グランマの手紙Ⅱ
「————読み終わった?」
しばし呆けたまま手元の手紙を読み返すでもなく眺めていると、遠慮がちな声がケイの意識を現実へと引き戻した。ふらふらと視線を上げれば、相変わらずハンギングチェアでクッションに埋もれている花の魔女がこちらを窺うように見つめている。グランマは彼女が自分を恨んでいるかもしれないと手紙に書いていたけれど、その眼差しにいくらか気遣うような色が宿っている気がして、ケイは思わず素直に心の内を吐露した。
「なんだか、夢でも見ているような気がします……」
「だろうね。すぐにすべてを受け入れろなんて言わないよ。でも、現実は現実。どうにかしなくちゃいけない」
先ほど世界に対する見解をさっさと更新しろと宣ったのと同じ口で、彼女は幾分か優しいことを言った。とは言え、元来の性分が現実主義的なのだろう。まだうわの空でいるケイを傍目にどんどん話がまとめられていく。
「状況が前後しちゃったみたいだけど、アイリスの頼みなら聞かないわけにはいかないからね。魔法使いとしての君の面倒はぼくが見るよ。不本意ながら、ね」
言葉の最後に何故か僅かばかりの棘を潜ませ、ロージーは意味深に眼を細めた。厳しいことを言ったかと思えば優しさを見せ、優しさを見せたと思えば意地の悪いことを言う。一貫性のない魔女の言動はケイを大いに困惑させ、反応を鈍らせる。
こういった場合、何と返すのが正解なのだろうか。いまだ地に足のつかない頭を働かせようと試みても、気の利いた答えなんて出てくるはずもなく、ケイは言葉を詰まらせる。
その矢先、開かれたままでいた部屋のドアから、ケイをここまで連れてきてくれた女性が——ロージーはラナと呼んでいた——両手にティーセットを乗せたトレイを持って戻ってきた。ふたりのやり取りを聞いていたらしい彼女は、至って慣れた様子で不遜な魔女を諫める。
「ロージー。お客様に失礼な物言いをしないの」
「む」
どうやら手厳しい魔女もラナには頭が上がらないようだ。一瞬、不満げな顔をしたものの、彼女が何かを言い返すことはしなかった。
そんなロージーを放置して、ラナは自らが持ち込んだお茶とお菓子を配膳していく。物に溢れたテーブルから器用にスペースを確保してそこへトレイを置くと、野いちごが絵付けされたティーポットを手に取り、丁寧な所作で揃いのティーカップへ静かにお茶を注ぎ入れる。ふわりと漂ってきた香りは予想通り紅茶のものだ。
ふたつのカップへ均等にお茶を淹れ終えたラナは、使われていないスツールをケイのそばまで移動させると、そこへカップの片方と白い花を模った小皿を置いた。
「どうぞ、お召し上がりください。お口に合えばよろしいのですけれど」
小皿には何やらクッキーのようなものがふたつみっつ乗せてある。棒状に切り分け、小さな穴を整列させるように空けた、子どもが遊ぶブロックの玩具にも似たその焼き菓子は幼い頃に何度も食べたことがあった。
「紅茶とショートブレッドが嫌いなやつなんているわけないよ」
「またロージーはそんなことを言って」
同じようにサイドテーブル代わりのスツールへ自らの取り分を用意してもらったロージーが、早速ティーカップを手に取りながら妙に小生意気なことを言った。それをすかさず注意するラナだったが、当の本人は紅茶を啜って知らん顔を決め込む。
そんなふたりのやり取りから、出された焼き菓子がショートブレッドであることを確かめつつ、ケイもおずおずと自分のティーカップへ手を伸ばした。
「じゃあ、あの、いただきます……」
カップを傾ければ温かな湯気にふわりと顔を撫でられる。そのままひとくち紅茶を口に含むと、花を思わせる華やかな香りが広がり、微かな渋みが舌に滲んだ。
そうやって口内を潤したところでショートブレッドを齧る。サクリと小気味いい音を立てて噛み切られた生地は、咀嚼するごとにホロホロと舌の上で崩れていく。濃厚なバターの風味と小麦の味わい。かつて慣れ親しんだ味に近しいそれは食欲のない今のケイには些か荷が重い。だが、軽やかな紅茶の助けを借りればどうにか食べきれそうだ。
密かに安堵し、透き通った琥珀色の水面へ向けていた視線を上げる。すると、ティーポットに毛糸で編まれたティーコージーを被せていたラナと目が合った。ちょうどショートブレッドを飲み込んだところだったケイは、咄嗟に当たり障りのない感想を口にした。
「あ……えっと、おいしいです」
「よかった。こちらのショートブレッドは魔法使い協会のベーカリーで購入したものなのですが、私も大好きなんです」
半分は社交辞令のような言葉にもラナはにこやかに対応してくれる。そのことに少々罪悪感を抱きながら、聞き慣れない単語に引っかかるが、ラナとロージーは既にどんどんふたりで話を転がしていっていた。
