午後のお茶会Ⅱ
「よう。お疲れさん」
二階の台所でお茶会の準備をして、ロージーの部屋の前、軒下のテラスへ戻ると、配達を終えたらしいトーラスが出迎えてくれた。彼はお茶会の会場を仕度してくれていたようで、ガーデンテーブルにはまっさらなリネンのテーブルクロスがかけられ、四つ用意されたガーデンチェアには葉っぱ一枚すら落ちていない。
急ごしらえにしては上等な出来栄えのそこへ抱えてきたバスケットを置いたラナは、自身よりも頭ひとつ大きい兄を見上げ、ニッコリと笑った。
「おかえりなさい、兄さん」
「ただいま。いいタイミングで帰ってこれてよかったよ。仕事終わりの一服は格別だからな」
上機嫌にそう言ってトーラスが席に着く。それから頬杖をつくと、彼はトレイに乗せたティーセット一式を運んできたケイへ声をかけてきた。
「それで、初めてのアルバイトはどうだった?」
「えっと……」
繊細なハーブの絵が描かれたティーセットを慎重にテーブルの上へ下ろしながら、自身の内にある所感を言葉にするべく今日の出来事を振り返る。けれど、そんなことを待つ暇はないと言わんばかりに、トーラスの隣りの席でだらけた格好をしていたロージーがケイの言葉を遮った。
「今日はお客も来てないし、スワッグかブーケガルニでも作って終わりでしょ。それでお茶まで飲めるんだからいいご身分だね」
なんとも容赦のない物言いではあるが、事実でもある。何も言い返すことができないケイは言葉を詰まらせ、視線を彷徨わせた。そうすると、持ち込んだバスケットからガラスのカバーを被せた木製のケーキスタンドを取り出していたラナが、すぐさまケイに代わって反論してくれる。
「ロージー、やめて。そもそも、細かい雇用条件をまだ決めていないから今日のところは大したことをさせられないって言ったのはあなたでしょう」
「寝て起きたら忘れたよ、そんなこと」
「もう……。ケイさん、どうか気になさらないでくださいね。自分で働けと迫っておいて、肝心なことは何ひとつ決めていなかったロージーが全面的に悪いので」
「いえ、その、大丈夫です」
テーブルに顎を乗せ、不機嫌丸出しのロージーをチラリと見やり、ケイは不器用に笑みを作った。どうにも花の魔女はケイに対して当たりがきつい。その理由が、おそらくはケイがグランマの孫であることに起因するのではないかというのは察しつつあったものの、出会ったばかりの魔女へ訊ねるわけにはいかないし、何よりその答えを知るには心の準備が足りていない。
そんなわけで今はただ愛想笑いをするしかないのだが、さすがにこのロージーの態度は目に余るようだ。ラナから渡されたナイフでケーキを切り分けていたトーラスもお説教へ参加してくる。
「まったく、花の魔女殿は近頃どうにもご機嫌斜めで困るな。茶会の時くらいは棘をしまっておけよ」
「ふん。花はワガママなものだろう」
兄妹ふたりがかりの苦言にもロージーは屈しない。不遜に鼻を鳴らし、ジトッとした眼つきで他の三人を睨みつけている。だが、昨日から節々で感じている気まぐれな性分はここでも発揮されるらしい。
ここまでずっと不貞腐れたような顔をしていたロージーだったが、ふとケイの顔を見たかと思うと、急にスンと表情を変え、だらしなく伏せていた姿勢を正してきちんと椅子に座り直した。
「ま、決め事を定めない限り、動きようがないのは確かだね。ほら、椅子に座って。お茶を飲みながら話し合おう」
直前までの態度は何だったのか、いけしゃあしゃあとそんなことを宣うロージーを目の当たりにしてケイはすっかり呆気に取られた。気分屋にも程があるというか、予測不可能な心模様はいっそ見事とすら言える。魔女という生き物は皆こんな調子なのだろうか?
