蚤の市Ⅰ
学校へ通いながら合間にアルバイトをこなし、早十数日。ついに約束の日がやってきた。
朝ご飯を済ませ、いつもと同じように鍵を使い、物置部屋の扉を開く。すると、毎度のことながら、来客を告げる小さな鐘がチリンと鳴ってケイを出迎えてくれた。その鐘の音は合図の役割も果たしてくれたようで、二階へ続く階段からパタパタと小さな足音が聞こえてくる。この数週間で、花屋で耳にする足音をすっかり覚え込んだケイは慌てたように下りてくる人物へ、その顔も見えないうちから声をかけた。
「おはようございます」
ほんの少しばかり声を張った挨拶の直後に階段から現れたのは、やはりラナだった。本日の彼女は襟元を詰めたフリルブラウスに、黒のキャミソールワンピースを重ね、手には柔らかな質感のバスケットバッグを提げている。仕事中とはまた異なる印象に、今日が休日であることを改めて認識し、なんだか新鮮な気持ちを覚える。
長く伸ばした癖っ毛をふわふわと靡かせながらやってきたラナは微笑み、約束の時間ぴったりに現れたケイへ挨拶を返した。
「おはようございます、ケイさん。ごめんなさい、少し待っていただいてもよろしいですか?」
「わかりました。あの、ゆっくりで大丈夫ですから」
「ありがとうございます。すぐに済ませますので」
そう言うと、彼女は廊下の突き当たりにあるロージーの自室へと向かった。そして、扉の前で立ち止まると、四度ノックして扉越しにも聞こえるように声を張った。
「ロージー、起きてる? これからケイさんと出かけてくるけれど、今日は兄さんも朝早くから出かけていていないから、お留守番をお願いね。お昼はキッチンに用意してあるわ。もしもお菓子が食べたくなったら、いつもの空き缶にクッキーが入っているから摘まんでちょうだい。でも、食べすぎちゃダメよ。お夕飯は帰ってきたらちゃんと作るから待っていて。それから……」
「…………わかった……わかったから……早く行きなよ……」
矢継ぎ早に続くラナの伝言についに音を上げたのか、扉の向こうから掠れた声が返ってくる。きっとまだ眠っていたのだろう。今日に限らずロージーは普段からよく眠る。ここでアルバイトを初めて数週間が経つが、彼女の姿をまともに見たのは片手で数えられる程度だ。それも花屋の営業時間には部屋から出てくることすらせず、もはや日課と化している仕事終わりのお茶会に顔を出すのが精々である。
そんな怠惰極まるロージーだが、ラナとトーラスは慣れたものでせっせと世話を焼き続けている。時おり小言を投げかけることはあっても無理に起こしたりはしない。もしかしたら何か事情があるのかもしれないし、そもそも魔女と人間が同じ感覚で生きているのかもわからない。そう考えたケイはロージーの生活リズムについては質問しないことに決めていた。つい最近弟子になったばかりの自分よりもずっと付き合いの長い兄妹が何も言わないのだから、きっとそれでいいのだろう。
今も、返事を得たラナは次から次へと湧き出ていた伝言を切り上げ、寝起きの魔女へ最後にひと言だけ声をかけてケイのもとへ戻ってくる。
「じゃあ、いってきます。ケイさん、お待たせしました」
「いえ。ええと、協会前のあの広場ですよね?」
「はい。広場前でデイジーが待っていてくれているので、まずは協会へまいりましょう」
あらかじめ玄関に用意していたストラップ付きのパンプスを履き、ラナが扉の横にかけられた鍵束を手に取る。その中からひとつの鍵を取り出し、鍵穴に差し込めば、すぐに目的地へ辿りつくのだから、本当に便利なものだ。ガチャリと音を立てて開く扉を眺め、改めてそんな感慨を抱く。そうして、ふたたびチリンと軽やかに鳴った鐘の音に送り出されながら、ケイとラナは花屋の裏口を潜り抜けた。
「ラナ、新人さん、こっちだよ~!」
たくさんの扉が連なる長い通路を抜け、屋外へ出ると、キャスケット帽を被ったゴールデンレトリバーが大きく手を振ってふたりを出迎えてくれた。よく晴れた青空の下、金の毛並みが淡く煌めく。蚤の市が開催されているだけあって、前に訪れた時よりも人通りは多いが、彼女は器用に人混みを避けて駆け寄ってきた。
「おまたせ、デイジー。待っていてくれてありがとう」
「待ては得意だからね、任せてよ。新人さんも先々週ぶり」
「こんにちは。ええと、デイジーさん」
