第22話
「まず、概要からご説明差し上げた方がよいですね」
案内された村役場の会議室。正面には年代物のホワイトボードが置かれ、トウジさんがその前に立って説明をしてくれている。俺はいくつか並べられた長机の一番前で、パイプ椅子に腰を下ろしながら、配られた資料と彼の話に耳を傾けていた。
「当村に四百年近く前から伝わる、伝統的なお祭りです。その名も――『三戒のお籠り』」
四百年…江戸時代の初期くらいだろうか。そんな大昔からこの村が存在し、営みが続いていたのかという驚きがまず胸を突いた。それと同時に、「三戒」という言葉が強烈に引っかかる。やはり三猿を指しているのだろう。伝統行事と化しているほど、あの異様な教えはこの土地の根底に根ざしているのだと、確信が深まっていく。
「おちょぼ様への敬意を表し、村の繁栄と平穏を願う、いわば神事のようなものです」
シオンが言っていた、あの顔のない奇妙な地蔵――おちょぼ様。この村の守り神であり、独自の信仰の対象であることはもう間違いがなかった。
本来の仏教や神道の意図とは異なる独自の三猿の教えを守り、おちょぼ様を祀る。霧の向こう側にあったこの村の輪郭が、少しずつ、確実に視界に収まり始めていた。
「今年は、二日後の十二月四日の夜間に執り行う予定になっています」
「明後日の夜」
「ええ。そこで、お祭りにご参加頂くに際して、ケイさんには是非、この村の教えについてもっと理解を深めてもらいたいと思った次第です。ですから、その一環として、祭りの準備を少しだけ手伝って頂きたいのです」
「わかりました。…具体的には、どんなことを? 俺みたいな素人でもできるようなもんですか?」
「はい。準備、といいつつも大方はすでに整っていますので、本当に最後の仕上げのようなものです」
トウジさんはいつもの端正な笑みを崩さないまま、会議室のドアの方へ視線を向けた。
「では、まずは『口の戒』の準備をお願いできますか。あちらの会議室でスミレさんが作業をしていますので。私は少し役場の用事を済ませてから向かいます」
「あ、はい。わかりました」
言われるままにパイプ椅子から立ち上がり、資料を手に会議室を出る。トウジさんに教えられた隣の会議室のドアを静かに開けると、そこには先日、診療所で少し話したスミレさんが何やら黙々と作業していた。
部屋の中に敷き詰められた新聞紙の上には、青々とした大量の生の葉が山積みにされている。彼女はそれを一枚ずつ丁寧に手に取り、何か特殊な液体を含ませた布で静かに拭きあげていた。
部屋を包み込んでいるのは、植物の強烈な、どこか鼻の奥がツンとするような青臭い匂い。
パッとこちらを振り返ったスミレさんは、俺の姿を認めると笑顔で迎えてくれた。それからすぐに、メモ帳を広げ、以前の通りの丸文字で挨拶をしてくれた。
『浦部さん、こんにちは。お手伝い、ありがとうございます』
「あ、こんにちは。スミレさん。トウジさんに、ここの手伝いをするように言われて。…これ、何の葉っぱですか?」
俺が山積みの緑に目をやると、彼女は再びペンを動かした。
『これは梔子の葉です。お籠りをする人だけでなく、その間、地上で祈りを捧げる村の人たちも、全員がこれを口に深く噛み締めて一晩を過ごすんです』
「へえ、村のみんなで…」
お籠りが何なのかはイマイチピンときていないが、全員て同じ葉を口に含む。
少し変わった、だが、一体感のある古風な伝統行事のように思えた。
目の前で一生懸命に手を動かすスミレさんは傷のある葉や虫食いのある葉を驚くほど手際よく弾き、完璧な形の葉だけを選別して、滅菌パックのような透明な袋に詰めていく。
「地味で、根気のいる作業やね」
俺も彼女の向かい側に腰を下ろし、新聞紙の上の葉を一枚手に取った。スミレさんから新しい布を手渡される。
言葉のない空間。
ただ、彼女の手が葉を擦る音と、衣服と擦れるかすかな音だけが、静かな部屋に規則正しく響いていた。
最初は何か話さなければと気まずさを覚えていた俺だったが、不思議なことに、十五分も手を動かしていると、その静寂が妙に心地よくなってくるのを感じていた。
都会にいた頃の、スマホの通知音、数字のプレッシャー、中身のない言葉の羅列。それらが、形を無くし、裏側に綺麗に消えていくような感覚。昨日イツキさんが言っていた『言葉なんて綺麗に飾って無理に紡ぎ出す必要はない』という労いの言葉が、体感としてじわじわと俺の腑に落ちていく。
「あ…すんませ――」
手が止まる。力を入れて拭いてしまったせいで、硬い葉がパキッと不恰好に折れてしまったのだ。謝ろうとしたその時、スミレさんの白くて小さな手が、そっと俺の手元に重ねられた。
驚くほど滑らかで、温かい体温。
彼女は俺の手を包むようにして、ゆっくりと布を滑らせ、正しい力加減を言葉の代わりにその手の動きで教えてくれた。じっと手元を見つめる彼女の横顔は、大人のようでもあり、どこかあどけない子供のようでもあった。
手が離れる。スミレさんは嬉しそうに、メモに文字を書いた。
『あなたの手は、とても、優しいです。少し迷いがあって、相手のことを想って、作業されているのが伝わります』
「…」
ネットの海で、誰だか分からない有象無象に向けて記号のような言葉を大量生産していた俺。自分の書いた文字など、誰にもそんな風に「優しい」なんて言われたことはなかった。それなのに、この口の利けない女性は、俺を、そのまま肯定してくれたのだ。
不意に、胸の奥の頑なな部分が、じわりと解けていくような錯覚に襲われる。
(この子とやったら…言葉なんか無くても、俺は生きていけるんやろか)
シオンのあの冷ややかな警告が、少しずつ、遠のいていく。
外では、激しさを増した雪が、世界のすべての音を消し去るように静かに降り積もっていた。




