午後のお茶会Ⅰ
「これでよし、と」
花屋の正面入り口へ鍵をかけ、ラナはドアノブを何回かまわし、扉が開かなくなったことを確かめた。ケイはその様子を一歩後ろから覗き込み、興味深げに観察している。
結局、あれからブーケガルニ作りをひとりで終わらせることができず、ラナに手伝ってもらうことになってしまったが、彼女の手を借りたおかげもあって、予定していた数の商品を無事に作り上げることができた。今現在、袋詰めした完成品は裏方の棚にきっちりと並べられている。それから軽く店内の掃除をしたところで本日の業務は締めくくられ、ケイの人生初のアルバイト、その栄えある第一日目は終わった、ということになるらしい。
振り返ってみるとあまりに手応えのない仕事内容だけれど、おそらくは初日ということで仕事量を加減されていたのだろう。これから店の外側、商品である植物たちを育てる庭を見せてもらえるようだが、それも仕事の一環と言えるのかもしれない。先ほど花屋で育てている植物の中には危険な魔法植物なるものもあると聞いたばかりだ。
なかなか油断ならない状況ではあるが、たった今、目の前でおこなわれた閉店作業が物珍しく映ったことでケイの好奇心が俄かに首をもたげる。
「内側から差し込む鍵って、なんだか珍しいですよね」
思ったことをそのまま口に出しながら、グランマの家の物置部屋を思い返す。あの扉は部屋の外側から鍵を差し込む、至って普通の——繋がった行先はともかくとして——ものだったけれど、使用された鍵は自分の持つそれとよく似ている。事前の説明にあった通り、営業時間中に誰かが訪れるようなことはなかったが、その貴重な客もおそらくはケイと同じく他の世界からやってくるのだろう。もっとも、ケイ自身は店の正面入り口ではなく、魔女の家の玄関からお邪魔しているのだが。しかし、憶測そのものは正しいようだった。
「魔法使い独自の文化なのでしょうね。魔女や魔法使いは異なる世界同士を繋いで行き来することが一般的なので、こうして鍵をかけて一時的に繋がりを断つんです。そうしないと、夜中やおやすみの日でも関係なくお客様がいらしてしまうので」
ラナの説明を受け、思った通りの仕組みに納得し、物置部屋の扉を花屋と繋げてくれたグランマもやはり魔女なのだなと今さらながら実感を得る。徐々にファンタジーを受け入れつつある自分に少し驚くが、これから魔女の花屋でアルバイトとして働いていくのだから早く慣れてしまったほうがいいに決まっている。
そうやって改めて覚悟を決めるケイの横で、ラナが「とは言え、そもそもお客様がいらっしゃることは滅多にないのですけれど」などと呟くが、笑っていいものかよくわからないので曖昧な表情でお茶を濁した。店長は昼寝をしているし、店に客は来ないし、経営は大丈夫なのだろうか。そんな不安が過ぎるものの、先輩店員はあくまでのんびりとした調子でいる。
「さて、店じまいも終えたことですし、お庭へまいりましょうか」
そう言って彼女はたくさんの鍵を繋げた鍵束から、先ほど扉を閉じたものとは別の鍵を選び取り、それをふたたび鍵穴へ差し込んだ。そのまま鍵をまわせばカチャリと音を立て、施錠が解かれる。
「案内すると言いましても、そんなに広さはありませんのでそう時間はかからないと思います。ですが、先ほどお話したように中には危ない植物もありますから、今日はそれだけでも覚えていってくださいね」
穏やかに語りながらラナがゆっくりと扉を開く。重たそうな木製のドアに取り付けられたベルがチリンと鳴った。開かれ、徐々に広がっていく隙間から、オレンジがかった陽光が射し込み、爽やかな風が吹き込む。少し青っぽい草花の匂いがケイの頬を撫で、胸が瑞々しい空気でいっぱいに満たされる。
その瞬間、ケイの五感が過去の出来事を現実へ引っ張り出した。
——グランマ、グランマ。どこにいるの。
——私はお庭にいますよ。こっちへいらっしゃい。
扉の向こうでグランマが自分を呼んでいる。いてもたってもいられなくなって、迷子の子どものような足取りで扉から一歩踏み出す。すると、視線の先、眩い西日に照らされたお庭へ立つ影が微笑んだ。
——ケイ。
「——ケイさん?」
グランマの記憶に重なるように澄んだ声がケイを呼んだ。途端に幻影は霧散し、眼前には見知らぬ景色の中に立ち、不思議そうに小首を傾げるラナの姿だけが取り残される。
今のは、白昼夢というものだろうか。夢と現実が入り混じったような妙な感覚に眼を瞬かせ、ケイは数拍遅れてラナの呼びかけに応えた。
「あ……すみません。初めて来た場所なのに、なんだか懐かしいような気がして」
たった今、目にした記憶の回生については伏せ、ありきたりな言葉でぼかす。だが、それは嘘ではなかった。花屋の扉を出た先に広がる景色は広く、色彩豊かで、グランマの家の小さな庭とは比べ物にならないほどに肥沃だ。それでも、ここは何処かあのお庭に似ている。うまく言葉にはできないけれど、たしかにそう感じる己を認め、ケイは眼前の風景を眺めた。
