月の下の独白
翔の朝は早い、修行中の店の名は「ネロ」イタリア語で黒を表すらしい、何が黒なのかは知らないが。
翔のような見習いを雇ってくれた事に感謝で一杯だった。
高校を出て専門学校に行ける経済状態と、家庭内状況では無かった為に就職しかなかった。
朝一番鍵を開け、店内の掃除から始まる。
一区切り付けばすぐに食材の下拵え、ただし皮剥き程度でカットや調理は、二年経つ今でも触らせてもらえなかった。
(見習いなんてこんなもんだ、もっと頑張れば……)
その気持ちのままランチピーク中は洗い場で過ごし、夕方前に休憩。
先輩達が食事を終えるまで横で待ち、その片付けをしてから残り五分程が翔の休憩である。
そしてすぐディナーピーク、変わらず洗い場を行い気付けば営業が終わっている。
後片付けと施錠も翔の担当だ。
特に話しかけられる事無く、教えてもらえる事無く最低賃金で二年間やっている。
翔もバカでは無かった、そんな状況に置かれている事が小間使いや召使いと呼ばれておかしく無い事に。
それでも翔は離れようとは考えなかった、自身に学も金も無い中で、他に受け入れてくれる場所は無いと気付いていたからだ。
幸い最低賃金で働いても使う時間が無いので貯めれてはいた、ギリギリではあるが夢の為にも。
両親の内、父は居ない。
翔が小さな頃に蒸発したらしい。
母一人で育て上げてくれた、感謝しかない。
だからこそ店を持ち母を招待したい夢がある。
折れる訳にいかなかった。
(わかってるさ、ブラックに就職して教わる事も出来ない詰んでるってくらい……)
翔は昨日のマサムネが決闘していた空き地に差し掛かり、開けた視界に三日月を見据え、その下にくつろぐ猫マサムネを見つけた。
どうやら今日は無事穏やかに過ごしたようだ。
「おーいマサムネー」
何かの縁だとマサムネに声を掛けてみる。
ピクピクッと耳がこっちを向いたのがわかった。
しかし、丸まってくつろぎから体勢を変える気はないらしい。
(……ふ、まあいいや)
お構いなしにマサムネの横に座った。
「何だ翔?野良猫に関与してもメリットはないぞ」
「そう言うなって……お喋りするって新鮮なんだよ」
「……お前、辛いのか?」
「え?」
「……猫は感情を拾う、お前からはそんな匂いがする」
「……」
翔は言葉を出せなかった。
ハッキリと気にしないよう気にしないようにと、隠してきた心を嗅ぎ取られたのだから。
「……へ、猫は良いな。自由でハッキリしてくれて」
「……俺は野良猫であると共に地域のボスだ、相手を見抜けねば務まらん」
マサムネは変わらず丸まって、尻尾を振りながら月を見る。
「翔には恩がある、話ぐらいは聞いてやる。猫のアドバイスは出来んがな」
翔は思わず眼頭が熱くなってしまった。
知らず知らずのうちに限界近かったのだ。
「マサムネ、話聞いてくれるのか?」
「そう言ったであろうが、人間世界は知らんから聞くだけな」
「そうか、ありがたいな……俺いつか店を持つつもりで修行してたつもりだったんだ」
「……」
マサムネは黙って尻尾をゆっくり振っている。
「でもよ気付いたら二年も溶かしちまった、文句言わない雑用……まあ下っ端ですらない便利屋みたいにな」
翔は空の綺麗な三日月を真っ直ぐに見る。
「そりゃ最初は話をする事を頑張ったさ、覚えてもらおうと教わろうと……まあ結果的に邪魔だから物理的に離されてるけどな」
翔の視界が滲む、これ以上言えば決壊するだろう。
少し口を閉じ月を眺めた。
「翔には怒りが無いようだな、辛さしか感じれん。人間とはそんなものか?」
「何?」
「人間とはもっと感情で動く生き物かと思ったのだがな、野良猫を見つけた時の嬉しさや猫嫌いな人が見せる怒りとかな」
「……色々人間はめんどうなんだよ、怒ってしまえば守りたいもんに影響が出ちまうんだ」
マサムネは変わらずに丸まったままだ、その態勢で口を開く。
「野良猫とは違う生き方だな、生きるか死ぬかで怒を高めれない野良はすぐに死ぬ」
「まあ、否定は出来ないなマサムネ達はそれが生きる道なんだろう?」
「家猫と違い我らは自らで勝ち取り自らで生きる、翔とは逆だな」
「……痛い所突くなぁ」
知った事かとあくびをしながら伸びをして座り直したマサムネ。
「せっかく言葉を交わせるなら取引だ」
「あん?取引?」
「翔よ、今後は何か食い物を持ってこい。応じてお前の話聞いてやろう」
「……ふ、随分食いしん坊な猫だな……ああ」
この日、翔は一年分は喋った気がしていた。猫相手に。
こうして、月の下でマサムネと話す奇妙な夜が始まったのだ。




