第14話
発砲音。
『沈黙律』なる手記を確認する間もなく、俺は乱雑にそれをポケットに押し込み、外へと出た。
玄関の鍵を閉め、あたりを見回す。既に夕方になろうとしており、あたりはさらに暗くなっていた。
門から出て周囲を見回すと、一人の人物が銃のようなものを持って立っていた。
しきりに森の方向を双眼鏡のようなもので覗き込んでいる。
(変質者、ではないか…というか、無人の廃屋から出てきた俺の方が変質者か…)
「すんません…」
後ろから不意に声を掛けた、その瞬間だった。
カチャ。
銃口が俺の眉間に据えられる。よく見ると三十代くらいの女性だった。険しい顔で俺を睨みつけている。
「あ、あ、あの、俺、怪しいもんとちゃいます…」
銃を突きつけられた経験などないのに、条件反射で両手を挙げて答えていた。
「あ、ああ!すみません、例の移住者の方でしたか」
正体がわかると、彼女の表情はふっと柔らかくなり、銃口が降ろされた。
そもそも銃を向けた時点で犯罪だった記憶がある。だが、この状況では俺の突然の声掛けにも非があるのは明らかで、一方的に責めるのはお門違いだろう。
「野生動物は危険なので、気が張っていて…ほんとすみません」
「いえ、こちらも急に声を掛けてしまって、すみません。何を、してはったんですか」
「これは、ライフルと、レンジファインダー。猟期なので、見ての通り、猟です」
何故か手に持っている道具を丁寧に紹介してくれた。
「ここは村の端ですし、そこの建物は誰も住んでないし…ちょうどよくて。まさか人がいるとは思いませんでしたが…」
はは、とバツが悪そうに彼女は笑う。
「あ、そうだ。お詫びと言ってはなんですが、捌きたての鹿、食べてみませんか?」
指を指す先には、鬱蒼とした暗い森しか見えない。
鹿を捌くところなんて、直接見たことはなかった。これはこれでいい取材ルポのネタになるかもしれない。
「是非、お願いします」
「よし、じゃあ早速行きましょうか」
ポケットに押し込んだ手記の厚みを確かめ、俺はその女性と一緒に森の中へと踏み込んだ。
「あ、自己紹介がまだでしたね。私は小島アズサと言います。猟期は鹿とか、猪を狩っている、所謂猟師です」
大きな荷物を担ぎ、落ち葉で滑る足元を気にも留めず、アズサさんは歩きながら自己紹介をする。
「俺は浦部ケイです。体験移住で…あ、小島って…シオンの?」
「弟と面識あったんですね。あの子、変わり者でしょう?」
ふふふ、と笑うアズサさん。
変わっているのはこの村の方ではないか、というのが喉まで出かかったが、なんとか飲み込んだ。苦笑いで場を繋ぐ。
「あ、あれですね」
アズサさんの視線の先には、巨大な雄鹿が横たわっていた。
「もうすぐ暗くなるので、さっとやってしまいますね。早くしないと肉が痛みますし」
アズサさんは手慣れた様子で荷物を下ろす。
フックを後ろ足に引っ掛け、手近な木に滑車を引っ掛ける。すると、大きな鹿の体がズルズルと引き上げられ、逆さまに吊るされる形となった。
「これが吊るし切りです。血抜きも一緒にできるので」
立ち上る強烈な獣臭が俺の鼻を襲う。
「この頃の雄鹿は発情期なので、臭いですよね」
そんな中、アズサさんは手慣れた様子で、腱と首にナイフを入れ、血を抜く。その様子を、俺はスマホのカメラでひたすらに撮影する。
ナイフが腹に差し入れられると、ビシャ、と中身が露出し、内臓から白い湯気が立ち上る。それは、先ほどまで生きていたという確かな証左だった。
ズルリ、と内臓が引きずり出される。
「珍しい、ですか?」
「そうですね、鹿自体は食べたことありますけど、こうやって捌くのは初めて見ました」
話をしながらも、彼女の手際は衰えず解体を進めていく。
それから一時間ほどで、先程まで鹿だったものが、『肉』へと変貌していた。
こうしてブルーシートに綺麗に並べられた肉を見ると、人間も一皮剥けば、ただの肉塊なのかもしれないな、とちょっと薄ら寒いものが背筋を通り過ぎた。
「これが、ロース、バラ、腕…あ、すみません、このスコップで、そうですね…そこに、大きな穴を掘ってもらえますか。人が一人、入れるぐらいの」
アズサさんがザックの横の折りたたみスコップを指す。
「わかりました。でも、何のために?」
問い返す俺の声は、少し上ずってしまった。
あたりは日がおちかけ、森は完全に闇に支配されつつある。その薄暗闇の中で、血まみれで、ナイフを持った人間と二人きりだ。
「どうしても、食べられない部分が出てしまうので、埋めるんです。頭とか、毛皮とか、腸とか。野犬とか、カラスなんかに弄ばれても困るので」
要らないものは、埋める。
その言葉が、ポケットの中にある『手記』の存在を強く思い出させた。
これを持っているのを、彼女は知っているのではないか。
これが何かはわからないが、絶対に見られてはいけないものなのではないか
もしかして、俺をここに埋めようとしているのではないか。
そんな愚にもつかない想像が脳内を支配し、酷く冷えた金属製のスコップを握る手が、じっとりと汗ばんでいく。
「早くしないと、夜になってしまいます。私も急ぎますので」
促す彼女の声には、やはり悪意のかけらも感じられない。だからこそ、俺は逃げ出すこともできず、ただ自分の墓穴になるかもしれない地面に、震える手でスコップを突き立てるしかなかった。




