蚤の市Ⅲ
広場をさらに東へ向かって歩いていくと、公園のようなスペースに出た。と言っても日本の子どもたちが集う遊具のある公園ではなく、居住区に比べてやや自然が豊かな憩いの場所といった雰囲気だ。小さな池を囲うように芝生が敷かれ、整備された花壇には花も植えられている。ところどころにベンチも置かれたその場所を起点とするように飲食物の出店が立ち並ぶが、他の地区と同様にとにかく数が多い。
二、三十軒はあるだろう店の数々を見渡しながら、昼食を奢ると約束してくれていた(ことになっていた)デイジーが訊ねてくる。
「いつもながら色んな出店があるね。ケイくんは何が食べたい?」
「ええっと……何があるのかもよくわからないんですけど……」
「これだけいっぱいあるとねぇ」
何せ目に見える範囲だけでも選択肢が多すぎる上に、そもそもこちらの食文化をほとんど知らない。お祭りの屋台と違ってわかりやすい看板もなく、メニューが掲示されていてもケイにはそれを読むことすらできない。
あちらこちらからいい匂いが漂ってくる中で惑っていると、突破口を見つけようとしたらしいデイジーが今度はラナへ質問を振った。
「ラナはどうする?」
「私は……そうね、あのスープ屋さんで何か選ぼうかしら」
「スープもいいね。でも、ケイくんは育ち盛りだし、もう少しがっつりしたものがいいかな? 何か苦手な食べ物とかある?」
「……椎茸がちょっと苦手で……」
「あはは、可愛い」
少し子どもっぽいようで恥ずかしく思いながらも正直に答えれば、やはり子ども扱いをするようにデイジーが笑う。だが、彼女はとりとめのないケイの言葉を拾い上げつつ、早くも大方の方針を決めたようだった。笑った勢いのまま、ひとつ提案が示される。
「じゃあ、よかったら私のおすすめを食べてみない?」
「デイジーは食べ歩きが趣味なので、おいしいものに詳しいんです。この子のおすすめなら間違いないと思いますよ」
「ラナに太鼓判を押してもらっちゃった。食いしん坊みたいでちょっと恥ずかしいけど、事実なので何も言えない」
「デイジーったら」
恥ずかしいと言いつつ堂々と胸を張るデイジーの姿にラナがクスクスと笑った。ふたりのやり取りにケイも思わず笑みを零す。
デイジーの言葉は渡りに船だった。こんなにも多くの選択肢の中から何かを選び取るのは、言語のわからぬケイにとって本当に難しいことだ。故に、ケイは彼女の申し出に甘えることとした。
「じゃあ、お願いしてもいいですか?」
「オッケー! お姉さんに任せなさい」
張った胸もそのままに、自らのそこを拳で叩いたデイジーは頼られたことが嬉しいのか、尻尾を揺れ動かしている。散歩へ行く直前の犬よろしく、すっかり張り切った彼女は尻尾を振りながら要領よく段取りを決めた。
「そうしたら私はちょっとそこまで買いに行ってくるから、ケイくんはラナに付き添ってあげてくれるかな? 各々買い終わったらあっちのベンチで合流しよう」
「わかりました」
「デイジー、ありがとう」
「お安い御用ってやつだよ。じゃあ、また後でねっ」
尻尾と共に手も振って、デイジーが軽やかに何処かへ向かっていく。その背中を見送り、ラナが微笑みを以て改めて願い出る。
「では、少しお付き合い願えますか、ケイさん」
「はい。お供します」
そうしてふたりは近くのスープ屋の出店へ向かった。既に何人か列を為していたけれど、順番がまわってくるまでにそこまで時間はかからない。ラナもすぐにメニューの中から食べたいものを見つけたようで、順番さえまわってきてしまえば、注文はあっという間に終わる。
クラフト紙のカップに注がれたスープと可愛らしいフォルムの丸パンのセットを滞りなく購入し、デイジーが指定していった辺りのテーブル付きのベンチへ戻る。対面するように腰を下ろし、スープが冷めるから先に食べ始めてしまってはどうかと提案してみたが、ラナは熱いと口の中を火傷するからしばらく待つと言う。そんなわけでしばし他愛のない会話を交えていると、やがてデイジーが帰ってきた。両手にテイクアウト用のフードボックスをふたつ抱える彼女は小走りでふたりのもとへ駆け寄ってくる。
「ふたりとも、ただいまっ」
「おかえりなさい」
「待たせちゃってごめんね。そうしたら、はい、これ。ケイくんのお口に合えばいいんだけど……」
