グランマの手紙Ⅰ
「古き、友人……?」
花の魔女ロージーの自己紹介を受け、ケイはひとまずその中でもっとも気になった言葉を拾い上げた。視線の先では、古いという単語の印象とは正反対の幼い少女が、クッションを詰め込んだハンギングチェアへよじ登っている。腰を下ろし、ボタニカル柄のクッションに身を埋め、仕上げに両腕で大きな羊のぬいぐるみを抱え込んだその姿はとてもじゃないがグランマの年齢と結びつかない。ケイの認識ではランドセルを背負っているくらいの年頃に見える。
だが、そんな考えを読み取ったかのようにロージーが鼻を鳴らした。鳥の巣にも似たハンギングチェアの中で踏ん反り返る彼女はわかりやすく偉ぶった態度ではあるが、律儀にケイの疑問に答えてくれる。
「言っただろ。ぼくは魔女。魔女とは人間と異なる理、異なる時空に生きる者。たしかに見た目こそ君より小さいけどね、こう見えて君の何十倍も長く生きているんだよ」
何十倍。つまり百は優に越しているということだろうか。俄かには信じられず、パチクリと眼を瞬かせる。先ほどここへ案内してくれた女性の存在も——いつの間にか退室したようで今は姿が見えないけれど——大概にファンタジーであったが、急にこんなことを言われても受け止めようがない。これまでごく普通に育ってきたつもりの自分には少し荷が重すぎる。
そうやって現実を飲み込みきれずにいるケイの心をまたもや読み取ったのか、ロージーは呆れたような顔で言葉を重ねた。
「君、ここまでラナに案内してもらったんだろ。あの子も充分に人らしいところがあるけど、君の知っている人間像からは逸脱しているはずだ。世界に対する見解をさっさと更新することだね。世界には人の価値観から外れたものなんて、いくらでもあるんだから」
バッサリと一刀両断され、すっかり困ったケイは眉を下げて自称魔女の話をどうにか噛み砕こうと、ふたたび止まりかけた思考を懸命に回し続ける。彼女の言うことは尤もなように聞こえた。しかし、理解にはまだまだ多くの時間を要するのが現状である。そもそも荒唐無稽に思える話を何処まで信じていいものかもわからない。
そんな考えから、ケイは少しでもその時間を稼ごうと、ひとまず今一番気になることをロージーへ訊ねてみることにした。
「あの、グランマ……祖母とは一体どういう……というか、なんで物置部屋がこんな……」
元来の人見知り気質も相まって、なんとも歯切れの悪い質問になったが、意外にも花の魔女はそれを叱らなかった。ただ眉を顰め、呆れたような顔はしたものの、それはケイに向けられたものではないようだった。
「アイリスは物置部屋とここを繋げたのかい? まったく、あの子は……」
彼女は小さく溜息を吐くと、羊のぬいぐるみに顎を乗せ、然も退屈そうにケイの疑問へ答えた。
「ここは君がいる世界とは異なる世界。いわゆる異世界ってやつだよ。君、扉に鍵を使ったんだろ? その鍵が異世界同士を繋ぐ魔道具になってるんだ」
異世界。突拍子もない単語——けれど、状況を説明するにはもっとも的確な言葉を俄かには信じられず、狼狽える。しかし、無慈悲な魔女はケイの困惑が収まるのを待ってはくれない。羊のぬいぐるみに顎を埋めたまま、彼女はもうひとつの疑問に繋がる答えを指し示した。
「それと、君は何も聞かされていないようだけど、アイリスも魔女だよ」
「えっ」
あっさりと告げられた内容に脳がさらなるエラーを吐き出す。そんな事実は今まで一度だって聞いたことがない。いわゆる寝耳に水というやつだった。
記憶の中の優しいグランマと、魔女という言葉の持つイメージがうまく噛み合わず、戸惑いは増すばかり。だが、そんなケイを尻目にしてロージーは淡々と補足の説明を付け足していく。
「正確には魔女だったと言うべきか。彼女は魔女の中でも特殊でね。他の魔女や魔法使いではまずありえないことだけど、人生の途中でその資格を失ったんだ。ぼくは……アイリスが魔女だった頃にここで彼女の面倒を見ていた魔女友だちってやつさ」
一瞬、ロージーは眼を伏せ、言葉を詰まらせた。でも、それは本当に一瞬のことだったし、何より半ばパニックを起こしているケイは気付かなかった。頭の中では今しがた聞いた言葉たちがぐるぐると渦を巻くように巡り続けている。
魔女。特殊。魔法使い。資格。何を聞いてもさっぱりわからない。わからないけれど、自分と過ごしていた時のグランマは、おそらく既に魔女ではなかったであろうことだけはどうにか察する。とは言え、それは彼女が昔は魔女であったことが前提にある事実だ。たしかにハーブの使い方や民間療法に詳しい一面はあったが、その知識はいわゆるおばあちゃんの知恵というものだと思っていたし、大鍋で怪しげな薬を煮込んだり黒猫を飼ったりしているところなんて見たことがない。
グランマが魔女であったか、そうでなかったのか。まだ魔女の存在そのものを事実として飲み込めていないこともあり、ロージーの話を鵜呑みにしていいものか迷う。
けれど、当の魔女に惑うケイを待つつもりはやはりないようだった。束の間、何か考え込むような表情を見せたロージーは、とりあえずケイの理解度に関しては保留して、自らの質問を投げかけてくる。