尻尾を振って歓迎してくれる犬獣人の名前を、ケイは少々迷いつつ呼んだ。はじめましての挨拶もまだ交わしていない人の名を呼んでもいいものか悩んだこともあるが、先々週に初めて出会った彼女とは異なる風貌に戸惑いを感じた部分が大きかった。
本日のデイジーは襟ぐりの広いブラウスにネイビーのクロップドパンツを着こなし、小さなショルダーバッグを提げている。仕事中の清楚な制服姿とは異なり、見るからに活動的だ。まるで別人、なんて大袈裟なことは言わないが、協会の受付で微笑んでいた時とはまったく印象が違う。
そんなケイの思案に気付いたのか、デイジーは愛嬌たっぷりに笑って、いまだに果たされていない自己紹介へ話を繋げた。
「そういえば自己紹介がまだだったっけ。うっかりしていてごめんね。私はデイジー。見ての通り犬獣人で、仕事中のオンオフはしっかりつけたいタイプ。よろしくね!」
「あ……ケイです。リトル・ガーデンで見習いをさせてもらってます。よろしくお願いします」
「初々しい……」
パチリとウインクまでつけてくれたデイジーへぎこちなく慣れない挨拶を返すと、意図せぬところで何かが彼女の琴線に触れたらしい。さらに勢いを増して尻尾を振り始めた彼女はグイグイと距離を詰めるようにしてケイへ迫ってくる。
「ケイくん、今日はお小遣い持ってきた? 蚤の市って結構掘り出し物があるんだよ。食べ物の出店もあるからお腹が空いたら言ってね。お姉さんが奢ってあげましょう。甘いもの好き? それともしょっぱいもののほうがいいかな? あ、ところでケイくんって齢はいくつ?」
「デイジー、そんなに捲し立てたらケイさんが困ってしまうわ」
「だ、大丈夫です。えっと、師匠というか、ロージーがこれまでのお給料を前払いしてくれたので、少しだけどお小遣いはあります。あと、齢は今年で十七歳になります」
「え、本当に若いね?」
自分とそう変わらぬ背丈をしたゴールデンレトリバーの勢いに押されながらも、どうにか質問に答える。それでもまだ目を輝かせてケイに興味を示し続けるデイジーに、一度制止をかけたラナが苦笑してさらなるフォローを入れた。
「ごめんなさい、ケイさん。デイジーは人が本当に好きで……」
「犬獣人は基本的にそうじゃないかな。私なんてゴールデンレトリバーだからなおさら。でも、私たちほどじゃなくてもラナとトーラス兄さんもそういうところない?」
「そうね。私たちも根本的に人を嫌うことができないから……」
「こればっかりは抗えぬ性ってやつだよね」
困ったように笑うラナと肩を竦ませるデイジーを見て、ふたりの獣人としてのアイデンティティたる動物がどちらも家畜であることに気が付く。犬も、羊も、そして牛もみんな人間が歴史的に飼い慣らしてきた動物だ。やはりそれぞれの動物特有の性質が人格や行動に影響することもあるのだろう。
それに何か思うことがあるのか、束の間、デイジーの尻尾が下がる。だが、彼女はすぐに明るい調子を取り戻し、きれいに梳かされた尻尾をふたたび持ち上げ、ニッコリと笑った。
「だけど、私が嫌なことをしたら言ってね。犬だから聞き分けはいいほうなんだ」
「わかりました。でも、本当に大丈夫ですから……」
たしかにデイジーの勢いに怯んでしまったけれど、そのノリは人懐っこい大型犬のそれだ。これでもなかなかの犬好きであるケイからしたら可愛いものだが、さすがに妙齢の女性犬獣人相手に犬が好きなのだと言うわけにはいかない。まだまだファンタジーを網羅したとは言えない若輩の身であっても、それくらいはわかる。
故に、自分は平気だと主張するに留めたが、その如何にも内気っぽい態度が善いように解釈されたようだ。ケイに遠慮したのか、一歩後退していたデイジーがまた一度、穏やかに笑み、挨拶の場を締めくくる。
「ケイくんはいい子だね。じゃ、はじめましてはこれにて完了ってことで、そろそろ行こっか! ラナのお目当てはお皿だっけ」
「ええ。お気に入りのお皿をロージーが割ってしまって……また素敵なお皿が見つかるといいのだけれど」
すぐさま気持ちを買い物モードに切り替えた女性陣が広場へ向かって歩き出した。その後を追うようにしてケイも広場へと続く階段を下り始める。
眼下には多くの出店が立ち並び、そこの店員や訪れた数多くの客で賑わっている様子が既にわかる。こういった催し物特有の活気は慣れないが、協会のすぐそばということもあってか雰囲気自体は穏やかなものだ。だからケイも安心して、珍しくワクワクと無邪気に胸を弾ませ、異世界の蚤の市へ足を踏み入れたのだった。




