ちょっとした講義
足元に生えた雑草をブチブチと抜き取りながら、ケイは小さく溜息を吐いた。植物が伸び伸びと成長する季節ゆえに頑強な雑草もまた幅を利かせている。同じ植物であれど花の成育を妨げるそれらを駆逐することが今日の仕事であった。抜いた草は堆肥にして他の植物の栄養にするという話なのだから無駄がない。
そんなわけで店から借りた麦わら帽子を被り、地べたにしゃがみ込んで草むしりを始めてから数十分。慣れない肉体労働はそれなりにきつい。だが、溜息の理由となるほどではない。休むことなく手を動かし、草むしりを続ける最中、ケイの頭の中では先ほどのロージーとのやり取りが繰り返し回生されていた。
グランマがここ、リトル・ガーデンにいた時期はいつ頃だったのか。ただそれだけの単純な質問を先送りにされたことで、ケイは大いに困惑していた。
ロージーの顕著な反応を考えれば、グランマに何か秘密があることは確かだろう。しかし、その答えは来年までお預けだと言う。まさか、来年まで答えを先延ばしにされるなんて思いもしなかった。
何故、ロージーは答えてくれないのか。何故、今答えられないことを来年になったら話してくれるのか。何もわからず、結局、疑念は増すばかり。もやもやとした気持ちが晴れず、それは小さな溜息となってケイの内側から溢れていく。
また一度、溜息を零しかけた矢先、少し離れたところで草むしりをしていたトーラスが、大きな袋に詰め込んだ雑草や枝葉の山を軽々と担いでやってきた。彼は地べたに這いつくばっているケイを見下ろし、小首を傾げて声をかけてくる。
「どうした。元気がないな。またロージーに嫌味でも言われたか?」
「……俺、普段からそんなに元気があるほうじゃないと思うんですけど」
「わかるさ。伊達に長く生きてないからな」
何気ないトーラスの言葉に、彼らが百年を越えて生きている人工獣人であることを思い出す。それは以前、ラナから教えてもらったことだが、彼女が自分たちの過去についてケイへ話したことを自らの兄にも伝えたのだろうか。少なくとも目の前の彼はケイがそのことを知っている前提で話している気がする。ラナが自分たちにとってはもうほとんど過去のことだから気にしないでほしいと言っていたけれど、きっとそれはトーラスにとっても同じことなのだろう。とは言え、もちろん話したくないことは人それぞれあるものだ。
「ま、話したくないなら話さなくていいし、話したい気分なら話せばいい。相談に乗れるかはわからんが、聞き役くらいならいつでもできる」
アスランとの確執については自らの妹にすら頑なに話そうとしないという彼はあっさりと引き下がり、ケイに選択を任せた。
ラナがグランマと面識がないと言う以上、おそらくトーラスもグランマのことはほとんど知らないはずだ。故に彼に話したところで何かわかるわけでもない。だが、このままひとりで悩み続けたとしても状況は変わらない。ならば心の内を僅かにでも吐露してみたら少しは気持ちが軽くなるかもしれない。
「……俺って、グランマのことをほとんど知らないのかもしれないと思って……」
ただでさえ溜息となって漏れ出していた気持ちをしまいこむこともできず、訥々と話し始めてみれば、自分で思っていたよりも随分と溜め込んでいたことに今さら気付く。考えるよりも先に言葉が飛び出し、まとまりもないまま拙く話し続けてしまうが、どうにも止められそうになかった。
「グランマはいつも優しかったけど、自分が魔女だったということも教えてくれなかったし、花屋のことを話しているのも聞いたことは一度もなくて。そもそも俺はグランマがイギリスという国からやってきたことくらいしか知らないなって最近やっと気付いたほどで、あの人が昔は何をしていたかも知らないし、自分が魔女だということをずっと俺に黙っていた理由も想像すらつかないんです。魔女とか魔法使いとかもいまだによくわからないし……」
