出張花屋Ⅳ
昼時が過ぎたことを報せる鐘が鳴り、太陽も天頂を越えて雲に隠れてからしばらくが経った。ラナの予想通りぼちぼちと客足は戻ってきたものの、トーラスはまだ帰ってきていない。居住区警備課に先の騒ぎの聴取をされているのではないかというのがラナの推測だ。
トーラスという花屋の中心人物が不在中の今、ケイには逆立ちしてもその穴を埋めることはできないが、午前中に比べると業務に慣れてきたこともあり、それなりの余裕を持ってまわせている。
「いらっしゃいませ。どうぞ、ごゆっくりご覧ください」
今もまた新たに花屋を訪れてくれた客に微笑みと共に声をかけた。その新しいお客さんは体を折り畳むようにして地面へ首を垂らしながらやっと歩いているような小さな老女だった。他の客の会計をこなしつつ、その覚束ない足取りを心配して視界の端で様子を窺う。
しばし店内を見てまわり、鉢植えコーナーの前で立ち止まってそこに並ぶ商品をジッと眺めたおばあさんは、ちょうど通りがかったラナへおずおずと声をかけた。
「あのう」
「はい。いかがなさいましたか」
いつも通り柔らかく朗らかな声色でラナが応える。彼女ならばケイ以上にうまく接客してくれるはずだ。そう考え、安心したのも束の間、おばあさんは今回用意した鉢植えの中でもっとも大きいサイズの寄せ植えを指差した。
「あのね、あたし、この素敵な鉢植えが欲しいのだけど、ここって配送はしているのかしら」
「配送サービスは承っておりますが、担当の者が席を外しておりますので、お住まいをお教えいただければ後ほどお届けいたしますよ」
「あら、そう……。でも、あたしの家は少しわかりにくい場所にあるのよね……。一緒に来てもらえたら、話が早いのだけど……」
困り顔でそう言うおばあさんはやはり立っているのもやっとといった調子に見える。いつ戻ってくるかもわからないトーラスが帰ってくるまで待たせるのは明らかに酷というものだった。同じことを感じたらしいラナは少し考えると、ちょうど会計を終えて接客していたお客さんを見送ったケイへ声をかけてきた。
「ケイさん」
「はい」
「兄さんもそろそろ帰ってくるとは思うのですが、それまでお店をお任せしてもいいですか? 私もお客様のご自宅まで荷物をお届けしたらすぐに帰ってきますので」
彼女ならばそう言い出すとケイにはわかっていた。故に驚きはしない。だが、おばあさんが指定した鉢植えは両手で抱えねばならないほどに大きい。ラナの細腕には些か荷が重いのではないかと心配になりながらも頷く。
「わかりました。でも、ひとりで大丈夫ですか?」
「ふふ、大丈夫です。こう見えて、私、結構な力持ちなんですよ。それでは、しばらくお留守番をお願いしますね」
その言葉通り彼女はいとも簡単に鉢植えを持ち上げると、おばあさんの歩調に合わせてゆっくりと店を出ていった。あの様子ならたしかに問題なくおばあさんの自宅まで送り届けられることだろう。ならば、むしろ心配なのは自分自身のほうだ。
店へ取り残されることになったケイは今や花屋のたったひとりの店員である。やってくるお客さんをみんなひとりで捌ききらねばならない。いわゆるワンオペというやつだった。
しかし、ここで焦ってしまってはミスを呼び込みかねない。気持ちを落ち着けることを最優先に設定し、店番をこなしていく。時にはお客さんを待たせる場面も何度か発生したものの、居住区に暮らす人々は基本的に気性が穏やかなのか、気長に待ってくれることが多い。以前の蚤の市で遭遇した酔っ払いは余程のレアケースだったようだ。
そうして少なくはない客数を捌くこと数十分。次の鐘が鳴る前、どうにか捌ききった最後のお客さんを見送った頃になってようやくトーラスが店へ帰ってきた。
「すまん、遅くなった。騒ぎを聞きつけてきた警備課の連中に事情を説明させられてな……うん? ラナはどうした?」
「えっと、お年寄りのお客さんのお家まで鉢植えを届けにいきました」
「ああ、俺がなかなか戻らないから代わりに行ってくれたのか。そりゃ悪いことしたな。ケイもひとりで留守番させて悪かった」
「いえ。どうにかなりましたから」
「店番はもう一人前だな。心強くて何よりだ」
トーラスは褒めてくれたが、ケイは内心ホッと安堵し、先輩が一緒にいる安心感というものを噛み締めてた。これで次にお客さんがやってきても待たせないで済みそうだ。だが、そう思うや否や、何かがテントを叩くような音が響き始める。
パタリ、パタリとまばらだった音は次第に間隔を狭め、直に絶え間ない調べとなった。ケイはいつの間にか薄暗く曇った空を見上げ、振り落ちてくる数多の水滴を確かめて呟く。
「雨だ……」
「降ってきたか。一応、準備してきてよかったぜ」
急な雨にも動じず、トーラスが店の裏側へまわる。すぐに戻ってきた彼の手には、テントの支柱付近にずっと置かれたままだったブリキのバケツが抱えられていた。そこへ挿されている萎れた葉に見覚えを感じ、ケイの目が丸くなる。
「あ、その葉っぱ……」
