準備中Ⅱ
蚤の市へ向けて準備中ではあるものの、しばらく普段と何ら変わらない仕事が続いた週の終わりの日曜日。その日もケイはいつもの日曜と同じように午前から花屋を訪れるところだった。
チリン、と鳴ったベルの音と共に物置部屋の扉を潜る。いつも通り住居の玄関へ出るが、今日はすぐに気付く異変がひとつあった。トントントンと何かを叩くような音。先輩兄妹の足音やバックヤードでの在庫整理時の物音とはまったく異なるそれ。その軽やかに続く乾いた打撃音はどうやら庭から聞こえてくるようだ。
扉から鍵を引き抜き、一度、閉める。そうすると扉は物置部屋との繋がりを失い、次に開けた時には花屋の庭へと出ることができる。
ちょっとした好奇心を満たすため、開いた扉からそっと外を覗き込む。音の出処は店の裏手のようで、玄関からは見えない。ケイは外働きする時のために店へ置かせてもらっているスニーカーに履き替え、庭に出た。
店の裏には物置小屋が建てられている。一部商品の在庫や園芸用品がしまわれているそこはケイも何度か見たことがあった。家屋の壁を伝うようにして裏庭へまわる。すると、すっかり見慣れた顔がケイを出迎えた。
「ああ、ケイ。もう来たのか」
「おはようございます、トーラスさん。あの、それは何を……?」
一度、作業の手を止めて立ち上がったトーラスの手にはトンカチが握られており、その目の前には木材で組み立てられた何かが置かれている。作りかけではあるものの、しっかりした作りのそれはどうやら棚のようだ。三段ほどの段数があることもあってサイズはそれなりに大きい。
日曜大工というものにあまり馴染みがないケイの目には、彼のしていることが些か新鮮に映った。単純な好奇心から訊ねてみると、トーラスは自身の作品を顎で指し示し、その目的を教えてくれる。
「蚤の市で鉢植えを売りに出すって言ったろ? 物置を見たが、小さな鉢を並べるのにちょうどいい陳列棚がなさそうだったんで、作ってるんだ」
「すごい……DIYだ……」
「さすがに本職には及ばないがな。それなりに器用なほうだから任せておけよ」
パチリとウインクして言うトーラスだったが、ケイからすれば、作りかけの棚は今の段階でも充分な出来栄えに見えた。配達ついでの移動花屋で彼が花束をこさえる場面も何度か見てきたこともあり、器用であることは間違いない。ケイもポプリ作りなどで先輩兄妹に器用だとよく褒めてもらっているけれど、トーラスの器用さは多岐に渡る。ラナも製菓や裁縫が得意であるし、兄妹揃って実に多芸だ。
物作りに精通している先輩たちに改めて尊敬の念を抱いていると、今度は頭上から聞き慣れた声が降ってきた。
「ケイさん、おはようございます」
「あ……おはようございます。すみません。トンカチの音が聞こえて、つい」
「うふふ。気になりますよね」
二階の窓から顔を覗かせたラナがふたりを見下ろし、和やかに笑う。彼女はいつもより少しばかり声を張り、そのまま話を続けた。
「私は今日もポプリやブーケガルニを作るのですけれど、納品分はもう作り終えていますし、ケイさんには兄さんのお手伝いをお願いしましょうか」
「うん? こっちは手が足りてるんだが……ああ、でも今日はまだ植木に水やりをしてないから、ひとまずそれを頼もうか」
兄妹のやり取りによって今日初めての仕事が決まったものの、ケイは別に気になることがあった。それはここ数週間ほど他の仕事の合間に取り組んできたものだ。今日はケイを必要とする仕事が少ないらしいこともあり、自発的にそれについての話を切り出す。
「あの、水やりが終わったら、草むしりの続きをしてもいいですか? まだ終わってませんよね」
「そうだった。それもあったな。近いうちに自分でやろうと思ってたが、頼んでもいいか? そっちをケイに任せられたら、俺も午前中は蚤の市の準備に集中できる」
「はい。任せてください」
どうやら自分が役に立てることを覚り、ケイはしっかりと頷いた。トーラスやラナも仕事や生活の合間に庭の草むしりをしているようだったが、何せ通常業務に加えて蚤の市の準備もある上に、初夏の雑草は勢いづいて成長し続けている。手がまわりきらないのも致し方ないことだった。
だからこそこの店でもっとも手の空いている自分がやるべきだと思ったのだけれど、こうして面と向かって頼りにされることは素直に嬉しい。念のために汚れても構わない服を着てきてよかった。すぐに家へ戻れるとは言え、着替える過程を省略できたことでその分の時間を草むしりに使える。
そうやって内心張り切るケイを見て、トーラスが微笑ましげに笑って頭上の妹を仰いだ。
「ケイもなかなか頼り甲斐が出てきたな。なあ、ラナ」
「ええ、本当に」
兄の言葉にラナも朗らかに同意する。ふたりはいつもこうして褒めてくれるが、些か大袈裟なのではないかというのが近頃のケイの所感であった。しかし、褒められて悪い気はしないのも事実だ。
ちょっぴり照れてはにかめば、二階からもその様子が見えたのか、ラナもまた微笑ましげにくすりと笑んだ。そろそろ始業の時間に近付いていることもあり、しっかり者の彼女は和やかな雰囲気のまま話を切り上げた。
「草むしり、頑張ってくださいね。それでは本日もつつがなくまいりましょう。昼食の準備ができたらお呼びしますね」
そう言ってラナは顔を引っ込めた。二階の窓はそのまま開けっぱなしにされたが、近くに吊るされた虫除けのスワッグのおかげで初夏の心地好い風だけが室内に吹き込むことだろう。
誰もいなくなった窓辺から視線を地上へ戻すと、トーラスが今しがた最後に妹が触れた話題を引き継ぎ、ケイのやる気を引き出した。
「ちなみに今日の昼飯は昨日ラナが焼いた春野菜のキッシュに、作り置きのキャロットラペとえんどう豆のスープの予定だな」
「頑張って草むしりをして、うんとお腹を空かせておこうと思います」
「いい心がけだ。途中でちゃんと水分補給するんだぞ」
当然ながら大事な注意事項を残し、トーラスはふたたび棚の製作に戻っていった。すっかりやる気に満ちたケイも草むしりに取り掛かるべく軍手を取りに、一度、店のバックヤードへ向かう。この店で働き出してからというもの、以前の極端な小食ぶりが嘘のように盛り返しつつある食欲は既に火が点き、勤労への意欲の薪と化していた。




