薔薇の紋章
些か遅い昼食を終え、ふたりはふたたび生産技術課の門を潜った。午前中に訪れた時よりも多少は緩んだ空気の中、職人たちは相変わらずせかせかと働いている。彼らは自分たちの作業に没頭しているのか、来客に気付かない。だが、それもいつものことのようで、トーラスは特に気にする様子もなく前回訪れた時と同じように、お飾りの受付カウンター越しに近くのシノスケへ声をかけた。
「よう。花屋だが、もう身分証はできてるか?」
「あ、トーラスさんたちだ。おかえりなさい。ちょっとお待ちくださいッス。オッサーン! トーラスさんたちが戻ってきたッスよー!」
「オッサン言うなって言ったよなァ?」
「あいたッ! え、パワハラふたたび!?」
「喧しい。この鳥頭が」
再放送かと思ってしまうほど前回とほとんど変化のないやり取りを経て、バルバが奥からやってくる。彼は弟子の頭を殴ったその手で——前回から数時間しか経っていないのにも関わらず——ふたたび積み重ねられたカウンター上の資材を適当に退かし、またもや雪崩を起こした。
途端に午前中と同じような非難の声が上がったけれど、それはやはり無視してバルバは出来上がったスペースにどっかりと肘をつくと、気さくな笑みを浮かべてふたりを出迎えた。
「待たせたな。ブツのほうは出来上がってるが、まずはこっちを返そうか」
そう言って手渡されたのはケイのスマートフォンだ。見たところ、預けた時と変わらず電源を落とされているそれが無事にケイの手へ戻ったことを確かめ、バルバがさらに促す。
「特に触っちゃいねェが、何処かおかしいとこがないか確認してくれや」
「はい。えっと……うん、大丈夫そうです」
ひとまず電源を入れ、動作に問題がないことを確かめて頷く。電波状況は相変わらず圏外を示しているが、これはいつものことだ。家へ戻れば解決する。
ケイが頷いたのを見て、バルバはついに本題を切り出した。
「よし。そしたらこれがお前の身分証カードだ。失くさないように気をつけろ」
「ありがとうございます」
その手に持っていたカードが差し出され、お礼を言いつつ受け取る。スマートフォンより二回りほど小さな、しかしケイが普段使用しているICカード類よりは大きな身分証カードは薄く、硬い。感触を確かめ、その表面へ視線を向ける。すると、ケイの口は無意識に見たものをそのままポツリと零した。
「……薔薇?」
それは中央に薔薇を据えた魔法陣のように見えた。ロージーとの契約時に手の甲へ描かれたものとは少し異なる紋様は、より華やかな印象を与える。カードの表に刻まれたそれをまじまじと見つめていると、バルバが説明を添えた。
「花の魔女様のとこの見習いだからな。そりゃ彼女の紋章みたいなもんだ。身分証自体に優劣はないが、そいつを見りゃ、魔法使い連中はお前さんが彼女の庇護にあることをすぐ理解するだろうよ」
「ちなみに俺とラナの身分証にもロージーの紋章が刻まれてる」
「お揃いですね」
「ああ。ラナが喜びそうなもんだ」
お揃いのエプロンを喜んでいた彼女が、同じ紋章を刻まれたカードを喜ぶ様が目に浮かぶ。束の間、ほっこりとした気分に浸っていると、バルバはまた新たな指示を飛ばしてきた。
「ケイ坊、その薔薇の紋章に手をかざしてみろ」
「こうですか?」
言われるがままに薔薇の上へ右手をかざす。すると、俄かにカードに刻まれた魔法陣が鈍い光を帯びた。仄かに温かな感覚が掌から伝わり、全身を柔く波打つ。不思議だけれどけして不快ではないその感覚はすぐに止んだ。
魔法陣の光が収束したことを確かめ、バルバが頷く。
「そうだ。これでカードがお前さんを記憶して他の者が使えんようになった。正真正銘お前さんの身分証ってわけだ」
つまり防犯対策もバッチリというわけか。原理こそわからないものの、たしかに自身を記憶されたような感覚があった。自分のものとなった身分証カードを感慨深げに見つれば、隣りで様子を見守っていたトーラスが詳しい使い方を教えてくれる。
