第19話
「こんちわー」
ガラガラと引き戸を開けて入った小島商店の中は、相変わらずの空気だった。
こちらを一瞥しただけで、「いらっしゃいませ」の一言もない。カウンターの奥でパイプ椅子に深く腰掛け、気だるそうに雑誌をめくっているシオンがいた。
「商売する気あんのかいな」
「どうせ来んのはジジババだけや。僕が愛想よう振る舞うても売上は変わらん」
ふん、と鼻を鳴らし、シオンは平然と事実を口にする。
住人全員が異様なほど丁寧で親切なこの梔子村において、悪い意味でひときわ異彩を放つこの青年には、聞きたいことが山ほどあった。
「なあ、シオン」
買い物かごを持ち、カップ麺などが並ぶ棚を物色しつつ、何気なく切り出した。
「『梔子沈黙律』って、知っとるか」
「…知っとる」
シオンのめくる雑誌の手が、わずかに止まったような気がした。
俺はいくつかのカップ麺を買い物カゴへと入れる。棚をぐるりと周り、今度は飲み物が並ぶ冷蔵棚から緑茶のペットボトルを続けて放り込んだ。
「中身は?」
「ジジババ共が大事に大事にしとるもんや。僕等は中身までは良う知らん」
ばさり、と投げやりな音を立てて雑誌のページがめくられる。
「イツキさんとか、スミレさんと関係――」
そう言いかけたが、すぐさまシオンの鋭い声によって遮られた。
「ケイ。どこでそれ知ったかしらんけど、それ以上踏み込むのはやめとき」
「えっ」
ドリップコーヒーの袋に伸ばしかけていた手が、ピタリと止まってしまった。棚の隙間から見えたシオンの横顔は、いつになく真剣だった。
俺はそのままコーヒーをかごに入れ、シオンの居るレジへと向かった。カウンターにかごを置き、上着のポケットをまさぐる。
「これ、曾祖父さんの家で見つけてん」
カウンターの上に置いたのは、あの古びた手記…『梔子沈黙律』。
それを目にした瞬間、シオンは少しだけ目を見開いた。それから、はぁ、と深く重いため息を吐き出す。
「文字が潰れとるし、なんか内容がきっしょいから、あんまり読めてないねんけどな」
「この村の…梔子村の、教えや。村長と空木神社が率先して有難がっとる。…あんまり気持ちのええもんやない」
苦虫を噛み潰したような表情で、吐き捨てるように言うシオン。
「そうか? 確かに書いてあることは薄気味悪いけど…イツキさんはええ人や思うけどな」
シオンが買い物カゴから商品のバーコードを読み取り始める。静まり返った店内に、ピッ、ピッ、という無機質な電子音だけが響く。シオンは黙ったままだ。
「さっきな、階段のところで会うて。俺がライター稼業で疲れとるって話したら、『無理に語らんでええ』言うて、なんか、すごい慰めてくれたわ」
「ケイ。村の人らは、それこそイツキは悪い人間やない。あの人は、親父…宮司の被害者や。せやから、危ないねん。…1520円」
会話しながらも、シオンの手は機械的にレジを打ち進めていく。
「どういうことや」
ポケットから財布を引き抜き、硬貨と紙幣をトレーに出しながら聞き返した。シオンは商品を手際よく袋に詰めながら、声を潜めて言った。
「あいつ、生まれつき目ぇ見えへんやろ。村の連中は『見ざる様』や言うて、祀り上げとんねや。『無理に語らんでええ』って…それ、外から来たケイに、余計なこと語られたないだけとちゃうんか。何も暴かれへんことが、あいつらにとって都合がええんとちゃうんか」
シオンの言葉が、冷たく胸に刺さった。
確かに彼の言うことも一理ある。外のまともな感覚を持った人間なら、そう疑うのが普通なのかもしれない。
だが…今日、あの寒さの中でイツキさんが俺に掛けてくれた言葉の温かさまで、すべて『村の都合』や『信仰』の欺瞞からくるものだとは、どうしても思いたくなかった。
「80円とレシートのお返しになります」
お釣りを財布に戻しながら、俺は思考の迷路に迷い込んでいた。
ガラガラ――。
「シオンくん、注文してたやつ、入ってる?」
「あ、おばちゃん、入っとるで。奥にあるから待ってな」
店に入ってきた近所の老人に、シオンはいつもの気だるい態度で応じる。そして奥へ向かう直前、俺の方を振り返って、もう一度だけ真剣な目を向けた。
「…よう考えや」
「…」
俺はビニール袋を手に、そのまま長屋へと戻った。
さっきまであんなに晴れ渡っていた空は、いつの間にかどす黒い曇り空へと変わっており、今にも冷たい雨が降り出しそうな天気だった。




