お花屋さん
来た道を戻り、受付カウンターのあるエントランスから、今度は南側の通路を行く。こちらの道は、生産技術課を有する東側や扉がずらりと並ぶ西側の通路に比べると距離が短い。大した時間もかからずに通路を抜ければ、屋外へと出られる。
ずっと一階を歩いてきたと思っていたけれど、協会施設自体がやや小高い場所に建てられていることをケイはここで初めて知った。
建物を出た先には緩やかな階段とスロープが設けられている。それを下った先には噴水のある大きな広場があり、広場を挟んでさらに向こう側には多くの家屋が建ち並んでいるのが見えた。ケイの眼に映る限りの家々はすべて似たような造りをしており、赤みがかったオレンジ色の屋根と石畳の道は昔テレビの旅番組で見たヨーロッパの何処かの国の街並みを思い出させる。
それはたしかにきれいな景色だけれど、観光地とは異なる活気もまた感じさせた。路地に張り巡らされたロープには洗濯物が干され、家々の前に置かれた鉢植えもきれいな花をつけてはいるが並びは乱雑だ。買い物帰りなのか、腕に下げたバスケットからバゲットに似たパンをはみ出させている女性が道を行き、その反対側からは追いかけっこをしているらしい子どもたちが走ってくる。そんな生活感に溢れた街を、ケイは高台から見下ろした。
荷車を引きながらゆっくりとスロープを下り始めたトーラスの隣りにつき、同じようにゆっくりと歩いていく。道中、荷の重量を両腕に受けてなお、平然としているトーラスが眼下の街を眺めながら、簡単にこの場所について説明してくれた。
「この辺りは協会の居住区だ。協会の職員だとかその家族が暮らしていて、店や学校もある。そこの広場ではたまに蚤の市やら青空市場が開かれて、うちもたまに参加することがあるが、にぎやかで楽しいぞ」
協会と街を結び付ける境界線のように横に伸びる広場はたしかに広い。人が集まる催し物にはぴったりだろう。にぎやかな風景を想像していると、話の矛先が仕事へと向き直り、説明が続けられる。
「今日の配達件数はそんなに多くないが、合間に生花を買いにくるお客さんもいるから場合によっちゃ少し忙しくなるかもしれん。でも、まあ、今回は初めてだしお前は見学だけしてな。できそうなら商品の受け渡しくらいはやってもらうかもしれないが、気楽にな」
「はい。気楽に頑張ります」
「ふ、なんだそりゃ」
ケイの受け応えが可笑しかったのか、トーラスが小さく笑った。
そうして和やかな雰囲気で、ふたりは間もなく広場を抜け、広場のすぐ近くの小さな雑貨店へ辿りつく。一度、リヤカーを店の前へ止め、トーラスが開かれている出入り口から店内へ声をかけた。
「どうも、リトル・ガーデンです。商品のお届けに参りました」
「あら、お花屋さん。こんにちは」
中から姿を現したのはケイの腰あたりまでしか背丈のない老女だった。どうやら夫婦で店を営んでいるらしい。片や店内の椅子に腰を下ろしている、これまた小さく年老いた夫が読んでいた新聞から視線を上げ、こちらを見た。
「おや。初めて見る坊やだね」
「うちの新人です。これからたまに連れ歩くと思うんで、覚えてやってください」
「あ……ケイと言います。よろしくお願いします」
「うんうん。よろしく」
鷹揚に頷いた小人の翁は自身の妻にすべてを任すつもりのようで、目線をふたたび新聞へ戻してしまった。トーラスも慣れた様子で荷台に積んだトランクケースを開きながら、老女のほうへ仕事の話を振る。
「最近はどうですか?」
「そうねぇ。最近は暖かくなってきたせいか、やけに虫が多く出るようになってね。虫除けのポプリだとかスワッグがよく出ているかしら」
「なるほど。スワッグは注文分しか持ってきてないですけど、ポプリは少し多く仕込んだんで在庫ありますよ」
「じゃあ、ちょっと多めにいただこうかしら。あと、自宅用にブーケガルニもいくつかいただける?」
「ご注文いただいた品に、ポプリとブーケガルニを追加ですね。毎度ありがとうございます。では、品物のご確認をお願いします」
そう言ってトランクの中から両手で抱えるほどの木箱がいくつか取り出されていくが、どう考えても荷物の量とトランクケースの大きさが合っていない。まるで魔法のように積載量を越えた体積の箱がひょいひょいと出てくる様に一瞬、驚くが、まるでも何も、これも魔法なのだろう。
ファンタジーな技術に感心しつつ、せめて邪魔にならないように端へ寄って作業を見学していると、トーラスはあっという間に運搬を終わらせた。そして、最後に袋詰めされた小さな品をが取り出される。その商品はケイにも見覚えがあった。
店の奥に運び込まれた注文品の数々を老女が見てまわる。こちらも慣れたもので、大した時間もかけずに確認を終わらせた。
