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ちょっとした疑問

 チリン、と鳴ったベルの音と共に扉を潜り、花屋へ渡った。いつもより幾分か早い出勤である。そのちょっとした異変はすぐに伝わったようで、バックヤードからトーラスが顔を覗かせた。軍手を手に持った彼は予定よりも早くやってきたケイの姿を見て、首を傾げた。


「ん? もう来たのか。いつもより少し早いな」

「お疲れさまです、トーラスさん。あの、ロージーは今どちらに……」

「ロージーならいつも通り自分の部屋にいるよ。なんだ、店長殿に何か用事があるのか?」

「えっと、はい。ちょっと聞きたいことがあって」

「そうか。俺はこれから外で作業するから、お前も用事が済んだら来てくれるか。店のほうはラナに任せて、今日は庭仕事を片付けちまおう」

「わかりました」


 ケイと入れ違いに扉を潜り、庭へ出ていったトーラスを見送り、ケイは廊下へあがり込んだ。そのまま突き当たりにあるロージーの自室まで歩み、閉め切られたドアの前で立ち止まる。向こう側からは物音ひとつ聞こえないが、部屋の主は昼寝をしているに違いなかった。自分の用件のためにわざわざ起こしてしまうことに少し躊躇するものの、意を決しておずおずとノックする。


「あの、ロージー。起きてますか」

「………………何」


 たっぷりと間を空けて返ってきた声はくぐもった呻きに等しい。不機嫌な響きにも聞こえるそれに怯みかけるが、ここまできて引き下がるわけにもいかない。嫌味が飛んでくることも覚悟の上で口火を切る。


「その、グランマ……祖母のことで少し訊きたいことがあって」

「……入っていいよ」


 思っていたよりもあっさりと許しを得て、ケイはそろりとドアを開けた。予想していた通りロージーは昼寝をしていたらしく、ちょうどレースのカーテンで隠されたアルコーブベッドからのそのそと出てくるところだった。


「すみません、起こしちゃいましたか」

「別に。それで? 訊きたいことって何?」


 クッションを詰め込んだハンギングチェアに座り、ロージーが片眉を上げる。ぶっきらぼうながら妙に食い気味なのは、やはりグランマの名を出したせいだろうか。彼女から感じる微かな圧力に怖気づき、つい余計な建前を口走ってしまう。


「大したことじゃないんですけど」

「大したことじゃないなら起こさないでほしいんだけど」


 間髪入れずに揚げ足を取られ、一瞬、口を噤む。だが、こういった反応もいつものことだ。花屋で働き始めて一ヶ月ほど経ち、彼女の嫌味な言動にもさすがに少しは慣れつつある。ここで下手な反応を返せば話が長引くことも学習済みであるケイは、単刀直入に己の中に根付いた疑問を口にした。


「祖母が花屋(ここ)にいたのは何年前のことなんですか」


 それは至って何てことのない質問。そのはずだった。けれど、ロージーの眠たげな双眸が、束の間、瞬きを止めた。しばしふたりの間に沈黙が流れる。もしかして何かまずいことを訊いてしまったのだろうか。そんな心配が脳裏へ過ぎる頃になって、ようやく彼女は重たい口を開いた。


「…………なんで急にそんなことが気になったわけ?」

「えっと……去年、祖母が亡くなった時、祖母はまだ六十歳だったんです。でも、祖母と面識がないと言うラナさんはここに七十年ほど勤めていると聞きました。どう考えても計算が合わないから、どういうことなのかなって思って……」


 しどろもどろになりながらも、ここ最近ずっと抱えていた疑問を言葉にすれば、ロージーはゆっくりと瞬きを再開し、眼を伏せた。深紅の瞳が睫毛の下に隠れる。心の内を読ませぬ表情のまま、花の魔女がポツリと独り言ちる。


