第31話 B
案内されたのは、空木神社の社務所、六畳ほどの狭い和室だった。
ただでさえ狭苦しい上に、部屋の隅には古びた神棚や、古文書らしき巻物がぎっしりと詰まった煤けた木箱が積み上げられている。閉塞感と、肌にまとわりつくような沈黙。まさに神域の門前とでも言うべき、厳かで息苦しい雰囲気に満ちた部屋だった。
畳の上には、先日アヤメさんが丁寧に検品していた純白の白装束が、ぽつんと準備されていた。俺は、この洋服をすべて脱ぎ捨て、これに着替えなければならない。
すでに準備を終えて白装束に身を包んでいたイツキさんが、静かに俺の着替えの手伝いをしてくれた。
「石室には、何も持って入れません。スマートフォンや、その他のお荷物はすべて、こちらの部屋に置いていってくださいね」
イツキさんのいつもと変わらない優しい声が、今の俺には、現世との繋がりをすべて断ち切るための死刑宣告のように恐ろしく聞こえた。
ポケットからスマホを取り出し、ゆっくりと置く。
手放すとなると、急に心細くなった。常に『圏外』で外界との繋がりはないが、この薄べったい機械だけが、俺を村の外と繋ぎ止めてくれていた気がしたのだ。
(…やるしか、ない。あえて乗って、探るって決めたんや)
やはり狂っているとはいえ、何百年も続いてきた神事は神事だ。部屋を支配する圧倒的な厳かさに、足元から呑まれそうになる。
目が見えていないはずのイツキさんは、まるで俺の身体の輪郭が最初から分かっているかのように、迷いのない手つきで、丁寧かつ迅速に白装束を整えていく。
衣服の隙間から時折触れる彼の指先は、とても温かかった。その手から伝わってくる優しさは、この村のシステムに組み込まれた彼が持つ、嘘偽りのない、純粋な善意そのものだった。それが余計に、俺の胃をキリキリと痛ませる。
「はい、できましたよ」
「…ありがとうございます」
だが、自分の姿を見下ろして、背筋が凍りついた。
薄手の白装束の上に、申し訳程度の足袋と格衣を羽織っているだけだ。
これから、あの極寒の屋外を通って、暖房などあるはずもない石の部屋へ入るというのに、こんな布切れ一枚で一晩を過ごすのか。命の危険すら感じさせる格好だった。
「では、改めてこの『三戒のお籠り』の流れをご説明差し上げますね。といっても、とても簡単なものです」
俺と全く同じ、死装束のような白に身を包んだイツキさんが、静かに語りかけてくる。
「我々三戒と、ケイさん。四人はこれから、共に一晩、この空木神社にある石室に籠り、心を清めます」
「…どれぐらいの時間、籠るんですか」
当然の、そして切実な疑問を投げかけてみた。
本当に、物理的に肉体が耐えられるのか。
「厳密には定められていませんが、だいたい、今夜の二十二時から、翌朝の六時ごろまでです」
(八時間…。この真冬の山の中で、八時間も…!?)
凍死する。常識で考えれば、確実に低体温症で身体が動かなくなる時間だ。
「お籠り自体は簡単ですが、大事なのは、その心持ちです」
うろたえる俺を気にする風もなく、イツキさんは淡々と説明を続けた。
「まずは、見ざるの戒。――石室の中は、一切の光が届かない完全な暗闇です。何かを見ようとするのではありません。見えないということに、ご自身の心を委ねてください。…まあ、私は既に見えませんが」
ふふ、と、イツキさんは穏やかに微笑んだ。
全く笑えない、悪趣味なジョークだった。
「次に、言わざるの戒。――石室が開くそのときまで、全員、梔子の葉を口に咥えます。いかなる理由があろうとも、言葉を発することは許されません」
脳裏に、数日前にスミレさんと一緒に作業した、大量の梔子の葉の感触が蘇る。
「そして、聞かざるの戒。――流石に呼吸音は許されますが、その他、衣擦れ以上の音を発することは許されません」
見ない。言わない。聞かない。
曲解した三猿の教えを、あの狭い石室の中で、物理的に、徹底的に強制されるのだ。
「そうすることで、我々は不完全な人間という存在ながら、おちょぼ様へと近づくことができるのです」
おちょぼ様――。
シオンが言っていた言葉。そして、村のあちこちにある、あの顔の削られた不気味な地蔵。目も、口も、耳の凹凸すら剥ぎ取られた、あの不気味な信仰の対象。
あの姿に、俺たち自身がなれというのか。
「…わかりました。わざわざ説明してもらって、すんません」
「いえ、本質を知るからこそ、儀式の意味も深くわかるというものです。…では、行きましょうか」
イツキさんが、静かに部屋の襖へ手をかけた。
自分で決めたことだ、彼に付いて歩き出すしかなかった。