「はい、確かにいただきました。支払いは次回でいいのよね?」
「ええ。次の時にまとめて頂戴するんでよろしくお願いします。では、失礼します」
「はぁい。新人さんもお仕事頑張ってね」
「ありがとうございます。失礼します」
おっとりと送り出され、会釈して雑貨店を後にする。店から数歩ほど進んだところで、トーラスが先ほど最後に取り出した商品について触れた。
「お前が作ったブーケガルニ、早速売れたな」
「今さらですけど、作った時に何か失敗していないか心配になりますね……ちょっとそわそわするというか」
今まで自分が作ったものを売るという経験がなかったために、少し落ち着かない気持ちでいるケイは小さくはにかんだ。アルバイトの初日に作ったブーケガルニは、ラナにも手伝ってもらったものの、それでも過半数はケイが束ねたものだ。できるだけ丁寧に作ったつもりだけれど、何せ初めてのことだったから自信がない。
だが、トーラスはそう思わないようで、あっさりとケイの心配を払拭する。
「そうか? 俺も出発前に品を確認したが、いい出来だったぞ。ケイは器用なんだな。ラナも褒めてたよ」
「え……本当ですか?」
「こんなことで嘘はつかないさ。もう少し自信を持てよ」
励ますようにポンと背中を軽く叩かれ、俄かに擽ったいような気持ちが湧き上がる。ブーケガルニを作った時もラナは褒めてくれたが、まさかそれをトーラスにも伝えていたなんて思わなかった。彼女の言うことを信じていないわけではなかったけれど、あの時の言葉がお世辞ではなかったことを覚る。
結果的にラナとトーラスのふたりに褒めてもらってしまった。少なくとも、ケイの作ったブーケガルニに、実際に商品として売ってもらえる程度の品質があることは事実だ。トーラスの言う通り、もう少し自信を持ってもいいかもしれない。
そう思い直すと、不安が和らぎ、純粋な喜びだけが心に残る。僅かに軽くなった足取りで次の配達先を目指して歩いていく。すると、その道中、花で溢れ返る荷車を目にした人たちが寄ってきた。
「あ、お花屋さんだ!」
「よう。今日は何かお探しかい」
声をかけられ、トーラスが足を止める。相手はケイよりも幾分か年下と思われる少女の三人組だった。
小柄な狼に似た獣人の少女。頭に小さなツノを生やし、背後で矢印のような形の尻尾を揺らす少女。額に第三の眼を宿した三つ目の少女。多種多様な女子グループだが、トーラスとは顔見知りらしい。きっと常連客なのだろう。
彼女らは荷台に積まれた花々を覗き込み、弾んだ声を出す。
「えーと、今日のおすすめは?」
「そうだな……切り花だとマーガレットにライラック、カーネーション、ガーベラ、それから定番のバラ……あとスズランなんかもあるな。自分で植えるならそろそろヒマワリの種が蒔き頃ってところか」
「あ、アタシはヒマワリの種をもらおうかな。うちの兄弟みんな好きなんだよね」
「食べても美味いもんな」
「そうそう。半分は炒って食べて、半分は植えて育てるの。そうすれば夏の終わり頃にはもっとたくさん種を食べられるから、うちでは一番人気の花なんだ」
「じゃあ大袋で買っていくか? ちょっとオマケして銀貨二枚でいいぞ」
「あとで兄弟からカンパしてもらえるだろうし、そうしようかな」
「はいよ。まいどあり」
流れるように商品が売れた。銀色の硬貨を受け取り、トーラスがトランクケースから取り出した紙袋をそのまま獣人の少女へ手渡す。
そうやって最初の会計が終わるや否や、自らの注文を決めたらしいツノと尻尾の生えた小悪魔のような少女が、たくさんの花の中にちょこんと紛れた小さな白い花を指さした。それに便乗するように、三つ目の少女も注文を口にする。
「私はスズランを買おうかな。お部屋に飾りたい」
「ウチはピンクのライラックとピンクのバラで花束を作ってもらっていい? ママの誕生日が近いんだよね」
「わかった。順番に包むから少し待ってくれよ。スズランは一本あたり大銅貨二枚だがどうする?」
「えーと、じゃあ五本ください」
「了解。銀貨一枚な。スズランには毒があるから気をつけろ。浸けた水にも毒が染み出るから、家で何か動物を飼っている場合は飲ませないようによく見てやれ」
「はーい」
花にまつわる注意事項を伝えながらもトーラスの手は休むことなく動く。可憐なスズランはあっという間にシンプルなクラフト紙に包まれ、小さな花束となり、一枚の硬貨と引き換えに少女の手へ渡った。
手早く注文をひとつこなしたトーラスが順番を待っていた三人目の客へ向き直る。
「さて、バラとライラックは何本ずつ包もうか。ピンクのバラもいくつか種類があるが」
「うーん。予算はそこまで多くないんだけど……」
