第10話
スミレさんのいる診療所を後にして、俺は村の中をさらに歩き回った。
昼時が近づくにつれ、腹の虫が鳴り始めた。あの『梔子飯』は確かに美味かったが、毎食神社でごちそうになるわけには行かない。
スマホは相変わらず圏外のままだ。足と嗅覚だけを頼りにウロウロしていると、メインストリートの端、少し奥まった場所に古びた商店を見つけた。
擦り切れた日よけ幕には『小島商店』と書かれている。ガラス戸越しに中を覗くと、カップ麺やスナック菓子、日用品などが雑多に並んでおり、ようやく見つけた『現代的でまともな空間』に俺はホッと息をついた。
「こんちは…」
カラカラと戸を開けて中に入ると、レジの奥でパイプ椅子に座っていた男が顔を上げた。無精髭を生やし、少し着崩した作業着を着たその男は、これまで村で出会ったどの住人とも違っていた。いや、彼もまたあの『左右対称の顔』のベースは持っているのだが、表情筋が硬直したような他と違い、眉間に皺を寄せた、いかにも人間らしいだるそうな顔をしていたのだ。
「…見慣れん顔やな。お前が、村長が言うとった『お試し』のお客さんか」
男の口から出たのは、これまで村人が使っていた完璧な標準語ではなく、少し訛りの混じった砕けた言葉だった。俺はなんだか酷く安心して、思わず頬を緩めた。
「あ、はい。浦部ケイ言います。いやぁ、なんも店がないんで焦りましたわ。カップ麺、いくつか買わせてもらってええですか」
「おう、好きなん持っていけ。僕は小島シオンや。まあ、こんな村やからな。不便でしゃあないやろ」
シオンと名乗った男は、立ち上がってレジを打ちながら、チラリと俺を見た。
「朝飯、どないしたんや。自分でなんか作ったんか?」
「いや、実は神社のイツキさんに声かけられて、あそこで『梔子飯』ってやつをご馳走になったんですよ。美味かったですけど、なんか不思議な匂いしましたわ」
俺がそう言った瞬間。
シオンさんの手が、ピクリと止まった。
「…お前、あれ食うたんか」
「えっ、はい。なんか縁起物やとかで」
シオンは舌打ちのような小さな息を吐き、周囲を気にするように視線を泳がせた後、カウンター越しに顔を寄せて、声をひそめた。
「あんまり、あの黄色い飯ばっかり食わんほうがええぞ」
「え?」
「食いすぎると腹下すからな…まあ、たまに食うくらいなら死にはせんけど」
それだけ言うと、彼は「はい、お釣り」と無愛想に小銭を押し付け、再びパイプ椅子にドカッと座り込んでしまった。シオンさんはもう雑誌に目を落としていて、これ以上は答えてくれそうになかった。俺は買ったカップ麺の袋を抱え、首を傾げながら店を出た。
◇
長屋に戻り、買ってきたカップ麺で味気ない昼食を済ませた後、俺はPCを開いてこれまでの出来事をルポのメモとして打ち込んだ。
圏外の孤独な環境。
空木神社。
同じ顔の住民。
気味の悪い三猿信仰。
キーボードを叩いているうちに、窓の外はあっという間に暗くなり、霧の立ち込める不気味な夜が再び訪れるかと思われたが――
コンコン。
静寂を切り裂くように、玄関の引き戸がノックされた。
「ケイさん。いらっしゃいますか」
野太い男の声だ。俺は警戒しながら土間へ降り、引き戸を少しだけ開けた。
そこに立っていたのは、四十代くらいの男性と、その後ろに隠れるように立つ、スミレさんと同じぐらいだろうか、二十代中頃くらいの若い女性だった。
また同じような顔だったが、もうこれぐらいで驚きはしない。
しかし、身長だ。昨日、今日あった人たちは皆、160cm前後しかなかったことを思い出した。
(俺が180無いぐらいやから…えらい巨人に感じるわ)
顔が似ていること、身長が小さいこと、そして、スミレさんの耳の尖り。
何か関連性があるのだろうか。
「夜分にすみません。私、役場からここの長屋の管理を任されている、藤本カガリと言います。村長から、ケイさんの夕飯を持っていってあげてほしいと言われまして」
カガリと名乗る男は、愛想よく笑いながら、ずっしりと重そうな重箱を差し出してきた。
「あ、すんません。わざわざご丁寧に」
「こっちは娘のカエデです。ほら」
促されて前に出た娘――カエデは、ペコリと頭を下げた。
俺は、思わず息を呑んだ。
それは、彼女の顔がまた同じだったから、ではない。
彼女の『目』だ。
挨拶をして顔を上げたカエデの視線が、俺の顔、胸元、腰回り、そして手首へと、まるで値踏みをするように、視線がねっとりと這い回ってくる。
その双眸には、アヤメさんのような気高さも、スミレさんのような凪いだ優しさもない。
(な、なんやねん…この子…)
カエデさんは一切の言葉を発さず、ただ舌なめずりでもしそうな目で俺の全身をみやると、にこり、と人懐こい笑顔を浮かべた。
「いやぁ、人見知りですみません。じゃあ、明日の朝にまた空の箱を取りに来ますので。ゆっくり休んでくださいね」
何も気づいていない様子のカガリさんに礼を言い、俺は慌てて引き戸を閉め、内側から重い鍵をかけた。
ドッドッドッドッ、と。
心臓が、嫌な汗と共に激しく脈打っている。神社の三猿を見た時の、あの宗教的な薄ら寒さとは違う。何か、物理的な身の危険、いや、うまく表現ができないが、そういった類の後味の悪さ。
俺は冷え切った部屋の中で、藤本親子が置いていった重箱を、ただただ得体の知れない爆弾を見るような目で見つめ続けていた。




