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還る血の仔ら  作者: 邑沢 迅
9日目

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第51話 G

 取り乱し、過呼吸を起こしかけていた母親のために、病院の職員が空いている個室の病室を手配してくれた。


 パイプ椅子に座らされた母親は、相変わらずガタガタと激しく全身を震わせている。


「なんやねん、おかん。どないしてん」


 狼狽する母親に、声をかける。


「ケイ、あんた、あの子…梔子くちなしの…ちゃうんか」

「…」


 重い沈黙が落ちる。

 背中にじっとりと冷たい汗が伝い落ちた。


「せっかく逃げてきたのに…せっかく…どこまでも、追ってくるんや…」


 母親は頭を抱え、ひゅう、と引き攣った呼吸を繰り返す。


「落ち着きや。スミレさんは、確かに梔子村の人や。でも、もうなんも関係あらへんねん。俺らはあそこから逃げてきたんや」


 自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐが、胸の奥底に空いた巨大な穴から吹き抜ける虚無感はごまかせない。


「それだけやない…」


 母親が虚ろな目で呟きかけた、その時。


 コンコン、と。

 冷たい金属の扉を叩く音が響き、先ほどの男性医師が顔を覗かせた。


「浦部さん。大変なところ恐縮ですが…大事なお話です」

「…はい」


 医師の額には微かに脂汗が浮かび、その視線はひどく落ち着きがない。


「お子様のことですが…恐らく、無動無言症…精密検査の結果次第ですが…」


 むどうむごんしょう。

 聞いたこともない病名が、鈍器のように脳天を殴りつけた。視界がぐらりと歪む。


「それは、どういう…」

「目は開いているのに、自発的な運動や発声が一切ない状態を指します…」


 医師の言葉の間に生じた、息の詰まるような戸惑いと沈黙。冷え切った空気が、喉の奥を塞いでいく。


「つまり…?」

「意識はあるが、自我はない状態…とでも申し上げましょうか…。まずは、私どものほうで詳しい検査をいたしますので」

「…よろしくお願いします」


 そう言い残すと、男性医師は逃げるように小走りで去っていった。

 自我がない。自ら動くことも、言葉を発することも、感情を示すこともない、ただ呼吸するだけ。

 俺とスミレさんの愛の結晶は、空っぽの空洞だとでもいうのか。


「おかん…おかん?」


 ふらつく足で母親の方を振り向くと、彼女はパイプ椅子の上で全身をガクガクと震わせ、虚空のあらぬ方向を凝視していた。


「おかん、おい、おかん!」

「…拒まざる…」

「…え?なんて…」

「開祖の再誕…『拒まざる』が……」


 ぴたりと。

 心臓の鼓動が、一瞬止まった気がした。


「おかん、なんやねん、それ!おい!『梔子沈黙律』と、『三戒』となんか関係あるんか」

「ケイ…四猿目や…至極の戒…『拒まざる』」


 その瞬間、脳裏に雷が落ちたように、かつて村で見たあの古びた手記の記憶がフラッシュバックした。


 視の戒、聴の戒、言の戒。

 見ざる、聞かざる、言わざる。


 …だが、あの手記には不自然に破り取られたページがあった。あの空白のページにこそ、本当の狂気が記されていたのだ。


「母親に…フジにずっと、繰り返し繰り返し、頭がおかしくなるまで教えられとったんや…今でも《《そら》》で言えるわ…それが嫌で、狂いそうで逃げてきたのに…」


 母親の目から、ボロボロと生気のない涙が溢れ落ちる。

 周囲の空気が急速に冷え、無機質なはずの病室に、あるはずのない梔子の実の不気味な匂いが充満し始めた気がした。


「教えてくれ。その、『至極の戒』」


 俺は、自分自身の完全な破滅を乞うように尋ねた。


 それから、母親の震える口から語られたのは、破られたページに記されていた完全な『梔子沈黙律』であった。


 見ず、聞かず、言わず。

 そして、拒まず。


 一切の自我を持たず、己の運命と交わりをただ受け入れるだけの存在。


 俺と、スミレさんの間に生まれた、我が子。


 意識はあるが、自我はない。

 何も望まず、何も拒まない。


 純粋無垢なる血の器。

 まさにそれは、梔子村が何百年もの間、濃い血の果てに待ち望んでいた究極の悲願。

 『三戒』を超える、おぞましい奇跡。


 四猿目である、『拒まざる』。

 あの顔のない開祖の、完全なる再誕の姿であった。



【END⑤ 開祖の再誕】


本編を最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。もしよろしければ、はじめにどのエンドにたどり着いたか、コメントやレビューで教えていただけますと嬉しいです。


是非次の頁にある経典『梔子沈黙律』の全容もお楽しみください。


そして、この小説を面白いと感じていただけましたら、★★★★★の評価とブックマークで応援どうぞよろしくお願いいたします。

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