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ラナの長いお話

「その昔、私たちはとある研究施設に囚われていたのですが」


 隣り合ってベンチに腰を下ろし、ひと息ついたところで、ラナはおもむろに話を切り出した。淡々と語り始めたのは過去の出来事であるようだ。しかし、それは出だしから既に不穏な雲行きを感じさせる。話がしたいと言う彼女の素振りからなんとなく心構えのようなものはしていたものの、唐突な切り口に少々面食らう。けれど、ケイは口を挟むことなく、黙って耳を傾けた。

 静かに凪いだラナの横顔は波紋ひとつ起こさぬまま、端的な言葉を以てと(・)あ(・)る(・)研(・)究(・)施(・)設(・)の正体が明かされる。


「そこでは様々な世界から攫ってきた子どもを素体にして、人工的に獣人を造り出す実験をおこなっていました」


 攫ってきた子どもを素体にして、人工的に獣人を造り出す。その言葉を聞き、先ほど酔っ払いが吐き捨てていた〝作り物〟だとか〝紛い物〟という単語を思い出す。その連想は正しく、ラナはあっさりと自身の過去を打ち明けていく。


「私と兄さん、アスランにデイジー、それから先ほど駆けつけてくれたテディもその施設で作り出された人工獣人なんです。私と兄さんは実験体の中でも古参なのですけれど、その頃はまだ研究も進んでいなかったので、他の獣人に比べると素体となった肉体の特徴が多く残り、獣人としてはひどく半端な出来に終わってしまいました」


 まるで報告書でも読むように語られた彼女の過去は、あまりにも過酷なものだった。最低限の情報に圧縮されてもなお、非人道的な内容に面食らう。だが、己のことを半端な出来だと評するラナの面差しに揺らぎはない。だから、ケイは急な告白に頭が追いついていないせいもあり、物語(フィクション)でも聞かされているような錯覚に陥りかけてしまう。

 浮ついた思考で、どちらかと言えばファンタジーというよりもSFのようだ、なんて考えて、自らの思考のデリカシーのなさへ即座に嫌悪を抱く。これはフィクションではない。かつて本当にあったことなのだ。いつも誠実であったラナの性格と、先ほど耳にした数々の暴言が事実を立証している。隙あらば逃避しかける思考を叱咤し、改めてラナの話に集中する。

 そんなケイの心模様を知る由もない彼女は何処か遠くを見つめていた。きっと過去の出来事を思い返し、言葉に織り直しているのだろう。ゆっくりとした語り口が、仄かに感情を孕みつつあった。


「けれど、私たちの完成を礎にして研究はさらに続いていきました。施設には他にも多くの子どもたちが囚われていましたから、誰かが面倒を見る必要があって、古株である私と兄さんは自然とその役目を担うことになりました。特に兄さんは過酷な実験に泣く子どもたちを宥め、元気づけ、明るく振る舞って支え続けていましたから、子どもたちはみんな兄さんを慕っていて……」


 淡泊だった眼差しに、微かに優しい色を乗せ、ラナが記憶を回想させる。彼女の語る情景は、ケイにも少しは思い描くことができた。彼女たちならばそうするだろうという確信があったからかもしれない。何せ、ここ最近は自分が世話されている立場なのだから、想像はしやすい。

 きっとラナとトーラスは子どもたちにとって大切な支えだったに違いない。想像とは言え、その景色を身に染みて実感するケイは、己の頭の中で描かれた過去の出来事に淡く色がついたように感じた。そして、その色を広げるようにラナはさらに語る。


「アスランも、昔はそのうちのひとりだったんです。研究の末期に施設へ連れてこられた彼は特に兄さんを慕っていたし、兄さんもアスランのことを本当によく目にかけていました。やがて同じ実験へ参加させられるようになったこともあって、ふたりはお互いをより強く頼り合うようになりました。それこそ、少しヤキモチを焼いてしまうほどに」


 ついに平然とした仮面の隙間から仄かな微笑を零した彼女の瞳は過去を見ていた。そこにはきっと仲睦まじいトーラスとアスランの姿があるのだろう。けれど、俄かに和らいだ面差しはすぐにまた仮面を被り直した。そして、初めからずっと変わることのない穏やかな語りが再開される。


「でも、ある日、戦闘実験のために野外へ連れ出された兄さんが大怪我をして帰ってきたんです。その日からアスランは兄さんをひどく責め立てるようになって……。あの日、何があったのか、ふたりは誰にも話してくれません。アスランは頑なに口を閉ざし、兄さんは自分が悪いと繰り返すだけ。だから、私たちもふたりの間へ無理に割り入ることはしませんでした」


 そこで一度、言葉を切り、ラナは小さく息を吐いた。音もないほどに微かな呼気だったけれど、胸の内に滞った澱を逃がすようなそれは何処となく重たい。

 束の間、息を整えるように呼吸が繰り返される。ここまでずっと休みなく話し続けていたのだから無理もない。そうして最後に僅かに大きく息を吸うと、彼女は過去(はなし)の結末を手短にまとめた。


「そして、理由はともかくとしてふたりの仲が決裂した翌日、私たちは協会によって救出され、保護されました。それが、おおよそ七十年前の出来事です」

「え……じゃあ……」


 ラナが話している間、一貫して沈黙を保っていたケイは思わず声を漏らした。七十年。今しがた提示された人間の寿命に近しい年月と、目の前の若々しい女性の姿はあまりに不釣り合いで、俄かには信じられないような気持ちがこみ上げる。しかし、やはり彼女がそんな嘘を吐くわけがないことだけは確かだった。

