魔女の花屋Ⅱ
バックヤードから出た先は花屋のレジカウンターの中だった。そこからは店内全体を見渡せるようで、ケイは少し視線を走らせるだけで花屋の大まかな様子を確かめることができた。
こうやって少し見るだけでも店内の隅々まできれいに掃除されているのがわかる。明かり取りの窓もピカピカに磨かれていて、柔らかな陽光を室内へ持ち寄っていた。カウンター近くの大きなガラス製のケースには生花が、店内にいくつか設置されている木製の陳列棚には瓶詰の種子や園芸道具などが並べられている。ケイたちが内に立つ木製のカウンターは長く、端には流し台も取り付けられており、その横のスペースは作業台としても使えるらしい。カウンター下に設けられている収納棚には文具や手動工具などがしまわれているのが見えた。
こじんまりとした、けれど清潔な店内を眺めていると、ラナが作業台スペースの前にスツールをふたつ運んできて並べた。カウンターの内側はふたりが共に立ってなお、充分な広さがある。ひとまず流し台で順番に手を洗い、ふたりはスツールへ腰を下ろした。バックヤードから持ち込んだバスケットの中から複数の植物を取り出し、それらをカウンターの上へ配置しつつ、ラナはケイにとって初めての仕事を説明する。
「それでは、まずハーブを束ねましょうか。数種類のハーブを小さな花束のようにまとめて紐でくくってください。ケイさんはセージとタイム、ローズマリー、それからセロリをお願いします。今、お手本をお見せしますね」
そう言ってケイの先輩店員は四種のハーブを手に取り、重ね、それを麻紐でまとめるように結んだ。説明の通り葉で出来た小さな花束のような仕上がりだ。
目の前で見本を確認したケイも、ラナに倣ってハーブへ手を伸ばした。見様見真似でハーブをまとめ、紐を括る。お手本のようにすんなりとはいかないものの、形にはなったように思う。念のため出来上がった品を確かめてもらおうと、ラナに確認を取る。
「こんな感じで大丈夫ですか?」
「ええ、お上手です。ケイさんは器用なんですね」
褒められるとお世辞だとしても少し照れる。お墨付きをもらい、要領を得たケイはせっせとハーブの束を量産し始める。隣りに座ったラナも、ケイとはまた異なる材料を用いて何かを作り始めた。
束の間、店内は静寂に包まれる。だが、不思議と気まずさはない。互いに別の作業に集中するがゆえの心地の好い沈黙。ラナの温和な人柄がそうさせるのだろうか。あまり気の利いた話題を提供する自信のないケイにとって、それはとてもありがたいことだった。
そのままふたりは黙々と作業を進める。カサカサと手元の葉が擦れる音と、窓の向こうで木々の枝葉を撫でつける風の音だけが耳に届く静かな空間。その静けさと目前のハーブたちは、無心になりつつあったケイの脳裏にある記憶を蘇らせた。
——グランマ、それ、なあに?
いつの日かの台所で、幼いケイが、グランマの手にあるものが何であるか訊ねる。葉っぱの塊にも見えるそれは、まるでおままごとで作った、草や泥で見立てた食べ物に似ていた。
まさかこれを食べるのかな。それじゃあまるでウサギみたいだ。当時、まだ野菜が苦手だったケイはドキドキしながらもその正体を知りたがった。
——これは魔法の葉っぱなの。ケイのご飯をおいしくしてくれるのよ。
心配そうに手元を覗き込んでくる孫へグランマは優しく笑いかけ、少しおどけたようなことを言った。そのはぐらかすような説明はケイの不安をより煽ったけれど、結局いつまで経っても件の葉っぱはケイのお皿の中には現れなかった。
そういえば、今日に至るまで正体を知る機会を得られなかったあの葉っぱと、今まさにどんどんと作り上げているハーブの束はよく似ている。記憶を辿り、ふと昔の疑問を思い出したケイはおもむろに静寂を破った。
「あの、このハーブの束はどうやって使うものなんですか?」
「ケイさんにお願いしたものはお料理に使います。ブーケガルニと言って、臭み消しや風味付けとして煮込み料理によく使われますね。こちらは魔法使い協会の食堂にも卸すのですけれど、うちのハーブは評判がいいんですよ」
「へぇ……」
ブーケガルニ。自身が作っている商品の名と使い道を教わり、ケイはひとりで納得する。グランマが使っていたあの葉っぱの塊も、きっとこのブーケガルニだったのだろう。すっかり忘れていたとは言え、長年の疑問が解消されると気分がいい。
だが、ここは魔女の花屋だというのに商品は案外ファンタジーではないのだなという考えも同時に浮き上がる。すると、そんなケイの思考を読み取ったかのようにラナがクスリと笑った。
「魔女の花屋なのに、案外、普通だなって思いました?」
「あ、いえ……いや……そうですね……正直、思いました」
一瞬、誤魔化そうかとも思ったが、すぐに観念して本音を認める。もとは魔女だったとは言え、ファンタジーの欠片も感じさせなかったグランマが使っていたような何の変哲のないハーブも売っているのは意外だった。ケイの素直な態度に、ラナは作業の手を止めずにまた一度、笑う。
「うふふ。でも、こういったハーブの効能を活かすのも、昔は魔女の専売特許だったみたいですよ。魔女の伝統とも言えるでしょうか。リトル・ガーデンで育てている植物はみんな生き生きとしていて、古株の魔女様たちからも質がいいとよく褒めていただけるんです。小さな店ですから、あまり多くは売りに出すことはできませんけれど」