もはや自分が何を話しているのかも見失いかけていたが、その傍らで何年もの間ずっとケイを苛んできたある事実が頭をもたげていた。
そもそもあの家を出てからの五年間、ケイはグランマに一度も会っていなかった。昨年グランマが倒れたと知らされた時にはすべてが手遅れで、顔を見て言葉を交わしたのは家を出た時の見送りが最後。だから、きっとグランマはケイに伝えなかったのではない。伝える機会がなかったのだ。そして、その原因を作ったのは紛うことなく自分自身であることをケイはとっくに理解していた。
直視し難い事実は心身に重くのしかかる。視線は我知らず地に沈み、自然と項垂れるような格好になる。果てなく続くようにも思われた言葉もいつしか途切れ、気付けばケイは迷子の幼子のように蹲っていた。自分が最後に何を言ったのかも、もはやよくわからなくなっていたけれど、ずっと黙って耳を傾けていてくれたトーラスはケイの言葉をきちんと拾い上げてくれる。
「なんだ、ロージーはそんなこともまだ教えてなかったのか」
そう言って彼はケイの前に腰を下ろした。雑草を引き抜いたせいで掘り起こされた地面は湿っていたが、そんなことも気にせず座り込んだ先輩の顔をそろりと見やる。穏やかな面差しがこちらを捉え、淡々としながらも神経を慰撫するような声が紡がれる。
「俺はケイのおばあさんとは会ったことがないから、それについて何か教えることはできない。だが、魔女については多少教えてやれることもある」
与えられた言葉は先の予想から外れないものだ。しかし、トーラスはひとりで落ち込むケイのために、今の彼にできる精いっぱいの選択を提案してくれたのだ。その心配りが嬉しくて、同時に気を遣わせたことが少し申し訳ない。
その一方で、トーラス自身はこの場において己の力不足を感じているらしく、眉を下げて苦笑いを零した。
「お前が知りたいのはそういうことじゃないんだろうが……」
「いえ……よかったら、教えてもらえますか?」
たったひとつでもわからないことを教えてもらえるのは本当にありがたいことだ。故に本心から願い出れば、トーラスも快く頷いてくれる。
「もちろん。大雑把な概要でよけりゃな」
「はい。お願いします」
話がまとまるや否や、トーラスはここまで抱えてきたゴミ袋の中から適当な枝を取り出し、何かを地面に描き始めた。ゆるくデフォルメされたそれは人の形をしている。それをふたつ描き出し、両者を隔てるように真ん中へ一本の線を引くと、此度の講師役である彼は魔女についての講義を始めた。
「まず、魔女は大まかに分けて二種類の在り方がある。ひとつは先天的な魔女。こいつは生まれながらの魔女で、俗に大魔女と呼ばれる。多くは親を持たず、自然発生的に生まれてくるんだそうだ。詳しい区分は知らんが、人というより妖精に近いんだろうな。ロージーもこの大魔女で、花の魔女の名の通り花から生まれてきたらしい。寿命は各々の大魔女によってまちまちだが、多くは生まれた時から姿が変わらない上に長寿だ。ロージーはたしか……五百年以上生きてるって話だったか」
片方のデフォルメ人間の周囲に木や薔薇の花のイラストを描き添えられ、矢印が引かれた。それを眺めながら、そう言えば前にロージーが自分はケイの何十倍も長く生きていると言っていたなと思い出す。髪や瞳の色が特異であることを除いても、彼女にはたしかに何処か浮世離れしている雰囲気がある。妖精——もちろんケイは妖精のこともまったく知らないが、なんとなくのイメージはある——に近いと説明されても納得できた。見た目こそ人の子どものようだが、根本的に人間とは異なる存在なのだ。それにしては妙に人間臭い振る舞いをしているけれど。
そうして二種の魔女のうち片方を説明したトーラスは、今度は線を跨いだところに描かれたデフォルメ人間を枝先で指し示した。その周りへさらにノートやペンのイラストを描き加えながら説明は続けられる。