ラナの隣りへ滑り込むように着席するデイジーを出迎えると、彼女は手に持っていたボックスの片方をケイへ差し出した。それを受け取り、中を覗き込む。
まず目についたのは、メイン料理と思わしき大きなホットドッグだった。全長二十センチはあるだろうか。簡素に紙で包まれたそれは出来立てで、まだ熱気を放っている。パリッと焼かれたパンは見るからに香ばしく、中に挟んだ具材はケチャップとマスタードをかけたソーセージ、細かく刻んだピクルスやオニオンも山盛りだ。その横には名脇役である細切りのフライドポテトが添えられ、まだ湯気を立てる紙カップまで付いている。わかりやすい脂の匂いが空腹を直撃し、無意識に言葉が漏れる。
「おいしそう……」
「ここのホットドッグはボリュームがあるし、ジャンクな感じでおいしいんだよ。あとはポテトもあるし、適当に飲み物も買ってきたからよかったらどうそ」
「ありがとうございます。いただきます」
ケイが年下だからとわざわざ奢ってくれたデイジーへ感謝を伝え、早速、目の前のご馳走へ手を付けた。まずはやはりホットドッグだろう。本当に大きなそれを持ち上げ、どうやって口をつけるべきか迷った末に思いきって齧りつく。
噛んだ瞬間、パキュリと音を立ててソーセージの皮が弾けた。豚の旨味が口の中に広がり、じゅわりと滲み出るジューシーな肉汁をしっかりとした弾力のパンが受け止める。ケチャップにマスタードというジャンクフード定番の味に、微塵切りにされたピクルスの酸味とオニオンの辛味がパンチを利かせ、味わいを何重にも増幅させていく。
普段は——特にずっと食欲のなかった近頃は——あまりジャンクフードを食べる機会がないのだが、だからこそ久しぶりに味わう強烈な脂と塩分が脳を揺さぶる。最初のひとくちを夢中で咀嚼していたケイはそれをごくりと飲み込み、淡い余韻を感じながらこちらの反応を窺っているデイジーへ素直な感想を伝えた。
「このホットドッグ、本当においしいですね……俺、これ好きです」
「おいしいよねっ。このお店、大好きだから、気に入ってもらえて嬉しいな」
ケイの言葉に安心したデイジーもようやく自身の食事を始める。見たところ、彼女のホットドッグはオニオン抜きだ。やはり犬獣人も犬と同じく玉ねぎはご法度なのだろうか。
そんなことを考えつつ、ホットドッグをもうひとくち。これでふたくち食べ進めたことになるが、まだまだ迫力を保っているのだから、このホットドッグは本当にサイズが大きい。けれど、しっかり動いてお腹を空かせていたから今日はきちんと食べきれるような気がしていた。最近はきちんと——と言ってもトーストに目玉焼き、それからホットミルクが精々なのだけれど——朝食を摂るようにしているし、食事に胃が慣れてきている。だが、それでもフライドポテトまで手がまわるかは正直怪しい。ケイが己の軟弱な胃の収容量と額を突き合わせて油で揚げたジャガイモをどうするべきか考えを巡らす中、正面に座る女性陣は和気あいあいと戯れる。
「ラナは何を選んだの? あそこのスープもおいしいんだよね」
「トマトポタージュとパンのセットにしたの。ひとくち食べる?」
「え、いいの? やったー」
「はい、あーん」
「あ~ん。うん、やっぱりおいしいっ」
ひとつのスプーンでスープを回し飲みするふたりはやはり相当に仲がいい。クラスの女子でもたまに見る光景だが、いつも一緒にいるような仲の者同士でないとまず起きないイベントだ。
ひとまずデイジーが選んでくれた温かい飲み物を飲んで腹と頭を落ち着けながら、仲睦まじいふたりを眺める。しかし、ケイの考えをよそに、ラナが俄かにとんでもないことを言い出した。
「ケイさんもいかがですか?」
「え? えっと……俺は大丈夫です」
仄かに白濁した赤いスープをすくったスプーンを差し出され、ケイは慌てながらも咄嗟に断りの言葉を口にした。だって、そのスプーンはたった今ラナとデイジーが使ったものなのに、曲がりなりにも異性である自分が口をつけていいわけがない。
予想だにしなかった展開を前に、しどろもどろになるケイを見て、ラナが不思議そうに小首を傾げた。事態をよく理解していない友を見かね、デイジーが的確に問題点を指摘する。
「ラナ、私とかトーラス兄さんの間では普通かもしれないけど、世間ではあんまり同じスプーンで回し飲みとかしないみたいだよ?」
「あっ……やだ、私ったら……ごめんなさい、ケイさん。つい、いつもの癖で……」
