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魔法使い協会Ⅰ

「わぁ……」


 花屋の玄関——店からすれば裏口に当たる扉を潜り抜けたケイは思わず感嘆の声を上げた。だだっ広い通路のようなその場所は、レトロな百貨店を思わせる雰囲気がある。だが、その壁には店舗ではなく数え切れないほどの扉がずらりと並んでいた。視線を上げればどうやらここは三階まであるようで、そこにもケイたちが出てきたものと同じ木製のドアが整列しているのが見えた。見たところ、エスカレーターに似た造りの昇降機で上り下りするようだ。無数にある扉からは少なくない数の人々がひっきりなしに出入りしている。見たことない肌の色をした人、腕が四本ある人、背中に翼が生えた人、子どものような背丈なのに横幅はケイの三倍はありそうな人、異様に手脚が長い人、二足歩行の猫にしか見えない人——中にはケイとさほど変わらぬ外見の者もいるものの、周囲の人々が様々な容姿に様々な服装をしていることもあって、目の前の光景は何処か奇妙で映画のワンシーンのような非日常を感じさせた。

 きょろきょろと周囲を見まわし、時おりビクリと肩を跳ねさせるケイはおのぼりさんという言葉がぴったりくるだろうが、協会へ初訪問する後輩を先導するようにリヤカーを引いていたトーラスはヘアバンドの下で微笑ましげに眼を細め、簡潔に注意を促すに留めた。


「圧巻だろ。ここは見ての通り扉も多いが、人も多い。はぐれないように気をつけな」

「はい。気をつけます」


 通路は商業施設を思わせるほどに広く、ふたりで並んで歩いても——しかも片方は大きな荷車を引いているというのに——他の通行人の邪魔にはならない。そのまま道なりに沿って歩いていくと、ただでさえ圧倒的だった景色はさらに色を増していく。ある程度の距離を進むと、シンプルなデザインで共通していた扉の並ぶ区域が終わり、そこからは扉のひとつひとつに個性の宿ったデザインが並ぶようになった。カラフルなペンキを塗った扉、流木や動物の骨を飾った扉、見たことのない言語が刻まれた看板を掲げる扉、蔦の絡まった古めかしい扉——ざっと見ただけでも同じデザインの扉はひとつもない。

 何処に目を向けても好奇心を掻き立てられるようなものが視界に映る。ついつい辺りを見まわしてしまうが、こんなに広い場所で迷子になるわけにはいかない。重たい荷物を積んだリヤカーを軽々と引いているトーラスのそばを離れないように歩いていると、彼は歩みを止めることなく直近の予定について触れた。


「今日はまずお前の身分証を協会に作ってもらう。事前にロージーが話を通してくれてるはずだから、面倒なことはなしだ」

「魔法使いとか魔女にも身分証って必要なんですね」

「ん? ああ、うちは協会加入店だからな。協会に出入りすることも多いし身分証は必須だ。そうじゃなくても協会に加入していれば、このずらりと並んだ扉を使って別の世界へ行ける。この辺りの扉は自宅(うち)の玄関みたいに行先によって鍵を使い分けるんじゃなくて、ひとつの扉につきひとつの世界にしか行けないがな」


 店では驚いてそれどころじゃなかったりロージーが臍を曲げたりでタイミングを逃していたために、今さら所感を口にすれば、トーラスが説明を添えた。それから物珍しげな顔で辺りを眺めているケイの様子を見て、さらに詳しいことを教えてくれる。


「ざっくりとした説明になるが、個人や自宅用の扉は鍵で使い分けるタイプが多い。さっき俺たちが出てきた共有扉もそれだな。そんで、店だったり公的な施設だったり、色んなやつが使う扉は、今見えてるようなひとつの扉につきひとつの世界にしか行けないタイプになる」


 先ほど自分たちが通過してきた簡素な扉と、ここへ来る直前にトーラスが鍵を用いていたことを思い返し、ケイはなるほどと納得した。

 つまり、今、周りに並んでいる個性的な扉たちはそれぞれが他の世界の店などに繋がっているというわけか。となると、ここにはラナが施錠していた店の正面入り口に繋がるものもあるのかもしれない。そんな疑問が浮き上がったのを察したのか、すぐさま追加情報が付け加えられる。


「ついでに言うと、ここにはうちの店……つまりリトル・ガーデンの正面入り口に繋がる扉もあるぞ。ま、うちは店長がああだからな。そんなに目立つような凝った装飾はしてないから、探し出すのは少し難しいかもな」


 たしかにこの膨大な数からひとつの扉を見つけ出すのは至難の業だろう。でも、見つけてみたい。イラストの中から主人公を見つけるゲーム感覚の絵本を思い出しながら、流れゆく景色へつい視線を走らせかけるものの、トーラスの説明はまだ続くようだ。この際、きちんと聞いておこうと思い直し、彼の話へ耳を傾ける。


