第7話
案内された先は、長い歴史をその木肌に深く刻み込んだ、重厚な佇まいの社務所だった。
玄関土間でスニーカーを脱ぎ、丁寧につま先を外に向けてかかとを揃える。普段の生活であれば当然ここまで意識して靴を揃えるようなことはしない。だが、ここはやはり神聖な場所だ。自然とそうするべきだという、静かな強迫観念のようなものが俺の背中を押した。
黒光りするほどきれいに磨き上げられた廊下を、イツキさんの背中を追って歩く。前を行くイツキさんの足取りには、一切の淀みがない。柱の位置を確かめる素振りも、手で壁を触る動作も皆無だ。本当に彼には見えていないのだろうか。それとも、この建物の構造が骨の髄まで叩き込まれているだけなのだろうか。
不意に、襖の前でイツキさんがピタリと足を止めた。
彼が音もなく襖を開けると、その先へ入るように促された。
「準備をしてまいりますので、こちらでお待ちください」
「はい、ありがとうございます」
そう言ってイツキさんは深々と一礼し、廊下の奥へと消えていった。
通されたのは、至って普通の、落ち着いた和室だった。
十畳ほどの広さのその部屋には、入り口の対面にあたる壁の高い位置に立派な神棚が祀られていた。部屋の中央には座卓が二つ。入り口に近い手前側と、部屋の奥側にそれぞれ一台ずつ置かれ、傍らには座布団が丁寧に敷かれている。
(これ…上座とか、下座とか、あんねやろか。全然わからへん…)
下手に座って失礼にあたるのもマズい。といって、立ったままでいるのも間が抜けている。おいそれとは座れず、一人でオロオロと困り果てていると、背後の廊下のほうから静かな声が響いた。
「おや、お客様ですか」
振り返ると、そこに一人の男性が立っていた。
真っ白な白衣に、深い紫色の袴。この神社の関係者――それもかなり地位の高い人だろうということは、その格式高い衣服からすぐに理解できた。年齢は五十代後半、あるいは六十代に入ったばかりの初老といったところだろうか。
立ちすくんでいた俺は、慌てて居直り、深く頭を下げた。
「昨日からこの村でお世話になっている、浦部ケイです。あの、イツキさんにお誘いいただきまして…」
「ああ、私は足立リンドウと申します。トウジさんから話は聞いていますよ。ささ、ケイさん、そんなところに立っていないでお掛けになってください」
「ありがとうございます」
促されるまま、俺は部屋の奥の座卓へと案内された。神棚が祀られた壁を背にする、部屋の最奥の席――上座にリンドウさんが腰を下ろし、俺はその対面だ。
(あぶな…下手に座らんでよかったで、ほんま。手前の適当なところに座ってたら、大恥かくところやったわ…)
胸を撫で下ろしながら座布団に深く腰を下ろし、視線を前にやる。リンドウさんは、穏やかな笑みをたたえて俺を静かに見つめていた。
だが、その顔を見た瞬間、俺の胸に再び奇妙な引っかかりが生まれた。
(あれ…? リンドウさんも、《《似とう》》…?)
イツキさんとトウジさんが「親子だから似ている」という単純な説は、これで崩れ去った。
整いすぎた、機械的と言えるほどに左右対称な顔立ち。目の前に座るリンドウさんの顔もまた、トウジさんやアヤメさんと気味が悪いほどに共通する「遺伝子」を感じさせた。
あまりに不自然だ。ここはもう、直接聞いてみるしかない。
「あの…リンドウさんとイツキさんのご関係は」
「イツキは私の息子です。よく似ているでしょう」
リンドウさんは誇らしげに微笑んだ。だが、その顔は「親子だから似ている」という一般的な常識の範囲を遥かに逸脱していた。まるで一つの型から抜き取られたような酷似っぷりだ。
いや、待て。じゃあ――。
「はい…でも、その、リンドウさんとトウジさんも、ものすごくよく似ていらっしゃいますよね」
「はい」
リンドウさんは、何でもないことのように静かに頷いた。その平然とした『はい』に、妙な寒気が走る。
「あの、もしかして、ご兄弟とか…ですか?」
「いえ。でも、遠い親戚ではありますよ。何分、狭い村ですから。家族同然に、仲良くさせていただいています」
遠い親戚。家族同然。
ただの「そっくりさん」で片付けるには、あまりにも違和感が大きすぎる。この村に生きる人間たちには、何か、共通の血が流れているのではないか。村の他の人間たちとも話をし、情報を集めなければならない。
そう思考を巡らせていた、その時だった。
「宮司、直会の準備ができました」
襖が静かに開き、イツキさんの涼やかな声が、部屋の中に響いた。
イツキさんのすぐ背後から、一人の高齢の女性がすっと滑るように室内に入ってきた。 黒っぽいもんぺ姿の上に、真っ白で糊のきいた清潔な割烹着を着ている。白髪の頭には年季の入った手ぬぐいをきっちりと巻き、いかにも田舎の働き者といった佇まいだ。
女性は俺と目が合うと、軽く会釈し、柔らかな笑顔を返してくれた。
そのまま音もなく畳の上に膝をつき、両手に抱えたお盆を滑らせるようにして、手際よく配膳し始めた。
まずリンドウさんの前へ、次に俺の前へ。
そしてイツキさんが下座の座布団に音もなく腰を下ろすと、彼の手元にも手際よくお盆が置かれた。女性は一連の所作を完全な無言で終えると、再び影のように静かに襖の向こうへと去り、パタンと扉を閉めた。
目の前に置かれたお膳を視線で追い――俺は思わず喉をごくりと鳴らした。
美味しそうだったから、それも正解だが、正確には違う。質素で、綺麗だが、どこか異様な色彩を放つ朝食。
漆塗りの椀に盛られた主食。お椀から立ち上る真っ白な湯気と共に、どことなく薬草のような、甘く微かに鼻を突く独特の香りが漂ってくる。
湯気の向こうに現れたのは、これまでに見たこともない、眩しいほどに鮮やかな『黄金色』に染まった米が鎮座していたからだ。
(黄色い…? なんやこれ、サフランライスか? いや、和食やんな…)
静かな和室の中で、そのお椀の中だけが、まるで毒々しい蛍光塗料でも塗られたかのように異様な輝きを放っている。
「これは『梔子飯』といいます。この山で採れたクチナシの実の煎じ液で、お米を炊き上げたものです」
俺の戸惑いを察したのか、リンドウさんが穏やかな声で説明してくれた。
「古くからこの地域に伝わる特別なものでしてね。クチナシは『口無し』――すなわち、余計な言葉を発せず、黙々と徳を積むという、当村の教えを象徴する大変縁起の良い食べ物なのです。さあ、冷めないうちに召し上がってください」
「はぁ…。いただきます」
促されて箸を手に取るが、お膳の他のおかずを見て、俺の手は再びピタリと止まった。
黄色いご飯の脇に添えられていたのは、シンプルに塩を振ってこんがりと焼かれた、三匹の小さな『めざし』だった。
焼き上がったその魚たちの頭は、行儀よく左側を向いている。だが、その頭部に並ぶ小さな目玉は熱で白く濁り、くぼみの奥で完全に潰れ、光を失っていた。
もう一つの器に入ったすまし汁は、一切の濁りがない完全な透明で、具材である木綿豆腐の一片と、小さなキノコがひっそりと底に沈んでいる。
静かだった。箸を持ったまま、俺は再度、ごくりと冷たい唾を飲み込んだ。