 不意に、長らくここではない何処かを見つめていた双眸がこちらを向いた。湖のように澄み切り、落ち着き払った榛色の瞳には、困惑するケイの姿が映し出される。そうやって視線がぶつかり合ったその瞬間、ラナは鉄面皮の仮面を脱ぎ捨て、ふと小さく微笑んだ。


「人工獣人は、その成り立ちのせいか、魂と肉体の繋がりにひどい歪みがあるそうなんです。その影響で私たちは獣人として完成すると、完成したその瞬間から歳を取らなくなる……そうですね、人工的な不老といったところでしょうか。私も体こそ二十二歳のまま時が止まっているのですけれど、これでも百歳を超したおばあちゃんなんですよ」


 そう言って彼女は、はにかむように笑うが、その内容はひどく痛ましい。たった今、語られたことの深刻さを、自分はきっと半分も理解できていない。だが、それでも、それが笑えないような話であることくらいはわかる。

 笑い返すことなんてとてもできず、かと言って言葉を返すこともできずにいるケイを見て、ラナは視線を地べたへ落とした。口元にはいまだ微笑が貼りついているものの、伏せられた長い睫毛に隠れる双眸は微かに揺れている。


「……いきなりこんな話をしてごめんなさい。協会の方々にはよくしていただいているので、ああいう……過激なことをおっしゃる方は、この頃はあまりいらっしゃらないのですけれど、一緒に働く中でまた同じことが起きるとも限りませんので私たちの背景を少しご説明させていただきました。協会による啓蒙活動と当事者(みんな)がそれぞれ真面目に働いてくれるおかげで人工獣人へ向けられる視線は随分と柔らかいものになりましたが、やっぱり人と異なるものを厭う方は一定数いらっしゃいますし、特に私と兄さんは容姿から人工獣人であることがわかりやすいせいか、トラブルに巻き込まれやすい傾向がありますので……」


 つまりは先刻の騒動のようなことが前にも幾度かあったということか。その事実を言外に読み取り、ざらりとした重く苦々しい感情が腹に積もる。そんなケイの様子に、ラナは慌てたように声のトーンを明るくして言葉を続けた。


「とは言え、私たちにとってはもうほとんど過去のことですので、ケイさんもあまりお気になさらず接してくださればよろしいのですけれど……なんて、私、難しいことを言っていますよね。……本当に、ごめんなさい」


 朗らかな声音を出したはいいものの、それはすぐに勢いを失い、ぎこちない響きに変わる。いつも穏やかに微笑んでいる彼女が肩を落とし、萎れた花のように打ちひしがれている。その様相を目の当たりにして、胸がひどくざわついた。

 焦燥感に駆り立てられ、ケイは咄嗟に口を開いた。思考はまとまらず、吟味もしていないうちから言葉が飛び出していく。


「……ごめんなさい。その、少し驚いてしまって。俺には想像もつかない出来事、というか」


 拙く話し始めるものの、やはり口下手な自分には気の利いたことは言えそうにない。早速、言葉に詰まり、落ち着かぬ手指は意味もなく結わいた髪に触れてしまう。だけど、ケイにとって——これはたった今、気付いたことではあるが——ラナやトーラスの温和な微笑みが翳るのは耐え難いことのようだ。だから、せめて己の感じていることだけは伝えたい。伝えて、少なくとも自分の前では落ち込む必要なんてないのだとわかってほしい。そんな単純な想いから、ケイは拙いながらも懸命に話し続けた。


「でも、俺にとってはラナさんはラナさんで、トーラスさんはトーラスさんですから。ふたりが優しくて頼りになる花屋の先輩であることに変わりないというか……すみません、うまく言えないんですけど」


 人工獣人であっても、たとえそうでなくても、兄妹ふたりへの好意は変わらない。そんな想いをどうにか言葉に直したが、それはやはりどうしようもなくたどたどしいものになった。肝心なところでも発揮される口下手さに嫌気が差す。けれど、こちらへ目を向け、黙って耳を傾けてくれていたラナはゆるゆると小さく首を横に振った。


「……いいえ。充分です、充分すぎます。それは、この七十年間、どうにか社会へ溶け込もうと懸命に生きてきた私たちにとって、何よりも嬉しい言葉ですから」


 世辞や愛想ではない、仄かに熱のこもった声だった。けして短くはない年月をラナたちがどう生きてきたのか、ケイは知らない。だが、きっと多くの苦労があったことだろう。そんなことを想わせる声色だった。

 まるでケイの言葉を噛み締めるように伏せられた眼は微かに濡れているような気がしたけれど、どうやらそれは錯覚であったらしい。彼女はすぐに視線を上げ、今度こそ取り繕いのない、柔らかな微笑を湛えた。


「こんなに長いお話を最後まで聞いてくださって、ありがとうございました。ケイさん」


 感謝を口にするラナは、既にいつもと変わらぬ調子を取り戻している。そのことに安堵し、ケイもまた微笑み返した。


「俺のほうこそ、大事なことを話してもらって嬉しかったです……なんて言ったら変ですかね……?」

「まあ、ケイさんったら」


 慣れないことを口にしてから少し不安になって首を傾げると、彼女は可笑しそうにクスクスと笑った。その面差しに翳りはもう感じられない。そうやって彼女がいつもと同じように笑ってくれることが嬉しくて、ケイは長い前髪の下でそっと眩げに眼を細め、目の前の笑顔をしばし眺め続けた。

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