「そもそも転移魔法は習得するのにも使用するのにも手間がかかる。昔は高等な術を修めた魔法使い連中だけが世界間を行き来していたらしいが、今は扉と鍵のおかげで割りと気軽な交通手段になっているんだ。かく言うお前も鍵を使ってリトル・ガーデンに通えてるだろ? 協会では身分証が鍵の代わりにもなるんだよ」


 トーラスの説明の通り、ここまでの道中、視界に映り込む人々は何やらカードのようなものを扉の横にある装置へ押し当てていた。おそらくあのカードが身分証なのだろう。共用扉にはそのまま鍵を使うが、個性的な扉はあれが鍵となるらしい。一見、二度手間のように感じるものの、物事には大概、理由があるものだ。


「今の協会はいわば世界を繋ぐ橋渡し役なんだが、何にでも悪用するようなやつはいるだろ? そこで身分証が必要になってくるってわけだ。事前の審査で、ある程度は不審なやつを弾けるからな。おまけに鍵の機能を身分証自体に取り付けておけば、通行のたびにいちいち身分確認をしなくて済む」


 そこまで語ると、トーラスは腰にぶら提げていた鍵束を手に取り、ケイに見えるようにそれを揺らした。


「ちなみにこっちの鍵も無断では作れないし所持できないようになってるから、それなりに機密性はある。しかし、やっぱり嵩張るからな。俺たちみたいにあちこち足を運ぶような商売をやってると、これ一枚で済む身分証のほうがありがたいんだよ。いちいち目当ての扉を探す必要があるから、自分の家なんかはやっぱり鍵を使って共有扉を頼るほうが早いけどな」

「ケースバイケースってことですね」

「そういうこった」


 端的にまとめ、理解度を示してみると、先生役を務めてくれた先輩は満足げに頷いた。そうして話の矛先は今日の予定へと舞い戻る。


「身分証作りも本来なら身元を調べたりだとかで審査に時間がかかるんだが、今回はロージーの推薦ってことでそこを省略してもらう。あれでも花の魔女殿はなかなか顔が利くんだ。後で礼を言っておけよ」

「は、はい」


 ロージーの名が出たことに少しドキリとしつつ頷く。理由はわからないものの、出会ってからずっとあの魔女にきつく当たられていることから、彼女と話すのは少なからず緊張する。けれど、彼女のおかげで手間が省略できたというのなら感謝はきちんと伝えるべきだろう。きっとまた嫌味のひとつやふたつは飛んでくるかもしれないが、そこは腹を括ろう。密かに覚悟を決め、ケイの思考は別の方向へ逸れる。

 それにしても、ロージーがそこまで力のある魔女だとは思わなかった。名目上とは言え、そんな魔女の——彼女自身は何回も不本意だと言っていたが——弟子になったというのはケイが思っていたよりも大変なことなのかもしれない。そもそも魔法使い見習いって何をするのだろう。今のところロージーからは花屋でアルバイトすることしか言いつけられていないけれど、他にも何か下積みのようなことをやらされることがあるのだろうか。でも、グランマは空も飛べないし、特別な魔法も使えないと手紙に書いていた。じゃあ、何を以て魔女や魔法使いと呼べるようになるのだろう……?

 そうやって答えもなく思案しながら歩き続けると、どうやら目的の場所へ辿りついたらしい。屋内であることに変わりはないけれど視界が開け、ケイは思考へ沈みかけた意識を浮き上がらせた。

 ホテルのエントランスを思わせるそこはとても広かった。壁には変わらず扉が列をなしているものの、また様相を変え、大きく重厚な扉ばかりが並んでいる。周囲を見渡してみれば、ここが円形の広場であることがわかった。今ケイたちが歩いてきたものを含め、四方に通路を繋げているようで、人々は各々に目的の方向へ向かっていく。

 そんな中、自分たちの行先は広場の中央にあるようだ。トーラスはこの空間の中心に構えた大きな円形のカウンター、そこに立つ人たち——おそらくは受付スタッフだろう——のうちのひとりへ近づいていき、顔見知りらしいその者へ親しげに声をかけた。


「よう、デイジー」

「いらっしゃいませ、トーラス兄さん。今日は配達……だけじゃなさそう。そちらの方は?」


 こちらに視線を向け、小首を傾げるその人の姿を捉えた瞬間、ケイはほんの少しばかり驚いた。けれど、それは内心に押し留め、表情は平静を取り繕う。目前には二足歩行の犬——それも毛並みのいいゴールデンレトリバーが立っていたが、ここまでの道中にも獣人と呼ばれるだろう存在は何人か見かけていた。故に驚きは最小限まで抑えられ、なるほど、これが前にラナが言っていた体毛のあるタイプの獣人というものかと考える余裕すらあった。

 そうやってケイが自らのファンタジー耐性の成長を実感しているうちに、頼りになる先輩はさっさと後輩の紹介を済ませてくれる。


「こっちの坊主はうちに新しく加わった見習いでな。ロージーの弟子ってことで身分証を作りたいんだが……」

「わかりました。担当者にお繋ぎしますので、少々お待ちいただけますでしょうか」

「ああ、頼む」


 淀みなく完璧な対応をしたゴールデンレトリバーことデイジーが手元の板を弄り始める。タッチパネルのようなそれに触れると、宙に魔法陣のような映像が浮き上がった。犬の受付嬢が魔法陣に向かって何か話すと、向こうからも誰かの話し声と思わしき音声が流れてくる。詳細は聞き取れないが、きっとこれはファンタジーな技術を用いた電話みたいなものなのだろうと大雑把に憶測し、微笑みを湛えたまま話し続けるデイジーを覗き見る。

