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還る血の仔ら  作者: 邑沢 迅
9日目

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第48話

 俺は、どこまでも続く長い長い石造りの階段を、あてもなく降りていた。足裏から伝わる石の表面はじっとりと冷たい液体で濡れており、一歩踏み出すたびにずるりと滑り落ちそうになる。ここは現実なのか、悪夢の中なのか、それすらも曖昧になっていた。


 少し階段を降りた先、濃い霧が晴れるように、唐突に古い神社が姿を現した。

 朽ちかけた鳥居の奥、しんと静まり返った境内から、二つの影が音もなく階段を降りてくる。そして、俺の数段上でピタリと止まった。


 彼らは、ただ、じっと俺を見つめている。

 一人は、黒い羊の仮面を被った宮司。

 一人は、白い狐の仮面を被った巫女。


 異様な出立ちの二人に挟まれ、鼓動が早鐘を打つ。逃げ出さなければという本能とは裏腹に、足は石段に縫い付けられたように動かない。

 深い沈黙の底で、ふと、脳の髄を直接撫でられるような感覚に陥った。

 声は聞こえなかった。だが、確かに問われた気がしたのだ。


 『どうしたいのか?』と。


 重く、ひどく冷たい問いかけ。

 干からびた思考の中を探っても、答えなどどこにも見当たらなかった。


(わからない)


 それは素直で、あまりにも空虚な本音だった。


 その言葉を合図にしたかのように、黒い羊の宮司がぬるりと距離を詰め、俺の背後へと回った。万力のような異常な力で、俺の肩と腕が固定される。


 抵抗する間もなかった。身動き一つとれない。


 そして目の前で、白い狐の巫女が、ゆっくりとその仮面に手をかけた。


 そこに顔はなかった。


 仮面の下にあったのは、底なしの真っ黒な深淵だった。


 そして、彼女は俺に顔を寄せ、深く口づけた。いや、そもそもそれが「口」であったのかすら定かではない。


 生ぬるく、甘やかな果実のような、薬品が混じったような、ひどく心地が悪い匂いが鼻腔を突き抜ける。

 次の瞬間、俺の開かれた唇の隙間から、ドロリとした正体不明の何かが入り込んできた。


 それは酷く熱く、食道から胃の腑にかけて、俺を内側からジュウジュウと灼き焦がしていく。内臓が溶けるような激痛に身をよじってひとしきり呻いた。


 だが、その暴力的な熱さは、やがてじわじわと奇妙な温かさへと変質していく。腹の底に、どす黒い塊がどっかりと居座ったような、おぞましい安心感。


 拘束が解かれる。

 宮司と巫女は何も言わず、俺の背中を押し、境内へと導いた。


 痛みの名残でふらつく足元を必死に保ちながら進むと、そこにはさらなる階段が口を開けて待っていた。


 暗闇の底へと続く、螺旋状の石段。

 さらに降りる。ざっと数百段はあるだろうか。


 やがて、重い足取りの先に、巨大な門が現れた。

 見上げるほどに高く、不気味な紋様がびっしりと彫り込まれた古い木造の門。

 周囲には誰も居なかった。

 圧倒的な静寂。

 だが、またしても、確かに問われた気がした。


 『選び取る覚悟はあるのか』と。


 俺は濁った息を吐き出し、ただゆっくりと首を振った。


 (わからない)


 その呟きが空気に溶けた瞬間。


 地鳴りのような重低音を響かせ、巨大な門が独りでに開かれた。


 途端に、眼球を突き刺すような眩しい光が溢れ出し、網膜を灼く。

 両手で顔を覆うが、光は皮膚を透かして脳を白く染め上げていく。

 何も見えない。平衡感覚が奪われ、足元から世界が崩れ落ちていくような錯覚に陥る。


 全身の力が抜け、意識が、深い白の底へと遠のいていく。


 やがて、灼きつくような痛みが引き、目が慣れた。


 その先の景色は――



 重い瞼をこじ開けると、薄暗く、見知った長屋の天井が静かに俺を見下ろしていた。


 手探りでスマホの冷たいディスプレイに触れ、タップする。

 

『12月9日 08:49 圏外』


 悪夢を見ていた気がする。

 布団から身を起こすと、寝間着のスウェットがじっとりと粘り気のある汗でびっしょりと濡れ、皮膚に不快にへばりついていた。気化熱によって急激に体温が奪われ、芯から震えるような悪寒が背筋を這い回る。


 重い体を引きずって一階へと降りた。リモコンに手を伸ばし、エアコンの電源を点ける。冷え切った廊下を歩いてトイレを済ませ、脱衣所へ向かった。熱めのシャワーを浴びる。


 着替えを済ませた頃には、部屋の空気はもう十二分に暖まっていた。


 換気扇の下に立ち、タバコを咥えてライターの火を近づける。

 チリ、と紙の燃える小さな音が響き、肺の奥底までニコチンの刺激が流れ込む。

 冷蔵庫からペットボトルの緑茶を取り出し、乾ききった喉を潤した。冷たい液体が食道を下っていく感覚は生々しいのに、不思議と空腹は全く感じなかった。


 煙をゆっくりと燻らせながら、昨夜の夢の輪郭をすくい上げようとする。


(気持ちのええもんや、なかった気がする)


 はっきりとは思い出せない。しかし、何かどす黒く、おぞましいものに触れたような生理的な嫌悪感だけが皮膚の表面に残っている。

 そして、何故か感じるのだ。腹の底からじわじわと広がり、身を焦がすような体内の異様な「熱」を。


 あの夢と関係があるのか、それとも、ただの勘違いなのだろうか。


 昨日の出来事――トウジさんから突きつけられた、自らの血にまつわる絶望的な事実を思い返してみる。


 だが、不思議なことに、俺の心は薄気味悪いほどに凪いでいた。

 本来なら狂おしいほどに湧き上がるはずの焦燥感も、理不尽な因習への怒りも、逃げ場のない悲しみも。すべてが、体内に巣食うその得体の知れない熱にドロドロと溶かされ、音もなく消えていく。


(決めたことや)


 誰のものでもないような内省的な独白が、脳裏に静かに落ちた。

 ふう、と吐き出したタバコの煙が、換気扇の低い唸り音とともに吸い込まれ、虚空へと消えていく。


 指先まで短くなったそれを灰皿の底でぐりぐりと揉み消し、冷たい革の財布と、沈黙を続けるスマホをポケットへと仕舞い込んだ。


 もはや後戻りのできない、確かな想いを胸に、俺は――


E:永遠の沈黙を与える為に、空木神社へ向かった→https://ncode.syosetu.com/n8123mg/52/


F:安息を求める為に、村役場へ向かった→https://ncode.syosetu.com/n8123mg/54/


G:約束を守る為に、診療所へ向かった→https://ncode.syosetu.com/n8123mg/56/



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