解せない気持ちで唖然としていると、見かねたトーラスがロージーの向かい側に当たる席の椅子を引き、ケイにそこへ座るように促してきた。たった今、ロージーからも座るように言われたこともあり、おずおずと指し示された席へ腰を下ろす。すると、隣りの席のトーラスはさりげなくこちらへ身を寄せ、こっそりと耳打ちしてきた。
「悪いな。やりにくいだろうが、その内に落ち着くだろうから適当に付き合ってやってくれよ」
こちらを気遣うように囁かれた言葉に、黙って目線で頷く。しかし、同じテーブルに着いている以上、内緒話はなかなか難しいものだ。ラナから紅茶を淹れたティーカップを受け取ったロージーが男ふたりをじろりと睨めつける。
「トーラス、何か言った?」
「いいや? 大した話はしてねぇよ。そんなことより喉が渇いたんだろ。うかうかしてると、せっかくラナが淹れてくれた紅茶が冷めちまうぞ」
「そうそう。それに、今日のキャロットケーキは我ながら上手に焼けたの。早く食べましょう?」
息ぴったりに連携した兄妹ふたりの勢いに押され、ロージーは不信感に満ちた眼をしながらも素直に紅茶に口をつけた。それからフォークを握ると、トーラスから手渡されたクリームチーズのフロスティングがかかったキャロットケーキをひとくちサイズに切り分け、頬張る。
「ね、おいしいでしょう?」
「まあまあだね」
「あら、可愛くないこと言って」
憎まれ口を叩きながらも、ロージーの手は休むことなくケーキを口へ運び続ける。彼女が本日のケーキを気に入ったことは一目瞭然だった。
その様子を見届けたラナは安心したように肩の力を抜くと、ケイの前へ温かな紅茶を差し出し、笑いかけてきた。
「ケイさんもどうぞ召し上がってくださいね」
「あ、はい。ありがとうございます」
気を取り直し、ケイもフォークを握って、ロージーのご機嫌取りをしている間にトーラスが配膳してくれていたケーキ皿へ向き合う。小さめにカットされたケーキに、大匙にたっぷり一杯分ほどの真っ白なフロスティングが添えられている。今日は昼食を少し控えてきたこともあり、このくらいならば問題なく食べられそうだ。構えることなく軽い気持ちでおやつに取り掛かることができる。
「いただきます」
ケーキを切り分けるためにフォークを入れると、スポンジケーキよりも幾分かどっしりとした感触が伝わってくる。だが、重たいわけではない。むしろ柔らかな生地はすんなりと切り分けられた。中から覗いているのは胡桃とレーズンだろうか。
久方ぶりの手作りケーキにノスタルジックな印象を感じながら、ケイはそれをひとくち口にした。そして、思わず呟く。
「おいしい……」
「お口に合ってよかったです。自分の作ったお菓子を初めて召し上がっていただくのは久しぶりで、実はちょっと緊張していたんです」
はにかむラナの言葉を聞きながら、確かめるようにもうひとくち食べてみる。最初に香るのはやはりシナモンの風味だった。そこから胡桃の香ばしさとレーズンの甘み、そしてシナモンに寄り添うようにジンジャーやナツメグが顔を覗かせる。そんな素朴ながら複雑な味わいを、檸檬の香りのする少し甘酸っぱいフロスティングが優しく包む。時おり、細く切られた千切りのニンジンがひょっこりと現れるけれど、しっかり火の通ったそれは柔らかく、ほとんど気にならない。それどころか、本来は擦り下ろしたニンジンを使うレシピが多い中であえてニンジンを千切りにしているこのケーキは、昔、グランマが作ってくれたものとよく似ていた。
「……本当においしいです。小さい頃にグランマ……祖母がたまに焼いてくれたニンジンのケーキを思い出しました」
じっくりと咀嚼していたケーキを飲み込み、素直に胸の内を明かす。味覚に基づく記憶を強く揺さぶられ、目眩すらしそうだった。
もう二度と食べることはできないと思っていた、思い出のケーキ。その味をいくらでも確かめていたくて、ここ最近の食欲のなさを忘れて、もうひとくち頬張る。
そんなケイの様子を正面から眺めていたロージーは、唇の端にフロスティングをつけたまま、あっさりとケイが抱く郷愁の理由を明かした。
「そりゃそうさ。ラナのケーキはアイリスが残していったレシピを参考にしているんだから」
「グランマが……」
——このケーキにはニンジンがたくさん入っているの。こんなに甘いのに、お野菜が入っているなんて、少し不思議なケーキね。
刹那、過去に何度もキャロットケーキを焼いてくれたグランマの声が頭の中に響いた。野菜が苦手だったケイのために、少しでも栄養が摂れるように甘いケーキにしてくれたグランマ。その優しさを思い出し、胸の奥がズンと重たくなる。
泣くかもしれない。頭の片隅でそんな予感が湧き上がる。でも、それはあり得ないことだと端からわかっていた。
グランマが倒れたと聞いた時——否、五年前にグランマの家を出てからというもの、ケイは一度たりとも泣けた試しがない。グランマが死んだ時も、お葬式を挙げた時も、涙は一滴も出ず、ついに今日に至ってしまった。
だから恋しい味に触れた今も、幼い頃の記憶をなぞり、経験則から当時ならば泣いていたという確信はあれど、肝心な涙の気配は微塵も感じられない。ただ、懐かしい。その感覚だけがケイの身の内で膨らんでいく。
食べかけのケーキに視線を落とし、乾いた眼を一度、二度と瞬かせる。ティーカップの中、色つきの水面に映る己の表情は薄い。
俄かに黙り込んだケイの姿に何かを察したのか、ラナがロージーの言葉を引き継ぎ、会話を繋げた。
「ケイさんのおばあさまが残していってくださったレシピ、私、どれも大好きなんです。私の作るお菓子は、このキャロットケーキも、アップルパイも、カップケーキもおばあさまのレシピをお手本にしていて……。また焼いた時は、ケイさんにお味見していただいてもいいですか?」
「……ぜひ。俺も、ラナさんのお菓子をもっと食べてみたいです」
あくまで他愛無いおしゃべりというていで語り掛けてくれたラナへ、ケイは本心からの言葉を返した。やはり涙が出てくる気配はなく、小さな微笑が目元を僅かに歪めるばかりだったけれど、彼女の心遣いがただ嬉しかった。