 その姿はやはり紛うことなくゴールデンレトリバーではあるが、体の骨格は人間に程近い。上品な紺色のワンピースタイプの制服に身を包み、首元には紺と水色のストライプ模様のスカーフを巻いている姿は真面目ながら華やかだ。そして、当然のことではあるが、可愛い。

 もとの世界でも通学路なんかで散歩中の犬を見かけると、つい目で追ってしまう程度には犬が好きな自覚はある。そのため、視線の先で働くゴールデンレトリバーの姿はケイにとって非常に魅力的な光景だったが、あくまで彼女は獣人だ。年齢はわかりにくいものの、おそらくラナとそう変わらないだろう妙齢の女性をじっくり眺めるのは、さすがにまずい。名残惜しいような気持ちを押し殺し、視線を他へ向ける。

 さっきの通路よりも人通りが増えたためか、眼前の景色はよりファンタジー度合いが増しているように思えた。デイジーと同じく全身を被毛に覆われている獣人が多いようだが、他にも鈍く輝く銀の肌を持つ人、動くぬいぐるみを引き連れている人、まるで蝋燭のように頭が燃えている人など行き交う人々は本当に様々な姿をしている。そんな中、通路のひとつから七、八メートルはありそうな巨大な子どもが出てきたことに驚き、ビクリと小さく肩を跳ねさせたケイへトーラスが穏やかに言い含める。


「ここは色んな世界のやつらが集まるから面白いだろ。最初はぎょっとするような見た目のやつもいるかもしれんが、ほとんどが協会に加入してるか協会関係者だ。心配することは何もない」


 彼の言う通り、これまでの道中を含め、ここにいる人たちは皆、容姿に関係なく落ち着いた振る舞いをしていた。記憶を振り返り、改めて辺りを見渡す。これだけ多くの人がいながら、誰かが揉めているような様子はない。今しがた姿を現した巨大な子どももお行儀よく足元を気にして歩いていった。場の雰囲気は極めて秩序立っていると言えるだろう。なのに見た目に囚われて過剰な反応を示してしまうのは、失礼なことかもしれない。ケイは己の態度を見直し、それを窘めるのではなく安心させようとしてくれたトーラスへ感謝を覚えた。

 しかし、その気持ちを彼へ伝えることはできなかった。どのような言葉を口にするべきか考えているうちに、デイジーが用件を終わらせたのだ。手元の板を操作し、宙の魔法陣を掻き消した彼女はこちらへ向き直り、困ったように眉を下げた。


「お待たせしました。申し訳ございません。担当部署へ確認いたしましたところ、本来はこちらで完成済みの身分証をお渡しする手筈だったのですが、技術部のほうでどうしても依頼者様ご本人と最後の確認をしたいとの声が出ているようで……。お手数おかけしますが、技術部のほうへご足労いただいてもよろしいでしょうか」


 よくわからないが、何やら問題が起きたようだ。だが、トーラスは動じることなくその事実を了承した。


「わかった。そんなことを言ってんのはどうせ二代目だろ。生産技術課のほうでいいか?」

「はい。今、ご案内いたします」

「いいって。そんなに丁寧に扱われるような立場でもないし、他に仕事もあるんだろ。二代目とも知らない仲じゃないから、自分たちで行くよ」

「……ありがとうございます。では、恐れ入りますが、東区地下一階へお運びください」

「ああ。仕事、頑張れよ」

「トーラス兄さんもね」


 最後にお仕事モードの抜けた素を垣間見せたデイジーと言葉を交わし、トーラスはリヤカーのハンドルを握り直した。


「よし、じゃあ行くか。また少し歩くからちゃんとついてくるんだぞ」


 そう言ってゆっくりと歩き出す彼の後ろを追い、ケイもまたふたたび歩き出す。途中、後ろを振り返って受付カウンターを見やると、既に他の来客の対応を始めていたデイジーの姿が目に入った。

 容姿はやはりきれいで可愛いゴールデンレトリバーではあるが、その所作は間違いなく大人の女性のものだ。つい犬の要素に意識を奪われてしまいがちだけれど、彼女が自分よりも年上の女性であること、そして自分と同じ人であることに変わりはない。もしも今後、交流するようなことがあった時は、その事実をきちんと胸に留めておく必要があるだろう。

 思考に意識を割き、少し歩みに遅れを出したケイを気にかけるようにトーラスが僅かに歩を緩めた。それにすぐに気付き、慌てて早足で追いつく。前方からは下半身が蛇になっている女性が這ってきていたけれど、驚きは表情の下に押し込め、ケイは平然とした顔をしてトーラスの隣りで歩き続けた。

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