「手紙にも書いてあったけど、君の母親——つまりアイリスの娘は君が赤ん坊の頃に死んでいて、君には兄弟がいない。その認識で合っているね?」
「……はい。俺には父さんしかいません」
躊躇のない事実確認に思わず怯むものの、なんとか頷く。グランマはそんなことまで手紙に書いたのか。その事実は彼女が多少なりとも花の魔女ロージーを信頼していた証のようにも思えた。
グランマは他にどんなことをこの小さな魔女へ報せたのだろう。好奇心にも近しい疑問が心に浮かび上がるが、それはロージーも同じことらしい。彼女はいまだにケイが握り締めているもう一通の手紙をチラリと見やり、それを指摘した。
「あのさ、アイリスは君にも手紙を残したみたいだけど、まだ読んでないよね?」
「はい。さっき見つけたばかりで、後で読もうと思って」
半ば反射的に説明すると、ロージーはまたもや何かを考えるような素振りを見せた。そうして考え込んだまま、ゆっくりと言葉を選ぶようにケイへとある選択を示してくる。
「多分、そこに詳しいことが書かれているはずなんだ。ぼくの話を聞く前に、手紙を読んだほうがいいと思うけど、君はどうしたい?」
「……もし、ご迷惑じゃなかったら、今ここで読ませてもらってもいいですか」
ロージーの言う通り、ここまできたらグランマが遺したこの手紙をよんでしまったほうがいいかもしれない。グランマはケイに嘘をつかない。だから、グランマから贈られた最後の手紙に書かれていることならば信じられる。
そんな単純極まる論理から手紙を読む心の準備を整えれば、花の魔女は鷹揚に頷き、部屋の片隅を指さした。
「わかった。そこの椅子を使っていいから」
「ありがとうございます」
促され、いくつか雑多に並べられた木製のスツールのひとつへ腰を下ろす。それから糊の甘い封筒の蓋を丁寧に剥がし、一旦、手を止め、ひとつ深呼吸。俄かにざわつき始めた胸の内に新鮮な空気を取り込み、ケイは気持ちを切り替えるようにして中の手紙を取り出した。折られた紙を広げれば、見慣れたグランマの筆跡が視界に広がる。
ケイが物心ついた頃には既に日本語が堪能だったけれど、書くのは少し苦手だと言っていたグランマ。そんな彼女が懸命に書いた、少しばかりひらがなの多い手紙を、ケイはゆっくりと読み始めた。
『Dear Kay
手紙をみつけてくれて ありがとう。
グランマのたからばこを おぼえていてくれて うれしいです。
すこし 長くなってしまうけど 大事なことをかいたので ぜひ最後まで よんでください。
さて 今 この手紙をよんでいるということは、 私はもうあなたのそばに いないのでしょうね。
そして 私はついに わが家のひみつを あなたに伝えられなかった ということになります。
ほんとうは 自分の口で話せる間に 伝えなくてはならなかったのに こうして手紙をのこすことになってしまって ごめんなさい。
信じてもらえるか わからないけれど 私はかつて魔女でした。
おとぎばなしに出てくる ほうきにのって空を飛ぶ あの魔女です。
と言っても 私は空をとべないし とくべつな魔法も使えないし ねこもかっていません。
ただ 私の血筋は 古くから 魔女とよばれてきました。
私たちは 子をうむことで 魔女あるいは魔法使いでは なくなります。
あなたのお母さんをうんで 私は魔女ではなくなりました。
あなたのお母さんも あなたをうんで 魔女ではなくなりました。
つまり 今のあなたは わが家でもっとも新しい たったひとりの魔法使いなのです。
こんな大事なことを 話さずにいて ごめんなさい。
あなたは これから人の世を生きるうえで 多くの苦労をかさねていくことでしょう。
もしも あなたに困ったことがおきた時は 私の古い友人を たよってみてください。
この手紙といっしょに 彼女への手紙と ものおき部屋のカギを しまっておきます。
カギを使えば 彼女のもとへ たどりつけるようにしておくので 私の手紙を 彼女へわたしてください。
もしかしたら 彼女は 私をうらんでいるかもしれません。
けれど きっとあなたのことを たすけてくれるはずです。
花の魔女 ロージー。それが 彼女の名まえです。
ここまでよんでくれて ありがとう。
最後までだまっていて ほんとうに ごめんなさい。
私は きっと わるい魔女なのです。
でも ゆりをうんで あなたに出会えたことは 私にとって 最大のしあわせでした。
だから 後悔なんて これっぽちもないのです。
どうか あなたの生きる道も 多くのしあわせで あふれていますように。
ありったけの愛をこめて。 Iris Hoshino』
「…………グランマ、どうして……」
思わず零れ落ちた問いかけの先を、ケイは口に出せない——否、そもそもどんな言葉が続くものなのかも知らない。故に、その答えを知る者は何処にもおらず、訊ねたかった人も手紙だけを遺して手の届かない場所へいってしまった。
呆然と自身に残された言葉の数々を反芻するしかないケイの手元では、役割を全うした紙切れが、そよそよと窓から流れ込む柔い風に撫でつけられている。室内を柔く照らし、読み物をするのを惜しみなく手助けしてくれた陽光は、縺れ絡まった心とは裏腹に、皮肉なまでに明るく爽やかだった。




