第6話
「あ…す、すんません…」
正直、神社の参拝ルールや作法なんて意識したことは一度もないが、こうして直々に神職らしき人から注意されれば、素直に謝る他ない。
いや、というか、待て。
この数メートル先も見えないような深い霧の中で、何故この人は、俺が参道のど真ん中を歩いていたことが分かったのだろうか。
「俺、浦部ケイ、言います」
「浦部、ケイさん…」
俺の自己紹介を聞いて、男性は小さくその名を繰り返した。
彼が静かに、滑るような足取りでこちらへと近づいてくる。霧が少しずつ薄れ、男性の姿が段々と視認できる距離になった。
その顔がはっきりと見えた瞬間、俺は息を詰まらせた。
(またや…)
トウジさんや、スミレさんと同じなのだ。
年齢も30代半ば、ぐらいだろうか。トウジさんの息子という線も十分に残されている。だが、とにかくその顔立ちのパーツの並び、左右対称の造形が、ぞっとするほどあの二人と似ていた。
朝の冷気の中で、その整いすぎた顔がどこか作り物めいて見える。
そして何より、よくよく彼の顔を見てみると――その双眸は大きく開かれてはいたが、焦点を結んでおらず、そこには一切の光が宿っていなかった。
(…見えてない、んか?)
どこか虚無を湛えた両の瞳。
彼は視線を俺の顔に向けるのではなく、俺の「声が発せられた方向」へと正確に向けていた。
「私は、この空木神社の権禰宜の足立イツキと申します。ケイさん、こちらへは、どのようなご要件でいらしたのでしょうか」
「あ、いや…」
俺は慌ててスマホを下ろし、液晶画面を消した。
ポケットにねじ込みながら、見えていないはずの彼の両眸が、正確に俺の顔のあたりを捉えているような錯覚に陥いる。
「昨日から、トウジさんの紹介で『公営お試し住宅』に泊まらせてもろてまして。朝、目が覚めたらものすごい霧やったんで、散歩がてら、村の様子を見させてもらおうと思って…。ご挨拶が遅れてすんません」
乾いた喉から、どうにか言い訳を絞り出す。
「なるほど。移住体験の方でしたか」
イツキさんは小さく頷いた。その物腰はトウジさん同様に極めて上品で、静かだった。
「ようこそ、梔子村へ。改めて歓迎いたします。…ところで、ケイさん」
「はい」
「当神社に限らず拝殿は、神聖な場所です。みだりに写真など撮影されるのは、あまり感心いたしませんね」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。だがすぐに、彼が先ほどの微かなスマホのカメラのシャッター音を指しているのだと気づき、どっと背筋を冷たい汗が伝い落ちた。
(聞こえとったんか…)
この視界を白く塗り潰す深い霧の中、撮影時点で俺と彼とは優に十メートルは離れていた。目が見えないが故に、聴覚が異常なまでに研ぎ澄まされているというのか。
いずれにせよ、俺に非があることは明らかだ。兎にも角にも、まずは謝罪すべきだろう。
「す…すんません…」
すると、イツキさんの纏っていた張り詰めた空気が、ふっと、嘘のように軽くなった。
「すみません、脅かすつもりはなかったのですが。なにぶん、外の方が来ることがあまりないもので、私も緊張していたようです」
眉を少し下げて微笑むその口調と雰囲気から、彼が根は真面目なひとなのだろう、ということが伝わってくる。だが、先ほどの人間離れした気配との落差に、脳がうまく状況を処理しきれず、ひどく混乱した。
「いや、ルールっちゅうか、しきたりとか、あんまり気にしたこともなかったもんで…今度から気をつけます」
「いえ、私も言葉尻がきつくなってしまい申し訳ありません」
イツキさんが、ゆっくりと一歩を踏み出す。
玉砂利を踏むその足音が、白い霧に飲まれ、消えていく。
「そうだ、あの、ケイさん。お忙しいですか?」
「いえ…ブラブラしとっただけなんで、暇ですけど」
戸惑いながら答えると、彼は再び柔らかく微笑んだ。
「これから直会…朝食を頂くのですが、ケイさんもご一緒に如何でしょうか」
確かに、腹も減っている。それに、この村の得体の知れない空気の正体を、少しでも聞き出せるかもしれない。一石二鳥だ。断る理由はなかった。
トウジさんもそうだったが、案外、人が温かい土地なのかもしれない。
「ええんですか…じゃあ、お言葉に甘えさせてもらえますか」
「ええ。では、こちらへどうぞ」




