03.我が家を守るは(次期)当主の務め
舞踏会場にいる誰もが恭しく礼をする。
アシェットも急いで深々と頭を垂れた。
玉座に近いせいで聞こえる微かな衣擦れと足音。
だが、足音がピタリと止まった。
「……これは何事か」
低く、威厳のある声が響く。
「父上、ではなく陛下!」
同時になんとも威厳の無い声も。
ここでようやく頭を上げるように言われ、他の人を倣って頭を上げたアシェットの視界には、玉座に座らず立ったままの国王と、礼もしていなかっただろう二人組の姿だ。
横から鈴のように軽やかな笑う声が微かに聞こえた気がしたが、聞こえないふりをした。
「ヴァレール第二王子、今一度問う。
婚約者を放って、見知らぬ令嬢を侍らせている理由を簡潔に答えよ」
再び落ちてきた言葉には、威厳だけではない緊張感が含まれている。
それには気づいたのだろう、顔色を悪くしたヴァレール第二王子が慌てたように口を開いた。
「ち、違うのです! こちらの令嬢が困っていたので助けようとしただけです!
疚しいことなどは一つも!」
後でボロの出る言い訳を並べようとするも、それを制したのは鈴と表現した軽やかな声だ。
「恐れながら陛下、発言をお許しいただけますでしょうか」
横にいるリュシエンヌが微笑みのままに許しを請う。
「許す。この愚息に代わって説明を」
ヒュッと息を吸い込む音すら哀れに見える程のヴァレール第二王子が、ますます顔色を失っていく。
「先程、ヴァレール殿下は私に婚約破棄を言い渡されました。
寄り添われているプレスティ男爵家の愛人の娘と真実の愛を誓われたところでございます」
国王は玉座に座りながらヴァレール第二王子を一瞥し、「愚か者が」とだけ口にする。
「このような公の場での宣言ですゆえ確かなものとして、私は承っております」
ただ、と悪意の糸を伝う言葉が、粘度を上げて吐き出された。
「ただ、解消ではなく破棄であり、殿下の愛が原因ともすれば、有責であるのはどちらであるかをはっきりさせたく」
この女狐が。
罵りたくなる衝動を抑えるため、アシェットは扇子を握りしめる。
本来ならば、このような場で話を進めることではない。
場所を変えて行うべきはずなのに、今ここで片を付けようとしているのだ。
このままだと、ヴァレール第二王子とエラの有責となる。
そんなことになれば、プレスティ男爵家もただでは済まない。
場合によっては取り潰しか、ヴァレール第二王子のような無能を婿に据える可能性だってあるだろう。
どうなるかなど理解していて当然であるのに、リュシエンヌは気づかぬふりをして話を進めようとしているのだ。
これはプレスティ男爵家を捨て駒にしたと判断した方がいい。
もしかしたら、男爵家にある鉱山を手中に収めようという、そんな計画までルシャンドラ公爵家にはあったのかもしれないが。
どうであれ、リュシエンヌは外戚であるはずのプレスティ男爵家を、自分に都合が良いというだけで犠牲にするつもりだ。
こちらとしても堪ったものじゃない。
「なるほど。王命を軽視した挙句、婚約者の侮辱か」
冷ややかな声によって、大広間の気温が下がる。
誰もが固唾を呑み、沙汰を待つために静けさを保つ。
そしてヴァレール第二王子に至っては、これから起こるだろう最悪の結末に声も出ないようだった。
「望み通り、そこの娘との結婚は認めてやろう。
ただし、そのまま市井に放つことは危険であるので、王位継承権は剥奪の上で断種とする」
そんな、とか細い声がヴァレール第二王子殿下から漏れ、膝から崩れ落ちていく。
一緒にエラも屈みこむことになったが、さすが怠惰の化身は、躊躇なく床に座り込んで楽にしていた。
そうしている間にも、国王は鋭い瞳をアシェットへと向ける。
「ここにいるということは、プレスティ男爵家の者か」
かけられた言葉に、今一度礼をもって忠誠を示す。
「我が国の消えることなき輝き、国王陛下にご挨拶申し上げます。
プレスティ男爵が長女、アシェットでございます」
名乗ればすぐに、顔を上げるように言われた。
「プレスティ男爵家については、さてどうするか」
