第32話 B
極寒の空木神社。
その本殿から少し外れた鬱蒼とした木々の合間に、『石室』と呼ばれる場所があった。
石でできた小さな入口だけが地上に覗いており、その全貌は土の中に埋まっている。これは建造物というより、天然の洞窟を加工したたような、そんな印象を受ける場所だった。
俺とイツキさん、そして、同じ白装束をまとったスミレさん、アヤメさん。
その他には、トウジさんと、凪いだ表情の村民が六名、その石室の前に無言で静かに集まっていた。
「ケイさん、とても、似合っていますよ」
「…ありがとうございます」
寒い、あまりにも寒い。
トウジさんの賛辞も、遠くに聞こえるほどの寒気。
スミレさんも、アヤメさんも、俺に穏やかな顔を向けてくれた。だが、やはりこの夜の山独特の刺すような寒気には正直なようで、その白い身体はガクガクと小さく震えていた。
「では、開けてください」
トウジさんが村民に指示を出すと、石室の入口を塞いでいる巨石に、数人がかりで手をかける。
ズズズ、という地鳴りのような重い摩擦音を響かせて、ゆっくりと入口の石が動いていく。すると、大人がひとり、四つん這いになって通れるか通れないかという暗い穴蔵が姿を現した。奥からは、何百年も閉じ込められていたような、湿った土と古い岩の匂いが漂ってくる。
「さあ、梔子の葉を。そして、石室の前へ」
トウジさんに促され、イツキさんたちはすぐさま、手に持った梔子の葉を口に咥えた。俺も慌ててそれを真似る。口の中に、独特の青臭さと、かすかな苦味が広がった。
石室の小さな穴の前に俺達は並び、トウジさんの方へ居直る。トウジさんは一本の蝋燭を掲げ、俺たちを見据えて、朗々と祝詞を呟き始めた。
「外界の形あるものを視ず、俗世の喧騒を聴かず、己という幻を言わず。三つの沈黙を以て、人たるを止め、ただ血の流るる管と成りたまえ。受容せず、拒絶せず、自己の境界を捨てて、ただ拒まざる空の器と成りたまえ。沈黙が極まり、個の消え失せしその果てに――我ら開祖へと至らん」
トウジさんの不気味な祝詞が終わると同時に、まるで赤子が這うようにして、イツキさん、アヤメさん、スミレさんが無言のまま、次々とその暗い穴へと姿を消していった。
最後に、トウジさんの慈愛に満ちた瞳が、俺を穴へと促す。
当然、乗り気はしない。
引き返したい。
だが、ここまで来たら行くしかない。
俺は意を決して雪の上に膝をつけ、這うようにして中へと這入った。
ずるりと身体を滑り込ませた瞬間、外の刺すような寒さが和らいだ。…いや、正確には寒いのだが、極寒の雪山から、ぬるい池の中にドボンと飛び込んで、一時的に暖かく感じるような、そんな妙な身体の錯覚。
(これやったら、朝まで耐えられる…んか?)
だが、何も見えない。手探りで這い進むと、指先に何かが触れた。――誰かの手だろう。かすかに震えている。その手に導かれるままに進むと、手にざらついた感触を覚えた。麻か何かで出来た敷物だろうか。
ふと上へと手を伸ばしてみると、意外と高さがある。頭をぶつけることはなさそうだった。
その敷物の上に俺が座ると、まさに今、背後で石室が閉じられようとしていた。
ズズズ、と重い石が引きずられる音が響き、外界からの細い光が完全に遮断された。そこは、何一つとして識別できない、真の闇だった。
(まるでアマテラスやな。…いや、あれは、自分で入ったんやったっけ…)
暗闇への恐怖と動揺を覆い隠すように、どうでもいい無駄な考えが頭の中を占拠する。そうしていなければ、一瞬で正気が削ぎ落とされそうだった。
すう、すう、という、三人と俺の呼吸音だけが、狭い空間にやけに大きく響き渡る。
だめだ、冷静になろうとすればするほど、その静寂の重みに精神が削られていくのが分かる。
(どこぞの神父みたいに、素数でも数えて落ち着くか…?…いや、あかん、一番最初の素数がわからん。そもそも素数ってなんやっけ、えっと…)
このときの俺は、まだ、そんな他愛のないことを考える余裕があった。
――だが、本当に恐ろしい時間は、ここからだった。




