第46話
「叔父…?あなたが、俺の…」
喉の奥がひきつれ、掠れた声が漏れる。
デスクの上に広げられた、拡大と収束を繰り返す異常な家系図の黒い線が、虫の這う軌跡のように網膜にべったりと焼き付いて離れない。
「申し訳ありません、決して隠していた訳ではないのですが…」
トウジさんは困ったように眉を下げ、ひどく人間らしい仕草で謝罪する。
その言葉の後に生じた、じっとりとした薄暗い沈黙。俺はただ硬直して彼を見つめていた。
だが、次の瞬間。
パン、と。
乾いた音が重い空気を叩き割った。トウジさんが両手を打ち合わせたのだ。その顔は、先ほどの申し訳なさそうな表情から一転し、得体の知れない笑顔へと変貌していた。
「ですが、血は嘘をつきません。あなたがこの村の空気に、そしてアヤメたちとこれほど早く馴染めたのは、あなたの半分が、最初からこの里の『血』で出来ていたからなのです」
トウジさんは、迷い子を慈しむような、あまりにも穏やかな微笑みを浮かべて、俺へと一歩近づいた。
皮膚の表面を針でチクリと何度も刺されるような、生理的嫌悪感に襲われた。
「なぜ、相続なんて嘘をついてまで、俺を呼んだんですか」
問いただしたいことは山のようにあったが、ようやくそれだけを絞り出す。
「嘘ではありませんよ、ケイさん。あなたは確かに、浦部シバさんの正統な、そして唯一の継承者なのですから。私があなたを呼んだ理由…それは、あなたがこの里を繋ぐ『種』となり、この村の長を継ぐべき存在だからです」
全身の毛穴という毛穴が一斉に粟立った。
トウジさんの言葉は、この世の絶対的な理を淡々と説くように静かだった。だが、その背後に透けて見える狂信の深さに、足元の床が不意に無くなったような錯覚を覚える。
「トウジさん…、俺が、あんたの跡を継ぐ言うんか」
「ええ。あなたは外の血を適度に取り込んだ、『浦部』の直系です。あなたの祖母、フジが村を出た理由を、あなたはご存知ですか?」
トウジさんは、執務室の薄暗い光の中で、デスク上の家系図をゆっくりと指差した。その白い指先が、『浦部 藤』の文字をなぞる。
祖母は俺が生まれたときには既に鬼籍に入っており、一度も会ったことはない。
そして、母親からも、不自然なほどに自分の実家や血筋についての話は聞いたことがなかった。すべては、奇妙な空白だったのだ。
「代々、浦部家は里を存続させるために村の中で仔を作ります。ですが、御存知の通り、血が濃くなりすぎれば、やがては自壊してしまう。それを防ぐため、二世代目にあたる『浦部』は、血統を外へと『放流』するのです。来るべき近交弱勢に備え、血を適度に薄め、冷却するために」
冷却。放流。
人間を、血を運ぶためのただの器か家畜のように語るその単語に、強い目眩がした。
「じゃあ、ばあちゃんは…」
「ええ。フジも、その宿命を背負って外の世界へ出た。あなたの母親は戻ることを拒否したようですが…。『浦部』という純浄な種を、この里へと持ち帰るための準備だったのですよ」
(おかんは、全部知った上で、逃げとったんか…)
頭の中が、どろどろとした冷たい液体で満たされていくような虚無感。
『俺』でなければならない。
だが、『俺』でなくても良い。
この身に流れる『浦部』の血だけが、求められているという事実。
「そして、私――細見家は、その還流を待つ間、この席を預かっていただけの、村を守るための『鞘』に過ぎません」
静かに語るトウジさんの瞳を見つめ返し、俺は底知れぬ恐怖に総毛立った。
彼の瞳には、俺に対する執着や憎しみなど微塵もない。私欲も野心も存在しない。そこにあるのは、ただ村の存続を心から喜ぶ、混じり気のない絶対的な善意だけだった。
狂気に染まりきった純粋な善意。それが、どんな悪意よりも恐ろしかった。へばりつくような悪夢の中で、俺だけが正気を保てずにいる。
「血が還る日は近い。
さあ、我らが開祖の血よ。
あなたが本来在るべき場所へ」
自身の心音がひどく遠く聞こえる。
視界の端で、顔のない開祖のタペストリーが、すこしだけにやりと笑った気がした。