ラナの説明に納得し、グランマがハーブを使った民間療法にも詳しかったことを思い出す。なるほど、あれらは魔女の嗜みというやつだったのかもしれない。事あるごとに飲まされたハーブや柑橘類を甘く煮詰めた手作りのシロップの味が舌に過ぎり、懐かしい気持ちに浸る。しかし、そんな現実逃避じみた懐古は直後に続いたラナの注意によって掻き消えた。
「中には危険な植物もありますから、慣れないうちは自己判断で触れないようにしてくださいね。適正がないと扱えないものもありますし」
「……それは、たとえば今ラナさんが扱っているものとか?」
話の流れがそちらへ向いたこともあり、ケイは恐る恐るラナの手元にあるそれ——苦悶に歪んだ顔をした小人のミイラのようなものを指し示した。
先ほどからずっとチラチラと視界に入っていたものの、得体のしれない不気味さゆえに見て見ぬふりをしていたのだが、〝危険な植物〟の存在を知らされた今——それが本当に植物かどうかは置いておくとして——放置するほうが危険だろう。そう判断して踏み込んだわけだが、その考えは当たっていたようだ。
乾ききり、カサカサと軽い音を立てるミイラを麻紐で括りながら、ラナはあっさりとケイの指摘を認めた。
「はい。こちらはマンドラゴラと言って、収穫する時に絶叫する魔法植物なのですが、その叫びを聞いた者は死んでしまうのですよ」
——こっちのマンドラゴラはおとなしくていい子ね。でも、おとなしくても毒があるから、ケイは触っちゃだめよ。
ラナの説明に、刹那、グランマの記憶が重なって聞こえた。
昔は植物相手に何を言っているのだろうと不思議だったけれど、たった今、その疑問の答えを得てしまった。地面へ這うように葉を広げ、その中央に咲くベルのような形をした淡い色の花を頭の中のアルバムから見つけ出していたが、目前にある危険なミイラとは似ても似つかない。死の叫びを上げるほうのマンドラゴラも、ファンタジー小説などに出てきた記憶はあるものの、それはあくまでフィクションだ。リアルに対峙した濃厚なファンタジーに対し、信じたくないような気持ちが湧き上がり、気が遠くなりかける。
でも、新たに気になることもあった。わからないことはきちんと訊いたほうがいい。ラナも遠慮なく訊ねていいと言っていた。故に、ひとまず混乱を脇に置き、ケイは聞き慣れない単語について質問した。
「あの、魔法植物って何ですか?」
「簡単に説明しますと、魔力を多く含む植物を魔法植物と呼びます。一般的な植物、たとえば、そちらのハーブなどは自ら動くことはできませんよね。ですが、多くの魔力を有する魔法植物は種によって違いはあるものの、動いたり、しゃべったりして意思表示できるものが多いです。このマンドラゴラも植わっている時はおとなしいですけれど、一度、土から引き抜くとそれはもう大騒ぎで……」
叫ぶと聞いた時点で薄々察してはいたけど、他にも動く植物があるのか……。思わず何処か遠くを見つめかけるが、ラナの話はまだ続く。
「でも、私にはちょっとした特技がありまして、マンドラゴラを安全に収穫できるんです。ロージーによると、ケイさんはマンドラゴラの叫びに耐性があるそうですが、新鮮なマンドラゴラは走って逃げだすこともあるので気をつけてください」
「……しばらくは手出ししないようにしようと思います」
「それがよろしいかと。この時期に収穫するのは雄株なので、暴れられたら少し手こずりますし」
どうしてケイ自身も知らない耐性とやらをロージーが知っているのかも気になったけれど、それ以上に未知なるマンドラゴラへの不安が勝り、ケイはひとまずの逃避を決め込んだ。いずれは立ち向かう日も来るのだろうが、アルバイト初日に触れていいものではない。
今も作業台の上で休みなく束ねられつつあるマンドラゴラたちをチラリと見やる。ひとつひとつ表情の異なるそれらは泣いたり怒ったりしているように思え、何度見ても不気味な様相に僅かに怯む。そんなケイの様子を見たラナは安心させるように微笑み、おそらく善意から情報を付け足した。
「この子たちは乾燥させているのでもう動いたりしませんよ。水を与えたらたまに息を吹き返すものもありますけれど」
「……魔法植物って、すごいですね」
「個性的ですよね。私も最初はびっくりしました」
ニコニコと笑むラナはやはり温和そのものだ。けれど、びっくりしたで済ますのは些か豪胆というものではなかろうか。
少しばかりラナに対する印象を改めていると、彼女はパチリと手を鳴らして場の空気を切り替えた。
「さあ、残りの作業を終わらせてしまいましょう。これらが片付いたら今日はもうお店を閉めて、お庭を案内しますね」
見れば紐で括られていないマンドラゴラはあと僅かといった量まで減っている。対し、自分に割り振られた何の変哲もないハーブたちはまだまだたっぷりとケイを待ち受けていた。
このままではラナのほうが随分と早く作業を終わらせてしまう。そんな自明の理を目の当たりにしたケイは急ぎ止まっていた手をふたたび動かし始めた。せめて少しでも早く多くのブーケガルニを作ってラナを待たせる時間を少なくしたい。
そうやってできるだけ手早く、しかし丁寧に店の商品を作り続けていくうちに、隣りで積み重ねられていく乾燥マンドラゴラの奇怪さも徐々に意識から薄れ、やがては完全に気にならなくなった。