国を背負う最高位から受ける眼差しに、尻込みする気持ちはあるものの、プレスティ男爵家のため、アシェットには泣いて受け入れるという選択肢はない。
「陛下。プレスティに関係する娘が問題を起こした中ですが、私の言葉をお聞き頂けますでしょうか」
アシェットの静かな声は、少しばかりのどよめきを周囲に与えたようだ。
たかだか男爵の、それも令嬢風情が国王に物申そうとするのだ。
驚いて当然だろう。
リュシエンヌから非難の声が上がったが、「面白い。話してみるとよい」と国王の許可を得ては、さすがにそれ以上の口出しはできないようだった。
「先程のリュシエンヌ様がされた説明については、間違いの無い事実でございます」
そう、それは認めなければならない。
だが。
「けれど、本来ならば起きぬことでした」
「アシェット嬢、詳しく説明せよ」
国王の言葉に礼をし、リュシエンヌへとこれ見よがしに目を向ければ、ほんの少しだけ完璧な淑女の笑みが崩れる。
「先程の説明通り、ヴァレール第二王子殿下と一緒におりますエラは、父が同じだけの娘でございます。
プレスティ男爵は母ですので、エラはただの平民の娘であり、我が家では男爵家の一員とは扱わずに使用人として置いております」
エラは男爵家の籍に入っていない。
「そういった事情から、エラに招待が届くはずもございません」
だが、今宵の舞踏会は貴族限定。
どれだけ寵愛を受けた愛人であろうとも、参加することは許されない。
皆、連れているのは正式なパートナーだけである。
「ですが、この度の招待状が一通、男爵家の執務室から消え失せておりました」
広がる一層の静寂に、アシェットは怯むことなく立ち続ける。
「その娘が盗んだと?」
国王の問いに、首を横に振って返す。
エラ、と声をかければ、緊張感のない緩んだ笑顔がアシェットに向けられた。
「あなた、招待状を盗んだの?」
聞けば、先程のアシェットのように首を横に振る。
「違うよ。親切な魔法使いさんがくれたの」
ヒラリとその場でターンをすれば、白いドレスの裾が大きな波を生み出したかのよう。
「このドレスも。靴だって、全部。
いつも頑張っているご褒美だって」
何を頑張っているというのだ。
色々言いたいことはあるが、問題がすり替わりそうだと喉元で押し留める。
「その娘が嘘をついている可能性もあるでしょう」
「確かにエラは浅はかで愚かですが、嘘はつきません。
それに使用人であるエラにドレスは買えませんし、私達のドレスでもないのはサイズから明白です」
横から差し込まれる言葉に、アシェットがピシャリと返す。
淑女の笑みが剥がれつつあるリュシエンヌに、アシェットが覚えるのは怒りか呆れか。
どれだけエラが問題児であろうと、悪意をもって利用する人間側にも罪がある。
「男爵家の使用人の中に疑わしいメイドがおりますので、自白するまで少々の責め苦を受けている頃かと」
公爵家から紹介された使用人の中にいる、一人だけ異様に垢抜けていたメイド。
男爵家に勿体ないぐらいに洗練された態度と、領地から離れなかった男爵家の姉妹に向ける小馬鹿にした態度。
教えてくれる店はいつだって、男爵家にそぐわない高級な場所ばかりで。
明らかに浮いていた娘。
「若い娘ですから一応気をつけてはいますが、傷などついたら嫁にいけないでしょうね」
淡々と語られた使用人への処罰に、小さな悲鳴が上がる。
他の貴族からではない、真横からの声。
リスクを厭うなら、こんな犯罪に加担させなければいいのに。
「リュシエンヌ様、顔色が悪いですが大丈夫ですの?」
後ろに控えていたジョゼットが、リュシエンヌの様子がおかしいことを殊更にアピールする。
妹のジョゼットは、アシェットよりも容赦ない。
きっと視界の外で、獲物を見る猫のような顔をしているだろう。
「ご安心なさって。メイドが犯罪に手を染めたとしても、彼女の卑しい品性の問題ですもの。
ご紹介してくださったルシャンドラ公爵家に責はございません」
そう言ってから、小さく嗤う声が響いた。
