここがウンディーネのいる湖!」
シルフ達が嬉しそうに湖の上へ飛んでいきます。
アルベルトはその後を追いながら、ゆっくりと湖へ近づいていきました。
そして――
湖の中央に、一人の少女が立っていました。
月明かりを受けたその身体は、まるで湖の水そのものが人の形を得たかのように透き通っています。
淡い光を宿した水が、長い髪となって肩から流れ落ち、その向こうに月明かりが滲んでいました。
人の身体と同じ形をしているのに、その姿はどこか儚く、指先まで透明な水でできています。
そして腰から下は水面へと溶け込み、足は湖の水と完全に一つになっていました。
波が揺れるたびに少女の身体もかすかに揺らめき、月の光がその身体を通り抜けて湖面へと落ちていきます。
それは人間とも、水とも言い切れない。
まるで月明かりに照らされた湖そのものが、少女の姿を借りてそこに立っているようでした。
この世にこんなに美しいものがあるのかと、アルベルトは言葉を失ってしまいました。




