第34話
言いしれない高揚感と、奇妙な一体感を感じながら、どれほどの時間が経っただろうか。
突然、ズズズという重い地響きと共に、石室の入り口が動いた。
ほんの僅かに開いた隙間から、暴力的なまでの朝の光が差し込み、俺の目を容赦なく灼く。
(眩しい――)
「皆さん、お疲れ様でした」
眩暈のなか、まだ何も見えない視界の向こうから、トウジさんの声だけが石室の壁に反響した。
あの完全な静寂に慣れきってしまっていた俺の耳には、その穏やかな声さえも、やけに大きく脳髄に響き渡る。
「さあ、ケイさんから」
声をかけられるが、すぐには反応できなかった。
喉がカラカラに干からびていて、声を発することが出来ない。そればかりか、冷たい敷物の上にずっと座り続けていた俺の足は、完全に感覚を失っていて、すぐには稼働を開始できなかった。脳から各部への電気信号が、どこか致命的に遅延しているような、奇妙な感覚。
俺がその場で無様に蠢いていると、不意に、背中に確かな温度を感じた。
光が眩しくて正体を確認することは叶わない。けれど、その見えない誰かの手が、優しく、俺を前へと誘ってくれた気がした。
その温もりに導かれるようにして、四つん這いになり、必死に穴蔵から外へと這い出る。やはり、目はまだまともに開けることができなかった。
「素晴らしい、お籠りでしたね」
何度も瞬きを繰り返し、やっと光に目が慣れて、周囲の情景が輪郭を結び始める。
村を彩る白い雪は、眩い朝日を反射してキラキラと光り輝いており、息を呑むほどに美しかった。外の空気は、あのじっとりと熱を帯びていた石室とは違い、肌を刺すように冷え切っていたが、今の俺にはそれが最高に気持ち良かった。
這いつくばる俺の脇に誰かが手を貸してくれ、支えられながらなんとか立ち上がる。
視線を上げると、そこには、これまでに見たこともないほどの満面の笑みを浮かべたトウジさんが立っていた。
その笑みには、昨日までの「仏の慈悲」などという取り繕ったものは、もう一滴すら含まれていなかった。ただただ、単純で無邪気な喜びに満ち満ちた表情。
「これであなたも名実ともに、我ら梔子村の家族です」
トウジさんの口から放たれたその言葉が、じわりと、得も知れぬ混沌に姿を変え、俺にゆっくりと這い寄って来ているような、凄まじい吐き気を催す感覚だった。
◇
空木神社の社務所、狭い六畳の和室。
畳の上に置かれた、俺が元々着ていた洋服は、この部屋を出たときのまま、そっくりそこに残されていた。
何一つ変わらない現世の光景を目にしただけで、胸の奥からどこまでも深い安堵が込み上げてくる。
まだふらつく足に力を込め、白装束を脱ぎ捨てる。
昨日まで着ていた、防寒仕様のチノパンに再び足を通す。その内側の起毛の、柔らかく暖かい感触が、どこまでもいつも通りで、涙が出るほどに心地よかった。
『12月5日 08:59 圏外』
スマホのディスプレイも、いつもと変わらない無機質な表示を返してくれた。
現代の日常へと戻ってこられたという圧倒的な安心感が、ついさっきまで恐怖に駆られていた俺の心を、静かに満たしていく。
(そういえば…中で俺を支えてくれたんは、一体誰やったんやろな…)
あの暗黒の中で勇気づけてくれた『何か』。
そして、石室から出るとき、動かない俺の背中を優しく押してくれた、あの温かな手。
極限状態のなかで感覚が麻痺していたせいで、それが男性のものなのか、女性のものなのか、手の大きさも何も分かりはしない。
ただ一つ、はっきりと覚えているのは、あの狂気の世界のなかで、その手だけが俺を現世へ引き止め、救ってくれたということだけだ。
(…まあ、いちいち誰か聞いて確かめるのも、野暮、やな)
無事にこうして生きて戻ってこられた。その安心感の次に俺を襲ってきたのは、酷く俗っぽい生理的欲求だった。
――ぐぅ。
静まり返った和室に、俺の情けない腹の虫が響き渡る。緊張が解けた途端、凄まじい空腹感が押し寄せてきたのだ。
(確かこの後、みんなで集まってメシや言うてたな。…よし、気ぃ取り直して、行くか)
俺は自分の頬をぱちんと両手で叩き、和室をゆっくりと出た。