「なんだ、ラナの手作りじゃないんだ。お菓子はラナの作ったほうが上等だろうに」
「ロージーは気にしないけれど、初めてのお客様に素人の獣人が作ったものをお出しするわけにはいかないでしょう。私は被毛のないタイプだけれど、やっぱり気になさる方は多いもの」
もはや紅茶を飲みながら耳を欹てることに専念するしかなくなったケイはふたりの会話を聞き、ジュウジンという単語を頭の中で拾い上げた。おそらくは〝獣人〟と書くのだろう。たしかにラナの特徴は羊、つまりは獣を思わせる。体毛のないタイプと言うからには体毛のあるタイプもいるということだ。どういう容姿をしているのか少々好奇心を擽られるが、女性ふたりの話の腰を折る度胸などケイにはない。
そんなわけで口を挟むようなことはせず、栗鼠のようにポリポリとショートブレッドを齧るロージーがラナの言い分を小馬鹿にするように鼻で笑う様を聞き届ける。
「ラナはぼくよりも清潔だから気にするほうがおかしい」
「そう思うのなら毎日お風呂に入ってちょうだい」
「お湯も石鹸も嫌いなんだよね」
平然と不衛生なことを宣うロージーに対し、ラナが呆れたような顔をする。どう考えてもラナの言うことが正しいけれど、ロージーにはこの件に関してこれ以上取り合うつもりがないらしい。何ともわかりやすく挿げ替えられた話題の矛先はケイへ向けられた。
「ラナのお菓子は絶品だから、機会があったら君も食べてみるといい。おすすめはキャロットケーキとアップルクランブルだよ」
「そんなことを言ったら断りにくいでしょう。ごめんなさい、ロージーはあまり人の都合を考えないところがあって」
「失礼だな」
「失礼なのはあなただと思うのだけれど……」
話の矛先を向けられたはいいものの、ふたりの会話のテンポに入り込むのは至難の業だ。しかし、先ほど社交辞令をついた気後れもあり、ケイは自らの考えをきちんと伝えておこうと僅かな会話の切れ目を狙って声を上げた。
「いえ、俺も、ラナさんのお菓子、食べてみたいです」
「まあ。本当に? 嬉しい」
パッと花咲くように笑うラナは然も嬉しげで、素直な性分を感じさせる。その面差しを見て、思いきって言ってよかったと密かに胸を撫で下ろす。相変わらず食欲はないけれど、ラナが心配しているようなことをケイは気にしていない。ただそのことを伝えたかった。
だからこそ、自分が口にした言葉を嘘にしてはいけない。もともとお菓子は嫌いじゃないけれど、もう少しこの情けない食欲を増しておかなければ。ご馳走になるのなら、おいしくいただくべきだ。
胸の内でそんな決意をしていると、食べこぼしたショートブレッドの屑を口元につけたロージーがまたしてもさっさと話をまとめる。
「じゃあ、それは次の機会だね。今日のところはおやつを食べたら帰りなよ。こっちにも準備というものがあるし、君にも考える時間は必要でしょ」
たしかにその通りだった。今はお茶とお菓子がケイの思考を濁してくれているが、まだすべてを受け入れきったわけではないのだ。とは言え、グランマ直筆の手紙と、目前のふたりによる何てことないやり取りを経たことで、自分の人生に急に湧いて出てきたファンタジーを受け入れる下地は出来つつある。ロージーが言うように帰ってからゆっくり考える時間を作れば、少しは落ち着くことだろう。そう考えると僅かに心が軽くなったように思えた。
ちまちまと齧り続け、あとひとくちほどの大きさとなっていたショートブレッドを口に放り込み、紅茶で流し込む。小皿にはまだ手を付けていないショートブレッドが残っているが、ひとまず一本を食べきれた。残りのショートブレッドも食べきれるだろうか。食べきれないようなら手をつけないほうがいいだろうけれど、せっかく用意してもらったものを残すのは……。そうやって思考が目の前のショートブレッドへ集中し始めた矢先、誰かがドアをノックした。
「ロージー、いるよな。ラナもここにいるのか?」
「おかえり、トーラス。入っていいよ」
いつの間にかに閉じられていた扉の向こうから聞こえてきた男性の声に問われ、ロージーが許可を出す。すると、すぐに扉が開かれ、声の主が姿を現した。
「なあ、バックヤードの花瓶がいくつか割れてるみたいなんだが……っと、お客さんか」
少し屈むようにして部屋に入ってきた背の高い男性はすぐにケイの存在に気付き、人好きのする微笑を浮かべた。服の上からでもわかるほどに鍛え上げられた体をしていながらも親しみやすい雰囲気をしているその人も、例に漏れず見るからにファンタジーであった。