「連絡機能は裏面で使える。ひとまず俺の連絡先を教えるから何か送ってみろよ」
「はい。ええと……」
初めての体験にまごつくと、トーラスが自身の身分証を取り出し、さっとケイのカードと触れ合わせた。ふたたび薔薇の魔法陣が淡く輝く。光が収まるのと同時にカードの裏面に文章が浮き上がった。
『リトル・ガーデン店員トーラスからの登録申請。許可/不許可』
えらく簡潔な文面がケイに判断を委ねる。事前の説明通り表記はスマートフォンの設定に準じて日本語だ。たしか仕様も同じだと知らされていたのを思い出し、恐る恐る『許可』の文字をタップする。
『登録完了。文通/通話』
やはりひどく素っ気ない文面だが、最低限の機能は理解できる。そのまま『文通』の文字を選択すれば、スマートフォンのメール機能と何ら変わらない画面が表示された。こんなところの仕様までコピーできるものなのかと驚きながら、使い慣れた感覚のまま『ケイです。よろしくお願いします』とだけ打って手早く送信する。
すると、すぐにトーラスの手元のカードからポンと小さな音が鳴った。片手でカードの裏面を操作した先輩はそこに浮き出ているだろう文面を確かめ、緩やかに頷いた。
「うん。ちゃんと使えてるな。これから何かあったら気軽に連絡してくれていいから」
「あ……ありがとうございます」
「帰ったらラナとも連絡先を交換してやってくれ。これでようやく業務連絡だとかの心配がなくなるってわけだ。仕事で手が離せなかったとは言え、ロージーに任せきりでその辺りを疎かにしていて悪かった」
言われてみれば、これまでずっと口約束のみで花屋へ通っていたことに気付く。家の中から直通であるせいか、いつでも花屋へ行けるという意識があってあまり気にしたことがなかったけれど、たしかに連絡手段が何もないというのはあまりに危うい状況だ。風邪でも引いて動けなくなっていたら——これまでの人生でそんなことは起こったこともないほどに健康体ではあるが——報せる手段もなく無断欠勤になってしまうところだった。
今さらヒヤリと肝を冷やすと、ふたりのやり取りを見ていたバルバが呆れた声を出した。
「本当に呑気な連中だな。ま、花の魔女様には不要な技術か。代わりにお前さんがケイ坊の面倒をしっかり見てやれよ、トーラス」
「わかってるよ」
カウンター越しにバシリとなかなか強い力で腕を叩かれ、トーラスがしっかりと頷く。それを見て、ケイはなんだか申し訳ないような気持ちになり、これからは自分ももっとしっかりしなければと胸の内で決心した。その決意が何処まで実現されるものなのか、自身の力量を考えるといまいち自信はなかったが。
ともかく本日最後の目的である身分証カードの受け取りは達成された。おしゃべり好きのバルバはここからさらに会話を仕掛けてくるものだと思っていたけれど、何やら急ぎの仕事があるようで、あっさりと話がまとめられる。
「んじゃ、これで引き渡しは完了だな。何か不備があったらすぐに連絡してくれ。アフターサービスもしっかり、ってな」
「ありがとさん。そしたらまたな、二代目、シノスケ」
「ありがとうございました」
ひらりと手を振ったトーラスに倣い、出来立ての身分証カードをポケットにしまいこみ、お礼を言って頭を下げる。それに応えるようにひらひらと手を振るバルバと、その後ろで顔中に点在している六つの眼をぎゅっと瞑るように笑ったシノスケの姿を見届け、ふたりは生産技術課を後にした。
「今日の用件はこれで終いだな。荷車を回収したら帰ろうぜ」
「はい」
来る時と同じく昇降機を使って地上へ上がり、東の通路の途中に出る。そのままリヤカーを預けた車庫へ向かおうと歩き出したところに、背後から誰かが駆け寄ってきた。
「トーラス兄さんっ」
「ん? デイジー、どうした。まだ仕事中じゃないのか」
弾んだ声をかけてきたのは受付嬢の犬獣人デイジーだった。ゴールデンレトリバー特有のきれいな金の長毛を靡かせる彼女は、制服の隙間から出た尻尾を然も嬉しげに振り、両腕に抱えた書類の束を示した。
