魔女の花屋Ⅰ
鍵を使い、物置部屋の扉を開く。すると、チリンと扉に取り付けられた鐘が鳴り、ケイの来訪を告げた。ちゃんと扉が繋がったことを確かめ、事前に教わった通り鍵を引き抜き、ふたたびポケットへしまい込んで後ろ手にそっと扉を閉じる。
視界に広がる光景は、やはり昨日見たものと変わらない。短い廊下、二階へ続く階段、閉ざされた扉、アーチ壁。ふたたび花屋を兼ねた魔女の自宅の玄関からお邪魔することになったケイは、やっぱり夢じゃなかったんだと内心で呟いた。とは言え、僅かながら時間を置いたことで心構えは少なからずできている。もう多少のファンタジーでは驚くまい。
そうやって密かに己へ言い聞かせていると、すぐそばのバックヤードからラナが顔を見せた。
「お待ちしてました、ケイさん」
相変わらず穏やかな調子で微笑む彼女は、品のいいフリルブラウスとロングスカートという出で立ちに、カーキ色のエプロンを身に着けている。昨日は気が動転していて意識していなかったが、ケイの思い描く——あまり花屋を利用したことがないため、これはただの想像に過ぎないが——お花屋さんのイメージにぴったりな装いのラナは随分と背が高い。既に日本男性の平均身長程度には育っているケイとほとんど変わらないのではなかろうか。
人種の違いのせいか(そもそも相手は獣人である)わかりにくいが、年齢はケイよりも幾分か上に思える。そう言えば、きのう会ったトーラスは、ケイはもちろんラナよりも随分と年上に見えた。ふたりは年の離れた兄妹なのかもしれない。
そんなことを考えつつ、ケイは軽く会釈をした。これから人生初のアルバイトが始まるのだという緊張感が背筋を正す。
「こんにちは、ラナさん。ええと、今日からよろしくお願いします」
「うふふ。そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。一緒に頑張りましょうね」
「は、はい」
バックヤードへ戻るラナの後ろについてアーチ壁を潜る直前、チラリと廊下の奥の扉を見やる。しっかりと閉ざされた扉は向こう側の気配を完全に遮断していた。昨日の今日、それもアルバイト初日なのだから、店長である魔女に挨拶をしたほうがいいのではないかと思い、前を行くラナへおずおずと声をかける。
「あの、ロージーさんは……」
「それがお昼寝中なんです。困った店長でしょう?」
バックヤードの中で立ち止まり、こちらを振り返ったラナが苦笑する。彼女は事前に用意していたのか、作業台に並べた数々の植物を種類ごとにまとめながら話を続けた。
「実のところ、彼女はほとんど店に出てこないんです。だから、ケイさんの新人研修も私と兄さんで担当していくことになりますけれど、わからないことや気になることがあったら遠慮なく訊ねてくださいね」
「わかりました。……あの、ラナさん」
「はい、なんでしょう」
作業の手は止めないものの、ラナの受け応えは至って穏やかだ。故に萎縮や遠慮をすることなく、ケイは店長と同じく姿の見えないもうひとりの従業員の行方を訊ねる。
「早速の質問なんですけど、トーラスさんは今どちらに……」
「兄さんは商品の配達に行っています。いつも私が店番をして、兄さんが注文品をお客様へお届けするんです。と言っても、お店にお客様が直接いらっしゃることは滅多にありませんから、私は大概、店番ついでに一部の商品を作ったり、花たちのお世話をしたりしています。今はまだ営業時間内ですし、ケイさんにも私と一緒に作業していただこうと思っているのですけれど、よろしいですか?」
「はい。大丈夫です」
「それから……」
兄の動向から普段の業務、そしてこれからケイがやるべきことを簡潔に説明したラナが俄かに口ごもり、作業の手を止める。彼女は少し迷うような素振りを見せた後に、作業台の端に置かれていたものを手に取り、それをケイの前で広げた。
「リトル・ガーデンには制服はないのですけれど、一応、揃いのエプロンはあるんです」
畳まれた布のように見えたそれは、今ラナが身に着けているものと同じカーキ色のエプロンだった。両手でエプロンを広げ、その後ろで何やら恥ずかしげにしている先輩店員は遠慮がちにさらに言葉を添えた。
「私が縫ったものなのでプロの裁縫師のような出来ではありませんが、もし、差し支えなければ……」
「ぜひお借りしたいです。エプロンがあれば水仕事や土いじりをしても服が汚れないから、嬉しいです」
「まあ、本当ですか」
途端にパッと花びらが開くような笑顔を見せるラナはやはり素直で朗らかだ。ケイの申し出がよほど嬉しかったのか、少々口数の増した彼女は両手で握ったエプロンの肩紐を胸元へ引き寄せ、弾んだ声を出した。
「兄さんは着けてくれるのですけれど外回りが多いですし、普段お店どころか自室にこもっているロージーは全然使ってくれなくて……せっかく縫ったのにちょっと寂しかったんです。ケイさんも使ってくださるなら、私も報われます」
そう言って差し出されたエプロンを受け取り、ケイは手作りだというそれをまじまじと眺めた。ラナは謙遜していたが、素人目には売っている品物と区別がつかない。その出来栄えに感心して、率直な言葉が口から飛び出る。
「ラナさんは裁縫が上手なんですね」
「普段は編み物ばかりしていますけれど、縫い物も嫌いじゃないんです」
はにかみながらもラナの手は作業を再開し、まとめた植物をバスケットへ収納していく。その慣れた手つきを目にしてこのまますぐに彼女が作業を終わらせることを覚ったケイは、せめて彼女を待たせぬように、早速エプロンを身に着けた。後ろ手に腰紐を結び、皺を伸ばすように腹の辺りを撫でつける。生地が厚く、如何にも丈夫そうなエプロンはなかなかに頼もしい。
そうして少しは花屋らしい格好になったケイを見たラナがまたもや嬉しげな微笑を湛えた。羊の耳がピコピコと上機嫌に揺れると、右耳につけた——おそらく彼女の兄と揃いの——耳飾りが微かな光を反射してキラリと輝く。
「それでは、本日もつつがなくまいりましょう」
作業台の上の植物をすっかりしまい込んだバスケットを抱え、彼女はバックヤードの奥、大きな棚の陰に隠れた入り口へ向かう。そんなラナの後を追い、ケイの初めてのアルバイトは何処か軽やかな気持ちで幕を開けたのだった。