「一体、前の主人はどんな方なのかしら。
きっと彼女以上の悪党で、エラに与えたドレス同様に下品な方なのでしょうね」
「お黙りなさい!」
怒りに満ちた声とともに、軽やかながらも何かを叩く乾いた音。
咄嗟に振り返れば、リュシエンヌがジョゼットを扇子で叩いたところだった。
「田舎の男爵家如きが! ノエに何かあったら許さない!」
こんな安っぽい挑発に乗るなんて。
やんごとなきお嬢様には、さぞや屈辱だったのだろう。
雲の上の高貴な令嬢としてチヤホヤされ、貴族らしい絹で包んだような嫌味を言い合うぐらいしかしないのだから。
ジョゼットが大袈裟に床へと倒れ込み、大粒の涙を浮かべてアシェットへと手を伸ばす。
アシェットもしっかり乗っかることにした。
「ジョゼット、大丈夫!?」
「お姉様」
身を寄せるジョゼットを抱き寄せながら、リュシエンヌを見上げる。
「正当だとは思えない妹への暴力、プレスティ男爵家は抗議いたしますわ」
密やかな囁き声に囲まれて、目の前の淑女の顔にある、唇の端が歪む。
ついでとばかり、後ろに控えていた、銀糸の髪の従者にも声をかけておく。
「ダマルタン伯爵令息。婚約時にお目にかかった以来ですわね。
そちらの都合での婚約解消時、ご本人から手紙の一つも無いとはいかがなものかと思いますけど。
先日、他に良い婿入り先が見つかりそうだという手紙を頂きましたので、婚約解消で結構だと返事をしましたけど、そのような不誠実な態度で大丈夫なのですか?」
声にもならない声を上げて驚く彼の顔は、本当に麗しい。
これだけ顔が良いなら、確かに田舎育ちのアシェットなど嫌なはずだ。
どうにか嫌われようと変装したようだったが、それなら目立つ髪を染めるべきだったとは思ったが。
「それにしても、このタイミングで見つかった、もっと良い婿入り先とはどちらなのでしょうか。
差し支えなければお伺いしても?」
逃げ場を求める青年の視線が、咄嗟にリュシエンヌへと向けられたのは見逃さない。
「場合によっては婚約破棄が妥当と判断し、慰謝料を求めることになりますから」
いくら相手より家格が低いとはいえ、物事には限度というものがある。
男爵家だからと舐めるのも大概にしてもらいたい。
大方、ヴァレール第二王子有責の婚約破棄に追い込もうとした、リュシエンヌに選ばれたのだと想像がつく。
リュシエンヌは自身の人生を都合良く送るため、プレスティ男爵家を利用した。
自分のお気に入りをストックとして、格下のアシェットに宛てがい、エラを利用し、今日のことが起きるように、ヴァレール第二王子には都合の良いことを適当に吹き込んでおいた。
この証拠を全て揃えるのは難しいが、ジョゼットはリュシエンヌが完璧な淑女ではないと証明し、アシェットもリュシエンヌの次の婚約に障害を用意した。
できればメイドの自白が欲しいところだが、その辺りは忠誠心次第だろう。
まあ、貴族であっても男爵家の使用人の水準は、公爵家と比べられるものではない。
拘束された彼女の身に、何かが起こらないことを祈るばかりだ。
ちょっとだけ、鼠に齧られるかもしれない。
「陛下。私の発言は以上とさせて頂きます」
ふむ、と顎を擦る国王陛下は数秒程の思考に耽った後、ゆっくりと話し出す。
「ヴァレール第二王子が愚かなのは事実だが、だからといって王家の威信を損なう行為も許されない」
それはそうだとアシェットは頷く。
「これは王家の問題でもある。
プレスティ男爵家で拘束されているメイドは、こちらで引き取ろう。
こちらで然るべき尋問を行い、必要と判断したら自白剤か拷問へと切り替える」
思いがけない言葉に、パチリと一つ瞬きをする。
アシェットが考えていた以上に大事になる予感しかない。
だが、男爵家でできることは限られるし、公爵家にメイドの身柄を要求されたら引き渡すしかないのも事実。
王家ならば公爵家も手が出せない。
「承知致しました。
他から迎えが来る前に、早急に身柄を引き渡したく」
「配慮する」
そうしてから、ああ、と思い出したように言葉が繋げられた。
「愛人の娘はどうしたい?
