↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
25/40

カモミールⅠ

 ふたりで話しているうちに、気付けば、太陽は西の空へ傾き始めていた。この場所から見える範囲の出店の中には、既に店じまいを始めたところも出始めている。そろそろ蚤の市も終わりの頃が近いのだろう。

 広場の端のベンチに隣り合って座るケイとラナはその光景を眺めながら、苦笑いを交し合う。


「まだ見ていないお店もあったのに、そうこうしているうちに蚤の市も終わりそうですね……」

「そうですね。でも、充分楽しめましたし、買い物はまた次の楽しみということにしておきます」

「ふふ、その時は私もまたお供します」


 ついさっきまでそこにあった湿っぽい空気はすっかり流れ去り、いつも通りの和やかな雰囲気がふたりを包んでいた。さりげなく約束を取り付けたラナがベンチから立ち上がる。


「とは言え、まだ出ているお店もあるみたいですし、協会へ戻りがてらもう少し見ていきましょうか」

「はい」


 方針を定め、ふたりはふたたび歩き出した。そうすると、すぐに先ほど騒動に出くわした区画を通りかかることになるが、元凶が去った今は健全な喧騒が戻ってきているようだった。もっとも、蚤の市の閉幕が近付きつつあることもあり、多くの出店は閉店作業に取り掛かっている。

 もはや騒ぎがあった事実は跡形もなく消え去っていたが、現場を前にして、酔っ払いの顔や言動を思い出さないと言ったら嘘になる。一瞬、ここは避けたほうがいいのではないかと考えたものの、当のラナは気にすることなくのんびりと商品の少なくなった店先を覗き込んでいる。故にケイも彼女に倣って、嫌な記憶に蓋をしつつ、終わりの近い蚤の市の雰囲気を楽しむことにした。会場を包むだらだらとした惰性のような空気感もなかなか味があるものだ。それに、人混みがまばらになりつつある今だからこそのんびりと見てまわれるとも言えるだろう。まだ一応は蚤の市の開催時刻の範疇であることもあり、店側としても駆け込みで何かを買っていくかもしれない客へ悪感情は抱かないようで、好きに覗かせてくれる。

 そうして目に映る店を順繰りに冷やかしつつ、ゆっくりと来た道を戻る最中、誰かがふたりへ声をかけてきた。


「あら、あんたたちはさっきの」


 そう言って目を丸くする太った猫獣人の——と言ってもよく見かけるイエネコというよりは、テレビの動物番組で見かけたマヌルネコなんかに近い気がする——女性は、件の騒動にて酔っ払いに店の入り口を塞がれていた不憫な店主だった。彼女はケイとラナを見かけるや否や、愛想のいい笑顔を見せ、労りの言葉をかけてくれた。


「お互いひどい目に合ったね。大丈夫だったかい」

「ええ。お騒がせして申し訳ありませんでした」

「何言ってんだい。お嬢ちゃんは何も悪くないだろうに。あのロクデナシがいけないんだよ。まったく、おかげで今日の売り上げは散々だね」


 肩を竦める店主も例に漏れず店じまいの最中であったようで、周囲の商品の半分ほどは既に箱詰めされている。そんな中、残された品へざっと視線を走らせてみると、この店はいわゆる焼き物というものを取り扱っているらしい。見たところ、食器と言うよりは陶器の置物や花器に壷などが多い。どれもこれもきれいに磨かれており、日頃から大切に扱われているのが目に見える。本当なら売れ残っているこの品々も誰かの手に渡っていたかもしれないと考えると、少しもったいないような気持ちになる。

 そのまま何となしに店先を覗き続けていると、ふとケイの眼があるものを見つけ出した。何処か既視感のあるそれが妙に気になって、ラナと世間話をしていた店主へ思いきって声をかける。


「あの、これは……」

「うん? ああ、それかい。それはテラコッタの植木鉢だよ。骨董品(アンティーク)って言えば聞こえはいいけど、単に古いだけのありふれた品さ。買っていくかい?」


 訊ねられ、ケイは一瞬、考え込んだ。視線の先、店の片隅でひっそりと佇む植木鉢を眺める。葉を生い茂らせる蔓に、花と果実、そして小鳥の模様を表面に乗せた、赤みを帯びた茶色の焼き鉢。それはたしかに目を引く品物ではあったが、特別に素晴らしいというものでもない。

 しかし、どうにも眼前のこの植木鉢に引きつけられている自分がいた。普段はあまり物欲というものに縁がない生活を送っているが、今回ばかりはその直感に従ってみてもいいような気がした。

 一度、決心したのなら迷う必要はない。ケイは頷き、ズボンのポケットから自らの財布を取り出した。


「はい。この植木鉢、欲しいです。おいくらですか?」

「本当は銀貨一枚ってとこだけど、大銅貨五枚でいいよ。言った通り古いし、さっきのお見舞いも兼ねてね」

「ありがとうございます。じゃあ、これでお願いします」

「はい、たしかに。まいどあり」


 とんとん拍子に話が進み、植木鉢はあっという間にケイの物となった。支払いの後に簡単な梱包を施され、受け渡された植木鉢はそれなりの大きさがあるせいで、それに見合う重量がある。ズシリと腕にかかる重みを感じ、割れないように気を配らねばと鉢の入れられた袋の持ち方に苦心する。すると、その様子を見かねたラナがこちらに預けていた自身の荷物をさりげなく引き取り、ケイが反応する隙を与えることなく話しかけてきた。