ラナによく似た黒い肌と、ラナとは少し異なる形をした獣の耳。そして、着用しているヘアバンドのふちから天井へ向かうようにして生えている白いツノ。おまけに脚の間からは尻尾のようなものが見えている。ラナが羊ならば、こちらの男性は大きな体も相まって牛を連想させる。ちょうど右耳に着けているピアスもまるで耳標のようだった。
羊と牛という顔ぶれに小学校の遠足で行った牧場を思い出しつつ、同時に今しがた彼が話しかけてやめた話題へ心当たりを覚え、何から触れたらいいものか考える。だが、ケイが口を開くよりも先にラナが動いた。彼女はさりげなくケイと男性の間に立つと、初対面のふたりの橋渡し役を担い、そつなくそれぞれを紹介していった。
「彼は私の兄、トーラスです。兄さん、こちらはロージーのお客様のケイさんよ」
「へえ、珍しいな。はじめまして、トーラスだ。よろしく」
「よ、よろしくお願いします……」
ラナのおかげでどうにか初会の場をやり過ごし、ケイは椅子から立ち上がって会釈した。ケイよりも頭ひとつ分は背丈が大きいトーラスはその体の厚みもあって、多少の威圧感を覚える。しかし、大きな葉っぱのような形をした楕円形の耳はなんだか愛らしい気もするし、ヘアバンドの下からこちらを見つめる眼は穏やかそのものだ。牧場で見た牛たちの姿に重なる温厚さは自然と人の警戒心を解かさせる。
ふたり揃って温厚な性質の兄妹のおかげで、ケイの人見知りも少しずつではあるが和らいできていた。たったひと言ではあるものの言葉を発したことで発言のハードルも下がっている。謝るのなら早い方がいい。そう考え、ふたたび口を開きかけるが、今回もケイより早く反応したラナが、先ほど兄が言いかけてやめた話題を拾い上げた。
「ごめんなさい。割れた花瓶の片付けをすっかり忘れていたの」
「ああ、いいって。俺がやっておくよ。お前はお客さんの相手をしてな」
人の好い兄妹の手にかかればあっという間に問題が解決へ向かっていく。このままでは自分のしたことが有耶無耶になってしまう。そう感じたケイは慌ててふたりの会話へ割って入り、今度こそ正直に事実を告白した。
「あの、ごめんなさい。ここへ来た時に驚いて、花瓶を割ってしまって……」
「うん? まあ、商品をちゃんとしまっておかなかったこっちが悪いしな。気にしなくていい」
叱責のひとつでも覚悟していたのにも関わらず、トーラスの答えはやけにあっさりとしたものだった。まだ学生の身であり、アルバイトの経験すらないケイだが、本当にそれでいいのかと心配が過ぎる。
けれど、相手から気にするなと言われてしまったら否とはなかなか言えるものではない。かと言って素直に気にしないという選択肢を取れるほど図々しくもないケイは困ってしまう。どうしたものかと悩み始めると、それまで紅茶を啜りながら三人を眺めていたロージーが何かを思いついたように、不意に口火を切った。
「……いや、売り物は売り物だよ」
「なんだ、ロージー。あんただってちょっと前にラナのお気に入りの皿を割ったばかりだろ」
「うるさい。とにかく、君が割ったのなら、君に埋め合わせしてもらう必要がある」
「私、まだお皿の埋め合わせをしてもらってないわ」
「なんなら割った時に逆ギレしてたよな」
「うるさい! 後で蚤の市にでも行って好きなものを買ってきて代金をぼくに請求して! この話はおしまい!!」
花の魔女に対して——そう言えば彼女のことをラナが店長だと言っていたが——妙に遠慮のない兄妹ふたりに遠慮なく話の腰を折られ、ロージーが癇癪を起こすように声を張り上げた。その姿はやはり見目相応の子どもにしか見えない。立っていたらきっと地団駄を踏んでいただろう彼女は無理やりに態勢を立て直し、強引に自身へ会話の主導権を引き戻した。
「と に か く。君はまだ……子ども? 子どもだよね?」
「あ、はい。学生です。まだ高校に通っています」
「そう、君はまだ子どもだ。財産も大してないだろう」
「そうですね。お小遣いでやりくりしてます」
「だろう? だから、しばらくこの店の手伝いをすればいい。割った花瓶の代金を労働で返すんだ」
矢継ぎ早に積み重ねられていく質問と確認に素直に答えていけば、ロージーはやけに満足そうな顔で自ら考えた提案を示した。そこでようやく自分がまだ得ていない情報があることに気付いたケイは、唐突な展開に戸惑いながらもそれを訊ねる。
「それは花瓶を割った本人としてもありがたいですけど……ここは何屋さんなんですか?」
「花屋さ。魔女の花屋、小さな庭」
今さら過ぎる問いへ淀みなく答えを紡いだ唇が仄かに緩む。薔薇の瞳は相変わらずケイを捉えているものの、ロージーは何処か遠くを見つめるように眼を細め、その先に見えた何かを噛み締めるように言葉を続けた。
「それが、君のおばあさまが名づけた、この店の名前だよ」