「そして、もう片方の魔女は力や技術を後天的に得るタイプだな。こっちは人が血脈を以て子孫へ魔術的な力を継いでいったり、研鑽を積むことによって魔女と成る。もちろん本人に素質があることを前提とするが、極端な話、誰でも魔女や魔法使いになれる。このタイプの中には魔術的な技術を用いて寿命を延ばすやつもいるが、もともと長寿な種族を除けば基本的には人並みの寿命の中で生きていく」
「じゃあ、俺とグランマは……」
「当然、後者だろうな。不思議なことに自然から生まれるのは大概が女らしい。つまり男は後天的に魔法使いとなった者しかいないし、そもそも大魔女は子を生さない。だから、お前はお前のおばあさんから血を継いだ魔法使い見習いってことになるわけだ」
新たに描き足された人間のイラストから元のデフォルメ人間へ矢印を引っ張り、一旦、説明を締め括ると、トーラスは役割を終えた枝をケイへ向けた。
「お前は何も教わってないと言うけどな、見習いとは言えロージーが魔法使いだと認めてる。つまり、お前はアイリスさんから既に魔法使いの資格を継いでいるんじゃないか?」
「魔法使いの資格……」
告げられた言葉を反芻してみるが、当然、心当たりはない。グランマから受け継いだものがあるとすれば、見様によっては金にも見える瞳の色くらいだが、それだって別に何か能力を宿しているわけでもないのだ。
眉を寄せて首を傾げるケイの様子に、トーラスが僅かに肩を竦める。
「どんな力を受け継いでいるかは一族によって様々だからな。俺にはわからない。アイリスさんと親しかったロージーなら知っているんだろうが……」
「さっき、ロージーに、俺が十八歳になったら色々と教えるって言われたんです」
「ふぅん? ロージーが……」
今度はトーラスがケイの言葉を反芻した。彼は視線を左下のあたり——自分が描いた薔薇の花のイラストへ移し、しばし何か考え込むと、やがて言葉を選ぶようにふたたびゆっくりと話し出した。
「……まあ、あの通り性格に難はあるが、約束は破らない魔女だからな。きっと何か考えがあるんだろ。ケイは今いくつだっけ?」
「まだ十六ですけど、今年で十七になります」
「肉体年齢で考えても俺の半分程度なのか。本当に若いな」
眼を細め、眩いものを見るような目つきを向けられる。まるで老爺のような眼差しは、彼が百歳以上生きていることを実感させるようなものだったが、見かけと言動の印象は若いせいか、なんだか不思議な感覚に陥る。
肉体年齢はずっと昔に止まっているらしいトーラスのそれは、今の口ぶりだと齢三十を越えたあたりなのだろう。たしかに目元に薄っすらと刻まれた皺などは彼の妹よりも幾分か年嵩に思える。つまりラナとは少し齢の離れた兄妹なのかと考えるものの、そもそも年齢の止まったタイミングが同じとも限らないことに気付き、結局、真相はよくわからないままだ。
ケイの思考が脇道に逸れたのを察したのか、トーラスは脱線しかけた話をもとに戻した。
「今年で十七なら来年か。おそらく成人するのを待って、ってところだろうが……ケイの世界でも成人年齢は十八なのか?」
「そうですね。俺が住んでる国だと一応は十八で成人ってことになってます」
「そうか。なら、あくまで推測でしかない以上、ロージーの意図はわからんが……ひとまずそういうことにしておくか? 一度、取り決めたら大魔女は梃子でも動かないもんだ。どちらにせよ、待たされるなら仮にでも理由はあったほうが多少は気持ちが楽だろう」
「そう、ですね」
無難な提案にケイは口淀みながらも小さく頷いた。待つしかないという結論は変わらず、膨らんだ疑念は萎むこともないまま留まり続けている。だが、他に選択肢は見当たらない。ロージーが口を噤む以上、ケイにできることは何もないのだ。
なんともすっきりしない帰結となったが、為す術がないのだから仕方がない。諦め、僅かに肩を落とすと、トーラスが何気ない調子で別の話題を振ってきた。
「ちなみにラナも魔女だぞ。もちろん後天的なほうのな」
「え……そうなんですか?」