「それならスプレーバラがいいかもな。一本に三輪から五輪くらい花をつけるから本数が少なくても見栄えがする。ライラックもそれなりにボリュームがあることだし、三本ずつでどうだ?」
「じゃあそれでお願い」
「よし。そしたらバラが一本あたり大銅貨二枚で、ライラックが一本あたり大銅貨八枚だから……」
「銀貨三枚」
頭の中で計算し始めたトーラスに先んじて、半ば反射的に答えを差し出す。珍しくきょとんとした顔で視線をこちらへ向けてきた彼の様子に少々不安を覚え、僅かに首を傾げて確認するように問う。
「……ですよね?」
「へぇ。お前、計算早いな。合ってるよ。というわけで銀貨三枚頂戴するぜ」
「予算ぴったりだ。よかった~。はい、銀貨三枚!」
「まいどあり。今、包んじまうな。プレゼント用ってことだからリボンはオマケしておくよ」
ケイの計算をもとにして会計を終わらせ、トーラスが本日ふたつ目の花束を作り上げていく。
可愛らしい小花が集うライラックと、小ぶりながら華やかな淡い色のバラ。それらはしなやかな長い手指によって器用にまとめられ、ふんわりとした色味のラッピングペーパーを纏う。最後にきれいなピンク色のリボンを結び、小さな花束が完成した。
包装紙の中にお行儀よく収まった花たちを傷めぬように注意を払いつつ、トーラスはその花束を三つ目の少女へ渡し、如才なく振る舞う。
「どうぞ。素敵な一日になりますように」
「ありがと。ママもきっと喜ぶと思う。またね、お花屋さん!」
各々に戦利品を嬉しげに抱え、三人娘が去っていく。それに軽く手を振った後に、鋏や包装紙の余りを片付けながらトーラスが先ほどの計算について話しかけてきた。
「さっきはありがとな。しかしお前、通貨のことをまだ教えてなかったのによく咄嗟に計算できたな」
「計算というか、暗算は少し得意なんです」
たしかに通貨のことは何も知らなかったものの、先に見た二度の会計の様子から予測すれば難しいことはない。単純な計算を褒められるのは些か大袈裟なような気もしたが、幼い頃からのちょっとした特技が役立ったことについては素直に喜び、ケイは少々はにかんだ。
そんなケイの面差しを見て、トーラスは己の考えを改めたようだ。片付けを終え、受け取った硬貨をしまい込んだ彼は手を腰に当ててこちらへ向き直った。
「なるほど。今日は見学してろって言ったけど、戦力に数えてよさそうだな。よし、今みたいな飛び込みの客の料金計算はケイに任せる。商品の値段はその都度教えるし、通貨の単位に関してはシンプルだから今この場で覚えちまえよ」
そう言って口頭でざっと説明された内容はこうだ。
・魔法使い協会で扱っている共通通貨は五種の硬貨。
・銅貨、大銅貨、銀貨、金貨、白金貨。(配達時は銀貨までの三種しか持ち歩いていないとのことだ)
・それぞれは十枚で次の位の硬貨と同じ価値になる。(たとえば銅貨は十枚で大銅貨一枚分)
・協会は各世界の通貨への両替もおこなっている。(ケイの給料もこれを利用して支払われるらしい)
トランクの中に収めてあったコインケースから取り出した何枚かの硬貨を実際に見せてもらいつつ、説明された内容は事前に伝えられた通りシンプルだった。一応、念のため持参していた小さなメモ帳にメモしておいたけれど、必要なことは既に苦も無く頭の中へインプットされている。
説明の一環として取り扱った硬貨を、もっとも価値の安い銅貨の一枚に至るまできっちりとしまい直し、トーラスの説明はそこで終わった。自身の脳内をなぞるように一瞬の沈黙を挟み、彼は困ったように苦い微笑を目尻に滲ませた。
「とりあえずはこんなもんか。悪いな。花屋はずっと俺とラナでまわしてきたから、新人教育ってもんに慣れてなくてな。もしわからないことがあったらすぐに訊いてくれると、こっちとしても助かる」
「わかりました」
ケイにとっても初めてのアルバイトであるが、その裏で彼らもまた慣れない状況に置かれていたらしい。互いに不慣れな者同士なのだから、少なくとも自分にできることはしっかりとこなしていかねばなるまい。だからこそ、簡単な計算とは言え、役割を与えてもらえたことが嬉しくて、ケイは新たにやる気を充填した。
そうやって真面目に仕事に取り掛かろうとする新人の姿は、トーラスの眼には微笑ましいものに映ったようだった。ふと頬を緩めた彼は荷車のハンドルを握り、一時的に中断していた配達を再開させようと話を切り上げた。
「さて、そろそろ次の配達先へ向かうか。そういうわけで頼りにしてるぜ、期待の新人くん」
器用なウインクまで添えられ、面映ゆい気持ちがさらにこみ上げる。けれど、やっぱり嬉しいことには変わりなくて、ケイも小さく笑って頷き、先輩と共にふたたび歩き出した。




