世話好き兄妹
約束の日曜日。今はふたりきりで暮らしているはずのグランマの家は朝からバタバタと忙しない。と言ってもケイは既に朝の仕度を終えている。いつもの休日ならば用なしのカラーコンタクトも、今日は登校日と同じようにきっちりと着用していた。
————そうそう。店とこの庭の中では別にいいけど、配達とかで外に出る時はその眼の色を隠していくんだよ。そこまで珍しい色ってわけじゃないけど、アイリスの血縁だってわかるやつにはわかっちゃうからね。
というロージーの言いつけをちゃんと守り、準備は万端だ。今はひとりで慌ただしくしている父が立てる物音を聞きながら、朝食代わりの冷たい牛乳をちびちびと飲んでいる。あとは休日にも関わらず何やら仕事があるらしい父を見送るだけだ。
そうしてしばし待つと、ようやく身支度を終えたのか、二階から父が下りてくる。台所から耳を欹てていたケイはマグカップ片手に廊下へ出て、玄関で腰を下ろして靴を履く父に近寄った。
「まったく、日曜出勤だなんてツイてないな」
「お疲れさま。大変だね」
焦っているのか、なかなか革靴に足を収められない父がぼやく。ケイには父の仕事のことはよくわからない。けれど、彼が忙しい身であることは見ていればわかる。
当たり障りのない——労いたい気持ちは本当にあったが他に何と言ったらいいのかわからなかった——言葉をかけると、彼は振り返り、自らの肩越しに息子を見て笑った。
「でも、新しい職場だから少し頑張らないとな。はじめが肝心ってやつだ。桂はどうだ? 学校、少しは慣れたか?」
「うーん……ぼちぼち……?」
これまた当たり障りのない質問に、ケイは首を傾げながら答えた。隣りの席のクラスメイト岡崎さんと話してから、とりあえず教室内でイヤホンをすることはやめた。そのおかげか、他のクラスメイトとも言葉を交わす機会は増えてきている。しかし、生来の人見知り気質と口の重さが作用して、結果的にはぼちぼちといった程度だった。
これ以上ないほどに正直でありながら無難な答えに父はまた笑い、立ち上がった。
「そっか。ま、何事もぼちぼちが一番さ。じゃ、いってくる」
「うん。いってらっしゃい。今日は俺も出かけるけど、門限までには帰ってくるから」
「わかった。気をつけてな」
特に変わったことのない、いつも通りの会話を交わして出かけていく父を見送り、扉が閉じるのをたしかに見届ける。
「……よし」
鍵をかけ、きちんと戸締りしたのを確認し、踵を返す。約束の時間まであと少し。マグカップを洗う時間を考慮してもたっぷりとお釣りがくる。アルバイト先が物置部屋から直通であるというのはなんとも贅沢な話だ。階段下の扉を横目で捉えながら、今しがた見送った背中を思い返し、ケイは足早に台所へ戻っていった。
「おはようございます」
「お、来たな。おはようさん」
チリン、と鳴ったベルの音と共に扉を潜ると、すぐそばのバックヤードで作業していたらしいトーラスがエプロン姿で出迎えてくれた。彼の後ろには大きな二輪の荷車——いわゆるリヤカーが停められており、どうやらそこへ配達の荷物を積んでいるところらしい。大きなトランクケースに、色とりどりの生花を挿した細長いブリキのバケツがたくさん。手段としては原始的だが、この華やかさはなるほど、花屋だ。
ほんの少し早めに店へやってきたケイは物珍しげに、初めて見る花屋の形態を観察した。その視線に気付いたトーラスが親指で肩越しに自身の後ろを指し示す。
「今、荷物の確認をしてるから少し待っていてくれるか?」
「わかりました。あの、何かお手伝いできることはありますか?」
協会とやらに連れていかれるついでとは言え、初めての配達ということもあり、少し張り切って訊ねる。だが、トーラスはあっさりと首を横に振った。
「いや、今は大丈夫だな。それよりお前、朝飯はちゃんと食ってきたか?」
「え、いえ……」
思わぬ質問を返され、困惑しながら答える。すると、彼は淡々と話を進め、提案をひとつ挙げた。
「そうか。もし俺の手作りでも平気ならサンドイッチがあるけど、食うか? もちろん腹が減ってないなら断ってくれていい」
「あ……じゃあ、いただきます」
「あっちの作業台にキッチンクロスをかけた皿に乗せてあるから、食べながら待っていてくれよ」
半ば反射的に頷けば、トーラスはバックヤードの作業台を指差し、さっさと作業へ戻っていってしまった。まだ困惑は続いているものの、このままここに立ち尽くしていても作業の邪魔になるだけだろう。そう考えてケイはトランクケースの中を点検しているトーラスの横を通り、奥の作業台へ近寄った。