「ちょっと他の部署に用があって……。トーラス兄さんはもう帰るの?」
「ああ。ちょっと早いが、今日はもう上がりだな」
「そうしたら、これをラナに渡してくれない? 後で私からも連絡するけど、あの子、こういうの好きでしょ?」
そう言って書類の中から取り出されたのは一枚のチラシ。それを受け取ったトーラスが紙面へ視線を走らせる。
「何々……へぇ、また広場で蚤の市をやるのか。そういやそんな話があったな。たしか開催が土曜で、うちの定休日だから出店は諦めたんだったか」
「うん。再来週の土曜に開かれるの。私も見てまわろうと思ってるから、どうせならラナも誘おうと思って」
「わかった。渡しておくよ」
「ありがとう。新人さんもよかったらどうぞ。興味があったら来てみてくださいね。それでは失礼いたします」
如才なくケイにもチラシの一枚を手渡すと、砕けた口調から一転、お仕事モードに切り替えたデイジーはきれいな一礼をして去っていった。
去り際に配られたチラシへ視線を落とすと、そこにはやはり見たこともない言語で何かが書かれている。だが、その下には何やら楽しげなイラストや大まかな地図も添えてあり、多少はイベントの雰囲気を感じ取ることができる。素朴なタッチで描かれた服や食器類の絵を見ながら、今しがた耳にした単語を呟く。
「蚤の市……」
「そういやロージーが割った皿の埋め合わせがまだだったな。ケイはこういうのに興味はあるか?」
「そうですね。ちょっと見てみたい気がします」
トーラスに訊かれ、ケイは緩く頷いた。普段は休日でも特に出歩くようなことはしないが、蚤の市という響きに少し興味が湧いていた。配達中に居住区の一部を見てまわり、和やかな雰囲気に好感を抱いたことも純粋に好奇心を掻き立てる一因となったのかもしれない。
ファンタジーが根付いた世界では一体どんなものが売られているのだろう。トーラスによれば、ラナはロージーが割ったお皿の代わりを探すのかもしれない。そこから察するに、意外とケイの世界とは大差がないことも考えられる。けれど、それでも多様な種族の人たちがたくさん集まるだろう催しは如何にも面白そうだ。
そうやって思考を広げ、読めもしないチラシを眺めていると、トーラスが何てことないようにある提案を示してきた。
「だったらラナについていけばいい。土曜は定休日だから完全プライベートになるが、こういう催し物もなかなか面白いもんだぞ」
「でも、デイジーさんが誘うみたいだし、お邪魔になっちゃうんじゃ……」
「むしろ喜ぶと思うけどな。デイジーも基本的に人が好きだし、嫌がることはないんじゃないか」
トーラスの言葉に戸惑うが、たしかに地理的にもイベント自体にも不慣れな自分ひとりでの参加は現実味に欠ける。一緒についていかせてもらえるのならそれに越したことはないけれど、年上の女性ふたりの中に自分が入っていいものかという葛藤もあった。
どうしたものかと迷うケイだったが、ひとり考えたところで答えなんて出るわけもないその小さな問題を、トーラスがさらりと先送りにする。
「まあ、帰ったらラナに相談してみるといいさ。きっと店番で暇してるだろうから、さっさと戻ってやろう」
そう言うトーラスに倣い、ケイもひとまず考えを頭の片隅へ追いやることにした。手にしていたチラシを折って、ズボンのポケットへ身分証カードやスマートフォンと一緒にしまい込み、ようやく帰路に就く。
途中、隣りを歩くトーラスをチラリと見上げてみる。その顔はやはりいつもと変わらない平穏を湛えていた。まるで、今日もいい日だったとでも言うように。
それを目にした途端、昼食と一緒に飲み込んだはずの苦い感情がじわじわと胸からこみあげてきた。同時に、ひどい罵倒と強烈な嫌悪、そして彼自身が見せた一瞬の寂寞を思い出す。
なんとなくだけれど、今日のことはラナにも黙っておこう。密かにそう決め込んで、何か余計なことを言わないように、ケイは自らの唇をきつく引き結んだ。