「こいつは魔法植物の雨蕗って言ってな、普段はこうしてしょぼくれてるが、こうして雨に晒してやると——」
説明しながらトーラスはバケツに挿された雨蕗とやらのうちから一本を抜き取り、テントの外へかざした。すると、それまで乾燥してしわしわに萎れていた薄っぺらい葉が、みるみるうちに降り注ぐ水滴を吸い尽くし、瑞々しく張りのある大きなハート型の葉へと変化した。あっという間に倍ほどの大きさに膨らんだ葉がテントの中へ戻され、説明の続きが付け加えられる。
「葉が雨水を蓄え込んで大きく広がる。一度蓄えた水は零さないし、貯水量もなかなかのもんだから、傘として使えるってわけだ」
「ファンタジー植物だ……」
たった今、雨に晒されたばかりだというのに水分をすべて吸い尽くした葉には水滴ひとつ残っていない。たしかにこの性質にしてこのサイズならば傘代わりに使っても濡れずに済みそうだ。
見たこともない植物の特性に感心していると、トーラスはすっかり元気を取り戻したそれを、持ち前の器用さを以て店先に吊り下げるように取り付けた。
「急な雨だからな。こうして店先に雨蕗をぶら下げておけば、それを目印にして傘代わりに買っていくお客さんもやってくるだろ」
「なるほど」
大きなハートの形をした葉はよく目立つ。目印としては申し分ないだろう。急な雨でまた客足が途絶えるのではと考えたが、雨に困っている人はこの雨蕗を買いにくるというわけだ。もしかしたらついでに他の商品も買っていってくれるかもしれない。一応準備しておいたと言っていたが、トーラスの商売人としての抜け目なさに舌を巻く。
これで店の売り上げに関しては対策が為されたが、そうなるとまだ帰ってきていないもうひとりの先輩が心配になってくるというものだ。
「でも、ラナさんは大丈夫でしょうか」
「たしかに。ちょっと連絡してみるか」
トーラスへ訊ねてみれば、彼はすぐに身分証カードの文通機能を使ってラナへ連絡を取ってくれた。すると、すぐに返信がきたようで、彼女の状況が共有される。
「もう配達は終わったが、戻ってくる途中で降られちまったらしい。今は本屋の店先で雨宿りさせてもらってるそうだ」
「本屋……それって、以前、配達しにいった梟の鳥人さんのお店ですか?」
「そうだ。多少待たせることになるが、雨蕗の売れ行きを少し確認してから迎えにいってやるか」
そう言って彼はこれから売りに出される雨蕗の状態を確かめ始めた。魔法植物とは言え自然の物であるだろうし、お客さんが傘として使うために欠損がないか最後にチェックしているのだろう。雨蕗のことを初めて知ったケイひとりではできない作業だ。
しかし、ラナの居場所には心当たりがある。自分なりにできることの優先度を考えたケイは思いきって名乗り出た。
「あの、よかったら俺が今から迎えにいきましょうか?」
「お前が? 前に一度きり配達しただけの場所だぞ。道、わかるのか?」
「周辺の景色は覚えているので、ざっくりと方向を教えてもらえたら行けると思います」
記憶力——特に目で見たものに関しては少し自信がある。故に迷いはしないと申し出たのだが、トーラスはすっかり感心したようで、いつも飄々としている彼にしては珍しく目を丸くした。
「本当に記憶力がいいんだな。わかった。今、簡単な地図を描いてやるから、それを見ながら行ってきてくれるか? ラナの分と合わせて雨蕗を二本渡しておくから片方はお前が使うといい。もし道がわからなくなったら俺かラナに連絡してくれ」
「わかりました」
しっかりと頷きつつ、頭の中では昔テレビで見た幼児が初めてひとりでおつかいに行く番組が思い出されていた。もちろんケイはそんな齢ではないのだが、百歳ほど年上の先輩からすれば大差がないのだろう。早速、手近な棚を台にして適当な紙にこの辺りの地理を描き出しながらトーラスの口は忙しなく注意事項を付け足していく。
「ああ、そうだ。途中で街外れの林というか、手入れされていない荒地が残ってる地区を通りがかるだろうが、そこには立ち入るなよ。街中は有害な動物や魔法生物が侵入できないように守護の術を施されているが、そういった場所は術が綻びやすいんだ。変な虫にでも噛まれたら事だろ」
そんなことを言いつけながらも手早く仕上げた地図と傘代わりの雨蕗二本を持たされる。すると、ちょうど雨から逃れるように新たな客が店先へ駆けこんできた。ホッとしたような顔で吊るされた雨蕗を見るお客さんの姿を確かめ、トーラスが屈めていた腰を伸ばす。
「おっと、早速お客さんか。じゃあ、ラナのことは任せたぜ」
「はい。いってきます」
先輩に送り出され、ケイは雨降る居住区へ繰り出した。店先を出る前にたっぷりと雨水を吸わせた不思議な蕗は普通の傘と比べても遜色ない。それでも雨を弾くことなく吸い続けるせいか、内側に届く雨音は普通の傘とは異なる響きだ。まるで屋内にいるかのように雨が遠い。その不思議な感覚に仄かなファンタジーを感じながら、ケイは描いてもらった地図の通りに歩を進めていった。