思わず食いつき、俯きかけた顔を上げる。普段からファンタジー作品を特に好んでいるわけではないのだが、現実に起きる——それも身近な人の——ファンタジーな話題にはつい興味がそそられる。
好奇心のおかげで気持ちを立て直したケイを見て、トーラスは仄かに頬を緩ませた。
「ああ。治癒魔法なんかを使えるんだが、二級治療師の資格も持ってるから、もしも怪我をしたらラナに見てもらうといい」
「なんか、頼もしいですね」
「まったくだ」
さっきまでごちゃごちゃと混線していた頭の中にほんわかとしたラナの笑みが浮かび、俄かに和む。おっとりとしながらも多方面で頼り甲斐のある女性だ。
一度、火が点いた好奇心に後押しされ、ケイはもうひとりの頼り甲斐のある先輩へ思いつくままに質問をしてみた。
「トーラスさんは魔法使いじゃないんですか?」
「俺は違うぞ。魔法の素質がそこまでなくてな。一応は獣人だから、獣人の基礎である肉体強化の術は使えなくもないが……見てくれと同じで練度が半端なんだ。戦闘面では他の獣人たちに劣る」
事もなげに返された答えには卑下が詰まっていた。けれど、それは彼自身にとってはただの事実であるようで、その穏やかな面差しに変化はない。それでも思わぬ言葉の数々になんと返せばいいものかわからず、おろおろしてしまう。すると、そんなケイの様子に気付いたらしいトーラスはすぐさまフォローを入れてきた。
「けど、力仕事ではそれなりに役立つからな。ケイも何か運んでほしいものとかあったら頼ってくれていいぜ」
そう言ってきれいなウインクを披露する彼はいつも通りの頼もしい先輩だ。今のことを気にする素振りもない。だが、だからこそ、先ほどの言葉の否定的な響きが際立っていた。
ケイにとってはトーラスもまた頼りになる存在だということを伝えたい。咄嗟にそう思うが、それを言葉とする前に、ベルの鳴る可愛らしい音が二人の間へ飛び込んできた。
半ば反射的に音の発信源へ視線を向けると、店番をしているはずのラナが玄関から出てきてこちらへ向かってくる姿が目に映る。今しがた話題に上がっていた彼女は小走りで駆けてくると、白い癖毛をふわふわと靡かせながら自らの兄へ声をかけた。
「兄さん」
「ん? ラナ、どうした」
地べたに座り込んだまま、妹を迎えたトーラスが訊ねる。そんな兄のそばまでやってきたラナは腰を屈めるようにして彼へ顔を寄せ、端的に用件を告げた。
「協会からお報せが届いたのだけれど、来月の蚤の市は第二日曜なんですって。どうしましょうか」
「そうだな……今回は人手も増えたし、ケイの研修も兼ねて参加しておくか」
「出店側での参加は久しぶりね。このまま参加の申し込みをしておくわ」
「ああ。頼んだ」
速やかなやり取りを経て、あっという間に蚤の市への参加が決まった。兄の決定を得たラナは最後にこちらを見てニコリと微笑み、ふたたび店へ戻っていく。その後ろ姿を見送りつつ、トーラスは簡潔且つ大雑把に今の話をまとめた。
「というわけだ。これからしばらく蚤の市で売る商品の準備をして、蚤の市当日も売り子をしてもらうから、予定を空けておいてくれよ」
「わかりました」
「よし、じゃあまずは草むしりを進めちまおう。これは今日中には終わりそうにないから、できるところまでな」
そう言って立ち上がると、彼は自分のそばに転がしていたゴミ袋を掴み、それらを一箇所へまとめた。そうして引き抜いた雑草をひとまず置いて自分の持ち場へと戻るトーラスの背中を見送り、ふたたび目線を大地へ向ける。そこには青々とした雑草たちはまだしぶとく根付いている。
すぐには消化しきれない感情がいくつか心に残っていたけれど、今はとにかく目の前の仕事を片付けるべきだ。そう考えたケイは草むしりを再開し、ひたむきに手を動かし始めた。そうしているうちに思考は削ぎ落とされ、いずれは無心となる。やがてひと息ついたトーラスがまた戻ってきて、後輩による草むしりの成果に感嘆の声を上げるまで、ケイは黙々と眼下の雑草を引き抜き続けたのだった。