「……まったく。ラナに口止めしておくんだったな」

「ロージー?」


 聞こえてきた言葉に不穏な気配を感じ取り、彼女の名を呼ぶ。だが、ふたたびこちらを向いた顔は既に平常通りのものだった。ごく短い時間で己の挙動を取り繕ったロージーは、今しがた見せた僅かばかりの動揺なんてなかったかのように、しれっと答えを口にする。


「いつだったかなんて忘れたよ。大昔のことだもの」


 嘘だ。さすがのケイにもわかるほどに彼女のそれはあまりに杜撰だった。それどころか、嘘をついたことでケイの疑問には隠蔽するほどの答えが存在する事実を証明してしまっている。

 この魔女は本当にそれでケイが誤魔化されると思っているのだろうか。呆れ半分、驚愕半分で言葉を失っていると、自身の言い分に無理があることは百も承知だったらしい彼女は苛立ちを露わにして癇癪を起こした。


「ああ、もう。君はまだ子どもなんだから、子どもらしく誤魔化されてほしいものだね。可愛げってものが足りないんじゃないの?」

「す、すみません……?」


 無茶苦茶な言い草に思わず謝る。しかし、ロージーももう無理に誤魔化すつもりはないようだ。彼女は大きな溜息ひとつ吐き出し、足元に転がっていた白黒模様の牛のぬいぐるみを抱き上げると、逡巡しながら反対にケイへ問いかけてきた。


「……君、齢はいくつだっけ?」

「十六……十一月で十七歳になります」


 唐突な質問に答えると、ロージーはぬいぐるみを撫でながら何かを考え込む素振りを見せた。小さな手で頭を撫でられる布製の牛は小さな魔女にくたりと身を任せ、されるがままぐらついている。その顔面に縫いつけられたボタンの目と視線がぶつかり、しばし見つめ合う。黒くて艶々としたボタンは、考え込む主人とは裏腹に、無邪気な色を湛えているようにも見えた。


「じゃあ、来年」


 逡巡の末に答えを得たロージーが、まるで自分自身へ言い聞かせるように呟いた。ぬいぐるみから目線を持ち上げ、彼女の顔を見る。そばかすの散った面貌は相変わらず眠たげだが、何処か真剣でもあった。名目上の師匠を名乗る魔女は、名目上の弟子からの質問へひとつの決定事項(こたえ)を提示する。


「来年、君が十八歳になったら、君のおばあさまについて色々と教えてあげる。だから、それまでは無駄口を叩かず真面目に働くこと。いいね?」


 そうやって強情とも言えそうな真摯さを以て言い含められるが、それはつまり今この場では何も教えてもらえないということだ。まさか答えを先送りにされるとは思っていなかったケイは俄かには素直に頷くことができない。けれど、ロージーはそんな弟子の気持ちなど関係なしに念を押してくる。


「い い ね?」


 強気に言葉を繰り返され、その有無を言わさぬ圧力に押し負けたケイはコクコクと首を縦に振った。そんな弟子の素直な様子に満足したらしい彼女は尊大に頷き、強引に話を締め括る。


「よろしい。じゃあ、これで話はおしまい。今日もしっかり働いてくるように。ぼくはまだ寝足りないから早く出ていって。もう二度とぼくの睡眠を邪魔しないでよね」


 そう言うとロージーはクッションの中に埋もれ、眼を閉じた。双眸を覆い隠した頑な瞼は、明らかにこれ以上の対話を拒絶している。アルバイトの時間が迫っていることもあり、今日のところはこれで諦める他ないようだ。

 自身の置かれた状況を的確に理解したケイは釈然としない気持ちを抱えながらも、無駄に足掻くことはせずにロージーの自室を後にした。最後に出入り口から室内を振り返ってみたものの、ぬいぐるみを抱き込んだ魔女の面差しは確かめることもできない。閉まりゆくドアの隙間から、座ったまま舟を漕ぎ始めたロージーの姿を見続けたけれど、彼女は終ぞこちらへ目を向けることはしなかった。

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