「いえ、本当に大丈夫というか……嫌じゃなくて、その、ただ恥ずかしくて……」
指摘されたことでようやく事を理解したラナが慌てて謝罪してくれたが、それに対してケイは余計なことを口走ってしまう。しまったと思うや否や、デイジーがフォローするように冗談っぽく口を挟んだ。
「ケイくんもお年頃だもんね。お姉さんたちと間接キスは少し刺激が強いか」
「いや、あの……はい、その通りです……すみません……」
せっかくの援護にもうまく応えられず、ケイはすべてを諦め、体を縮こまらせた。己の自意識過剰な振る舞いを後悔するものの、もはや立て直しは不可能だ。ひどく恥ずかしくて、顔から火が出そうな思いだった。ふたりの顔すらまともに見られず、手に持ったドリンクカップの中の水面へ視線を落とし、火照った顔に淡い湯気を浴びる。
そんなケイの様子を目の当たりにしたデイジーは目を丸くして隣りのラナを肘でつついた。
「なんて初心な少年なんでしょう。ねえ、ラナ。今の私たち、ちょっと悪い女かも」
「……私が発端なだけに否定できないわね……。とにかく今後はもう少し気をつけます。本当、ごめんなさい」
「こっちこそ変に反応しちゃってごめんなさい……」
もう一度、改めて謝るラナへ、ケイも頭を下げて謝罪する。自分がもう少しうまく立ちまわれていれば彼女に謝らせることもなかっただろうが、端からそんな器用なことができていたら苦労はしない。今に始まったことではないけれど、口下手な自分を少々恨む。
そうやって謝り合うふたりが揃って眉を下げる中、苦笑したデイジーが空気を入れ替えるようにふたたび口を開いた。
「まあ、ラナはたしかにもう少し気をつけたほうがいいかもね。ちょっと隙が多いもの」
「そうかしら……?」
「そうだよ。私、これでも結構心配してるんだから」
まるで心当たりがないような顔をするラナに、デイジーはきっぱりと言い切る。たしかに出会って此の方、ラナが警戒心のようなものを見せたことは一度たりともなかった。最初に出会った時ですら、不審者同然だったケイに困惑はすれど警戒はせずに対応してくれたことは記憶に新しい。
そう言えば、蚤の市を巡り始める前に、彼女は自らを〝根本的に人を嫌うことができない〟と評していた。その性質はラナが家畜の要素を持つ獣人であるからという話だったが、デイジーの口ぶりからすると、それを考慮したとしても彼女の隙の多さは程度を越すようだ。きっとその無防備さがラナ自身の気性なのだろう。
彼女の兄も含め、いつだって穏やかさを失わない——ある種、呑気とも言えるふたりがそばにいてくれたおかげで、ケイは矢継ぎ早に襲い来るファンタジーにもどうにか順応できたのだと言ってもいい。しかし、それはそれとして、今しがた見たラナの一面はさすがに心配が勝る。
そんなケイの心を読んだかのように、彼女の長年の友人であるデイジーがニッコリとした笑顔をこちらへ向けた。普段は魔法使い協会の受付スタッフとして様々な世界から訪れる人々を相手取っている彼女は、端的な言葉を以てケイを話の中へ引き摺り込む。
「だから、ケイくんもラナのこと、気にかけてあげてね」
「あら、これだとまるでデイジーのほうが私のお姉さんみたい」
あくまで軽い調子で投げかけられたデイジーの言葉、そしてそれにラナがクスクスと笑みを漏らしたおかげで、ぎこちなかった場の雰囲気はふたたび和やかなものに変じる。明るい振る舞いで相手の心を動かし、その場の空気感を調整する敏腕は実に見事だ。さりげなく振るわれた彼女の手腕に感謝して、ケイはしっかりと頷いた。羞恥心はまだ名残りを留めているものの、既に充分に遠退いている。
向かい側に座る女性陣はそのままおしゃべりに花を咲かせ、中断していた食事を再開した。それに倣い、ケイもまだ温かいカフェオレを静かに啜る。目の前にはまだまだボリュームを残した食べかけのホットドッグと、手付かずのフライドポテトがでんと構えている。幸いなことに、会話を楽しむ彼女らの食事のペースはそう速くない。頑張って食べ進めれば、完食のタイミングがそこまでずれ込むことはないだろう。
そう結論付け、ケイは手に握っていたカップをテーブルに置き、ふたたびホットドッグへ手を伸ばした。フライドポテトに手をつける勇気はまだないけれど、その問題は先送りにして、ひとまずは一番の大物を腹に収めることへ尽力することにした。