台の上にはトーラスの言う通り、清潔そうな赤いギンガムチェックの布巾をかけられた皿が置いてある。そばにあったスツールを引き寄せ、腰を下ろし、そろりと布巾を取り払う。シンプルな丸平皿の上には、ワックスペーパーに包まれた大ぶりなサンドイッチがふた切れ並んでいた。
なかなか迫力のあるボリュームを目の前にして俄かに怖気づきそうになるが、よく見るとパン自体は薄く、具材もキャベツのコールスローサラダとゆで卵といった様子だ。嵩のほとんどがキャベツであることに気付き、これならどうにか食べきれるかもしれないと思い直す。
意を決してサンドイッチの片方を包み紙ごと手に取り、小声で「いただきます」と呟いてから具材を零さないように齧り付く。食パンに似たホワイトブレッドは柔らかく、すぐに噛み切れた。細かく刻まれたキャベツはシャキシャキとした歯触りで、酢を利かせたマヨネーズソースで和えてある。断面を覗くと、キャベツと同じような大きさに刻まれたニンジンとコーンの粒も混ぜられているようだ。野菜のさっぱりとした甘みに、時おり行き当たるゆで卵の濃厚な旨味が加わり、思いのほか食が進む。
そうして扉を潜る前に着けてきたエプロンへパン屑を落とさぬように気を付けながら、黙々と舌鼓を打ち、ふたつ目のサンドイッチにも手を伸ばした頃。バックヤードの入り口からひょっこりとラナが顔を覗かせた。彼女はケイの姿を見つけると、例のパッと花咲くような笑顔を浮かべ、ゆったりとした歩幅でこちらへ近づいてきた。
「ケイさん、おはようございます」
「……おはようございます、ラナさん」
ちょうど頬張っていたサンドイッチをどうにか飲み込み、挨拶を返す。その様子が可笑しかったのか、ラナはクスリと笑み、手に持っていたソーサーに乗ったティーカップをそっとケイの前へ置いた。
「よかったら、サンドイッチのお供にどうぞ。温かいミルクティーです」
「え、あ、ありがとうございます」
「食べ終わったら食器類はそこにそのまま置いておいてくださいね。後で片付けますから」
「……なんか、すみません……」
あまりに至れり尽くせりな待遇を受けると、なんだか居た堪れなくなる。肩をすぼめて申し訳ない気持ちを口にするも、何かにつけて世話を焼いてくれる先輩はさらりとそれを受け流した。
「気になさらないでください。私たちが好きでやっていることなので。今日の配達、頑張ってくださいね」
最後に励ましの言葉をかけ、ラナはバックヤードを後にした。その後ろ姿を見送り、彼女が置いていったティーカップを手に取る。微かに湯気を立てる白濁した水面へ慎重に細く息を吹きかけ、ひとくち啜る。温かくまろやかで、仄かに甘い。ほんのりと感じる茶葉の渋みを味わい、残りのサンドイッチへ取り掛かる。
しっかりと咀嚼しながらも手を止めずに食べ進めていけば、気付いた頃にはサンドイッチをほとんど食べ終えていた。その最後のひと欠片を飲み込み、胃を落ち着かせるようにまたミルク入りの紅茶を啜る。
温かな飲み物と野菜たっぷりのサンドイッチは、久しぶりにまともな食事を摂ったという実感をケイに与えてくれた。この前のキャロットケーキもそうだったけれど、何かをおいしく思うのはいつ以来だろうか。程よい満腹感と大きな満足感を得て、ケイはミルクティーをすべて飲み干し、手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
「お、食べ終わったか」
日本式の食後の挨拶に反応し、リヤカーへ荷物を積んでいたトーラスがこちらを振り返る。重たいものを運び続けていたのにも関わらず汗ひとつ掻いた様子のない彼は空っぽの皿を見て、一瞬、嬉しげな表情を見せたが、それには特に触れることはしなかった。
「こっちもちょうど終わったところだ。もういけるか?」
「はい、大丈夫です。……あの、サンドイッチ、おいしかったです」
「そりゃよかった。俺もラナも作りたがりの食べさせたがりだからな。迷惑に感じることがあったら遠慮なく断ってくれよ。ふたりして世話を焼きすぎる性分なのはわかっちゃいるんだが、加減が難しくてな」
さらりと自分たちの難点を指摘しながらも、その手はせっせと空の皿とティーカップを重ねているのだから〝世話を焼きすぎる〟という一点においては説得力があった。うっかり面倒を見られてしまったケイがあわあわとしているうちに、食器類を隅に置き、シンクのそばに用意してあった濡れ布巾で作業台をざっと拭き上げることまでやってのけたトーラスは、何か見逃していることがないか確かめるように辺りを見まわして頷いた。
「よし、そしたらそろそろ行くか。扉から出たら、俺から離れるなよ。迷子に気を付けて、本日もつつがなく、ってな」
数日前、始業の直前にも聞いた言葉を口にして、トーラスが器用に片目を瞑る。それからちょっぴりはにかむように笑う顔は、やはり彼の妹とよく似ていた。




