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準備中Ⅲ

 日を追うごとに、少しずつ着実に蚤の市へ向けた準備は進んでいる。以前ラナと共に干したドライフラワーもぼちぼち出来上がり、近頃はケイも通常業務の合間に花束やリースの製作に勤しんでいた。そうして商品を手ずから作っていると、ケイの中で何処か漠然としたイメージに過ぎなかった蚤の市への参加という事実が現実味を帯びてくる。イベントの準備というのはどうしてこんなにもワクワクするのだろう。もう幼子でもないのに——花屋で働き始めてからは何故か赤ん坊呼ばわりされることもあるが、それはそれとして——指折り数えてその日を待つことになるなんて思いもしなかった。

 日にちは既に六月に入り、第二日曜日は目と鼻の先だ。準備もいよいよラストスパートといったところだが、今日はアルバイトの勤務日ではない。やる気はあるのに参加ができないというのは少々歯痒いが、休む時は休むというのが、我らが店長の方針だそうだ。ケイに割り振られた勤務日は週三回。水曜日と金曜日は学校帰りの数時間。日曜日は午前十時から午後六時まで。

 故に、火曜日である今日は学校が終わってしまえば完全に自由な時間となる。部活動や委員会にも所属せず、これといった趣味も特にないケイは普段なら真っ直ぐに帰宅して勉強や家事でもするところだが、今日はふと思い立ち、高校の最寄り駅の付近へ足を伸ばしていた。田舎といえど駅前はそれなりに栄えており、店も集っている。何か欲しいものがあれば、とりあえずこの辺りを見てまわるのが昔から定番だった。それは他の学生たちも同様のようで、ケイと同じ制服を着た人たちが放課後にぶらぶらと散策している姿も見かける。カラオケやチェーンのファストフード店なんかもあるため、溜まり場となっているのだろう。

 そんな中、ケイは迷うことなく真っ直ぐに本屋へ向かい、立ち読みをしていた。気に入った書籍が見つかったら購入するつもりではあったが、予算にも限りというものがある。とは言え、既に給料を得たこともあり、それなりの余裕があることも事実だ。安い買い物ではないが、目ぼしい書籍を数冊ほどキープして予算内に収まるように吟味を続ける。


「あれ、雨森くん?」


 不意に声をかけられ、眺めていた本の頁から視線を上げて声の主を見やる。すると、つい一時間ほど前に別れたばかりの見慣れた顔がそこにあった。


「岡崎さん」

「奇遇だね。こっちって雨森くんが使ってるバスとは逆方向じゃない?」

「うん。少し本屋を見たかったから、寄り道」

「そうなんだ」


 交わした言葉こそ他愛ないものだが、こうして放課後に級友と話すのはケイにとって新鮮なことだった。普段はあまり寄り道をしないし、そもそもクラスメイトたちとは住んでいる地区が少し異なるせいで、こういう機会は小学生以来かもしれない。

 内心で自分の交友関係の乏しさに苦笑していると、岡崎さんがケイの手にしている本を見て、そのタイトルの一部を切り取った。


「……フラワーアレンジメント?」

「あー、うん。バイトに役立つかなと思って……」

「お花屋さんでアルバイトしてるんだっけ。ブーケとか作ったりするの?」


 当たり障りのない質問に、一瞬、迷いが生じる。まさか魔女の花屋で働いているとは言えない。だが、幸いなことに岡崎さんの問いはいい意味で無難だった。これなら嘘をつかずに話すことができる。そう判断したケイは表情を崩すことなく、話せる範囲で瞬時に答えを編み上げた。


「最近はドライフラワーでミニブーケとかを作らせてもらっているんだけど、これまで花束とは縁遠かったからなかなか難しくて。だから、少し勉強しておこうかなと」

「なるほど。ドライフラワーのミニブーケ……素敵だね」


 ニコリと笑う岡崎さんはそれ以上ケイのアルバイトについて言及するつもりはないようだった。密かにホッと胸を撫で下ろし、肩の荷が下りたような気持ちで無難に会話を繋げる。