花屋と生活空間を内包している家屋——三階建てらしいその建物は小さな塔のような外観をしている——のそばにはいくつもの植木鉢が並べられ、色とりどりの花やハーブを茂らせる。そこから視線を伸ばしていけば、地面をレンガで囲って作られた花壇にこれまた美しい花々が活き活きと咲き、そのそばには花たちを守るように低木が植えられているのが見えた。さらに奥には地植えの花畑が広がり、その合間を小川が流れ、庭の片隅には温室と思われるガラス張りの小屋が二棟ほど並んで建つ。庭のまわりは木製の柵で囲んでいるようだけれど、その外側は森が広がっているようで、背の高い木々がすっかり周囲を覆ってくれていた。
まるで森の中に隠された秘密の花園のようなお庭。外の世界から住人を守ってくれる優しい聖域。
かつて、大人しく人見知りな性格が災いしてなかなか友だちができなかったケイをいつだって迎え入れてくれたグランマのお庭とこの場所は、やっぱり何処かよく似ていた。
自然と黙り込み、風にそよぐチューリップやヒヤシンス、フリージアなどの花たちや木々を見つめていると、ゆっくりとケイの隣りへ歩んできたラナが春の陽射しにも似た柔らかい声音で語り始める。
「このお庭は、花の魔女であるロージーの力によって保護されているのですけれど、細やかなお手入れはいつも私と兄さんが担当しているんです。毎日、お水を撒いたり、肥料をあげたり、間引いたり……。そうやって手間暇かけて育てているせいか、気付いたら、私、すっかりこのお庭のことが大好きになっていたんです」
然も愛おしげに庭を眺めるラナの横顔を、傾き始めた西日が照らし、羊を思わせる癖のある白髪をキラキラと淡く煌めかせている。まるで一枚の絵のようにきれいな風景と馴染んでいる彼女はこちらを振り向き、慈しみに満ちた眼差しでケイを捉えた。
「だから、ケイさんもこのお庭のことを好きになってくれたらいいなって思っていました」
はにかむように微笑むラナの言葉はやはり素直で飾り気がない。その幼気とも言える好意はケイの心におのずと染み込んでいった。
「……ここは、いいところですね」
「ええ。私もそう思います」
ふたりはそれきり口を噤み、並び立って庭を見つめた。風が吹くたびに草葉が揺れ動き、心地好く耳を撫でる音を奏でる。何処かで鳥が鳴いていたが、ふたりは黙ったまま居心地のいい沈黙を共有し続けた。
けれど、その静寂もやがて終わりを告げる。
「ラナ? 庭にいるの?」
家の中から何やら寝惚けたような声が飛んできた。それまで安穏を湛えて佇んでいたラナが振り返り、頬を緩ませる。
「あら、ロージーが起きたみたい。ロージー! 私はお庭にいるわ」
壁越しにも聞こえるように声を張り上げ、寝坊助の魔女を呼べば、室内で微かな気配が動き始めた。花屋の隣室と思わしき位置にある窓の向こう、レースのカーテンにて隠された中でゴソゴソと蠢くそれは、石の裏に潜む虫にも似ている。
ややあって店を正面から見て右手側、テーブルと椅子が置かれたテラスへ繋がるガラス戸が開かれ、中から大きな片掛け鞄を提げたロージーがのそのそと姿を現した。見事な赤毛に見事な寝ぐせをつけた彼女は、裸足のままてちてちと軒下のテラスから庭へ降り立ち、こちらを見て意外そうな声を上げる。
「ん、なんだ。君もまだいたんだ」
「もう。また失礼な言い方をして。そもそも新人さんが来ているのに眠りこけている店長なんて、聞いたことがないわ」
「ここはそんなに堅苦しい店じゃないんだから別にいいでしょ。店長権限だよ」
「そんな権限はありません」
寝起きから遠慮なく繰り広げられる無茶苦茶な言い分をラナが窘める。だが、ロージーは何処吹く風といった調子で即座に話を逸らした。
「それよりさ、そろそろお茶にしない? ぼく、喉が渇いちゃった」
「これからケイさんにお庭の案内をするところなのだけれど……」
「そんなの、お茶を飲みながらでもできるよ。ラナだって昨日は張り切ってお菓子を焼いてたじゃない」
「それは……」
指摘され、口ごもるラナは困ったような顔をしている。その様子に心当たりを覚えたケイは、すかさず昨日も伝えたことをふたたび口にした。
「俺も、ラナさんのお菓子を食べられるのを楽しみにしてました」
「まあ」
ケイの言葉に喜んだラナが口元で両手を合わせ、目を丸くする。その姿は愛嬌を感じさせ、思わず顔を綻ばせかけるが、女性相手に失礼かと思い直し、寸でのところで抑え込んだ。
ともかくとしてケイの意見が最後のひと押しとなったらしい。今しがたロージー相手に渋っていたはずの彼女はいそいそと花屋のエプロンを脱ぎ、完全に仕事モードをオフにした。
「では、せっかくですし、お庭でお茶の時間にしましょうか。紅茶の準備をしてきますね」
「手伝います」
花屋の入り口ではなく裏手の玄関へ向かうラナの後を追うと、視界の端でロージーが肩から提げた鞄を下ろし、ひらひらと手を振った。後は任せたということだろう。手伝うつもりがまったくない魔女を置いて、ふたりは歩幅を合わせて歩いていく。
「今回はお店の裏で採れたニンジンを使って、キャロットケーキを焼いたんです。くるみとレーズンが入っていて、上からクリームチーズのフロスティングをたっぷりかけていただくのですが、ロージーと兄さんには好評なんですよ。ケイさんにも気に入っていただけるかしら。ああ、兄さんもそろそろ帰ってくる頃でしょうから、お茶もたっぷり用意しなくちゃ」
屋内へ戻るまでの短い道中、すっかりご機嫌になったラナは弾んだ声色で矢継ぎ早にしゃべり続けた。その無邪気な喜色を隣りで眺め、時おり相槌を打ちながら、ケイもまた彼女の話に耳を傾け続けたのだった。