「私が価格交渉するまでもありませんでしたね。そちらの植木鉢には、何を植えられるご予定ですか?」


 問われ、ケイの意識が思考に移る。正直なところ、使い道なんて考えずに購入してしまったのだけれど、不思議と答えはすぐに口を衝いて出た。


「カモミール、ですかね」


 ポツリと零した己の言葉に、無意識の中に在った理由(おもいで)が繋がる。一度、自覚したそれは心から溢れ出て、聞かれてもいないのに言葉となって零れ落ちていく。


「昔、グランマ——祖母が、似たような植木鉢でカモミールを育てていたんです。俺が子どもの頃、夜に眠れなくてぐずついてると、乾燥させた花でお茶を作ってくれて……。祖母が病気で倒れてから誰も庭の手入れをしていなかったので今は少し荒れちゃってるんですけど、やっぱりあの庭は花が咲いているほうがいいと思うから、自分で育ててみようかなと思って……」


 辿った記憶は確かなものだが、植木鉢の使い道は後付けに過ぎない。ただ、今は遠いあの日々を思い出させるものを手元に置いておきたい。そんな幼い想いこそが、この植木鉢を買った理由のすべてだった。

 柄にもなくポツポツと語ったケイはふと我に返り、なんだか気恥ずかしい気持ちを抱いた。けれど、ラナは柔らかな表情を湛え、ケイの話に最後まで耳を傾けてくれていた。緩やかな弧を描いた唇が、とある提案を口にする。


「でしたら、ロージーのお庭で育てているカモミールの苗をお譲りしましょうか」

「え……いいんですか……?」

「ええ。今年はカモミールの苗をたくさん増やせましたし、今回ばかりはロージーも文句は言わないと思います。彼女はケイさんのおばあさまのことが本当に大好きだったようですから」


 思いもよらぬ申し出は、ガーデニング初心者であるケイにとってありがたいものだった。幼い頃はグランマの手伝って庭仕事をしていたこともあったが、それも手伝いの範疇を出ない。グランマは訊ねれば何でも答えてくれたが、積極的に何かをケイへ教え込もうとする人ではなかった。でも、グランマの部屋にはまだ花の図鑑やガーデニングに関する書籍が残っている。今後はそれらを借りて自分なりに頑張ってみよう。もしもわからないことがあったら花のプロである先輩兄妹に訊いて、ちゃんときれいな花を咲かせてやりたい。

 子どもの頃に遊んだグランマの小さなお庭と、花屋の美しい庭を思い描き、今手元にある植木鉢の中でカモミールの花が咲き誇る風景を想像する。そう言えば、今はもう記憶の中にしかないあの小さな庭は、花屋の庭に何処か似ている気がするけれど、グランマも昔はロージーに植物のことを教わったりしたのだろうか。

 そんな疑問にも満たない考えが頭に浮かび上がる。すると、ケイはあることに気付いた。その途端、小さな思いつきが確かな疑念となって脳内に根付く。急激に増長したそれは制止する間もなく口から零れていった。


「あの、ラナさん」

「はい、なんでしょう」

「その……ラナさんはリトル・ガーデンで働き出してどのくらいになるんですか?」

「そうですね……保護された年のうちには働き出していましたから、おおよそ七十年ほどになりますでしょうか」

「じゃあ、俺の祖母とは面識が?」

「いいえ。ケイさんのおばあさま……アイリスさんは、私と兄さんがリトル・ガーデンで働き始めるよりも前にロージーのもとを離れられたようで、時おり耳にするお噂でそのお人柄を伝え聞いておりますけれど、お会いしたことはありませんね」

「そう、ですか」


 ひとしきり質問したケイは、ラナの答えを頭の中に並べ、それらが疑問の解消には繋がらないことを確かめた。俄かに考え込んだケイを見て、ラナが小首を傾げる。


「おばあさまのことで何か気になられましたか?」

「いえ、大したことではないので」


 解決しない疑問を思考の奥底へ押し込め、ケイはやんわりと首を横に振った。今の口ぶりからして、おそらくラナはグランマについてほとんど知らない。故に今ここで疑問の全貌を明かしたとしても、彼女を困らせるだけで終わる可能性が高い。

 この疑問は、近いうちにロージーへ訊ねてみることにしよう。あの魔女ならば答えを知っているはずだ。しばらく顔すら合わせていないが、急ぐことでもない。それに、ケイの血(・)については秘密にするように言われているから、念のためにふたりきりの時に質問したほうがいいだろう。どちらにせよ、そのうち話す機会はやってくるのだから、その時を待てばいい。

 そう結論付け、ケイは手に抱えた植木鉢へ意識を移す。ひとまず疑問は後回しにして、これから植えられる可憐な白い花を想い、今は待ち遠しいようなこの気持ちを素直に楽しむことにした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。