「岡崎さんは何をしにここへ?」

「私は参考書を見に来たのと……漫画の新刊を買いに」


 彼女はそう言って、恥ずかしそうに手に持っていた漫画を自らの前に掲げた。それはどうやら少女漫画の類のようで、表紙の中央にはやけに瞳の大きい表情豊かな子犬が描かれている。そう言えば岡崎さんは犬を飼っていると言っていたなと思い出していると、漫画の単行本で顔を隠した彼女が珍しくまごまごとした調子で言い訳じみたことを口にした。


「この齢でこういう漫画を読んでるの、少し恥ずかしいんだけど……昔から好きな漫画だから……」

「別に恥ずかしがることはないと思うけど……俺も、漫画はあまり読まないけど、今でもたまに昔好きだった児童書とか読むよ」

「本当? よかった」


 事実を述べれば、岡崎さんもホッとしたように笑ってようやく漫画の後ろから出てきた。けれど、やはり恥ずかしいものは恥ずかしいらしく、はにかみながらもしっかりと念押しされる。


「でも、みんなには秘密にしてね。高校生にもなって子どもっぽいって笑われちゃうもん」

「わかった。岡崎さんが嫌なら、誰にも言わないよ」


 最近は妙に口止めの約束事が続くなと思いつつ、やんわりと頷く。そもそもケイには特に話すような相手もいないから秘密が漏れるのを心配する必要はないのだが、岡崎さんはまた一度ニッコリと笑い、とある提案を持ち掛けてきた。


「じゃあ、口止め料ってことで奢るから、これからドーナツでも食べに行かない? と言っても無料券があるんだけどね」


 どうやら彼女の目的は漫画だけではなかったらしい。悪戯っぽく眼をくりくりさせて、モコモコした素材でできた犬のアップリケのついた財布から有名チェーン店のドーナツ屋の無料券を取り出したクラスメイトは何処か得意げだ。よほどドーナツを楽しみにしていたと見える。

 一瞬、せっかくの楽しみに自分なんかが参加してしまっていいものかと迷ったけれど、岡崎さん本人が誘ってくれたのだから、邪魔になるというわけでもないだろう。いつもの学校生活でも昼には仲の良い女子生徒たちと机を突き合わせ、大所帯でお弁当をつついている彼女のことだ。ドーナツを食べるのにも誰か同行者が欲しかったのかもしれない。そう言えば、昼休みに彼女と同じグループの誰かがダイエットの話をしているのが聞こえてきていた。たしかにダイエット中の友人をドーナツ屋へは誘いにくい。それでたまたま居合わせた自分に白羽の矢が立ったのだ。

 ほんの少しの間、逡巡し、ケイは岡崎さんの提案を受けることにした。小さく笑み、今度は遠慮がちに頷く。


「そしたら……お言葉に甘えて、口止めされようかな」

「ふふ。飲み物くらいはちゃんと奢るよ」


 クスクスと控えめに笑う岡崎さんは見るからにご機嫌だ。女の子は甘いものが好きだという言説はよく聞くが、ケイも甘いものはよく好む。だから、早くも予定外のおやつを少なからず楽しみに思い始めていた。ドーナツでご機嫌になる高校生がここにふたりもいる。その事実がなんだか可笑しかった。

 ともかく、ひとまずは今日の目的であるフラワーアレンジメントに関する書籍を買ってしまうべきだ。既に買うものを決めている岡崎さんを待たせるのは忍びないから、候補の中から素早く購入する本を決め、共にレジへ向かう。脳内は既にどの種類のドーナツにするのかという議題で持ちきりだったけれど、これから自分のものとなる書籍も心を弾ませる一因となっていた。

 ドーナツを食べて家へ帰ったら、この本を読み込み、明日のアルバイトに備えよう。自分の作ったものが売り物になるのだから、出来る限りのことは尽くしておきたい。きれいな花束の写真がたくさん載った書籍を腕に抱え、ケイはこれから食べるドーナツと花束の作り方、そして週末に開催される蚤の市へ思いを馳せながらレジに並んだ。思考に割いていた意識はすぐに一緒に列へ並ぶ岡崎さんとの他愛のない雑談へ移り変わったが、心はずっと弾み続け、来たるべき日曜日を見据えていた。

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