こちらでは結婚を認めているが、生活の保障はするつもりなどないのだが」
問いかけに、アシェットは珍しくエラとの会話が多い日だと思いながら、彼女に声をかける。
「エラ、ヴァレール第二王子殿下との婚姻が認められたけど、貴女はどうしたいの?」
聞かれたエラは、笑顔とセットで即答だった。
「え、お姉様が決めてくれたら、何でもいいよ」
本当にこの娘は。
外見は母親似でも、人気の娼婦であったらしい母親と違って、中身は生活能力のない父親似だ。
何もかも自分で決められないし、怠惰で仕事をすることどころか、考えることすら放棄する。
真実の愛にすら労力のリソースが割けないのだ。
そのくせ愛想がいいだけに、周囲からは怠け者になど見えないのだから始末が悪い。
だからこそ役に立たないと、エラの母親は捨てて行ったのだろう。
目の前から消えてほしいが、死んでほしいとまでは思っていない。
「この通り、その娘は罪すらわからぬ考え無しです。
野に放ってしまえば、ヴァレール第二王子殿下といらぬことをする懸念がございます。
どうか、中に仕舞い込むご裁量を」
「成程、今一度処遇は考えよう」
そうしてから国王が立ち上がった。
「余興はここまでである。
今宵はレーニエ第三王子の成人を祝う宴。気持ちを切り替え、大いに楽しんでくれ」
舞踏会場に響いた声と同時に、陽気な音楽が奏で始める。
ヴァレール第二王子とエラは騎士によって連行され、リュシエンヌも蒼褪めた顔で王城の者に促されて歩き始める。
かつての婚約者がアシェットを睨んだが、自業自得だと微笑み返してやった。
そんなアシェットとジョゼットにも騎士が二人近づいてくる。
「プレスティ男爵令嬢、今宵の慶事を祝われるおつもりでしたでしょうが、人々からの詮索も煩わしいことになるでしょう。
よろしければ、今からでもお話にあったメイドとやらを迎えに行っても?」
さすが王城に勤める騎士は言い方が柔らかだ。
そう思いながら了承する。
さて、あのメイドはどうなるか。
男爵家で真実を語れば今以上に酷い目に遭うことはないが、リュシエンヌが助けてくれると思っているなら沈黙を貫いているはず。
そんな彼女が王城での取り調べに耐えられるかどうか。
ルシャンドラ公爵夫妻の出席を妨害したのは、第二王子を唆したリュシエンヌだろう。
おそらくは彼らと国王がいなければ、第二王子を止めることはできないと考えたからだ。
だが、思惑と外れた展開によって、メイドを回収する指示ができなくなった。
彼女はお気に入りのメイドを一人失うし、アシェットの婚約者であったニコラ・ダマルタン伯爵令息との婚約も危うい。
元婚約者と婚約解消は済ませたが、公爵夫妻が不参加であった状況から考えても、新たな婚約を許されていなかった可能性だってある。
許されているならば、公爵夫妻が良いように取り計らっていただろうから。
結局のところ、リュシエンヌが今宵得たものはヴァレール第二王子と変わらないのかもしれない。
真実の愛と、それによる代償だ。
そしてプレスティに残ったのは、男爵家としての名誉と、暫くの噂といったところか。
エラのせいで騒動に巻き込まれたが、終わり良ければ総て良し。
後は新しい婚約者を探すだけである。
もし、騎士達が一緒の馬車に乗るようなら、婚約者がいるのか聞いてみようと思いながら、アシェットは妹と共に会場の外へと誘導されていった。
明日で完結です。
<追記>
「ところで騎士様には既に奥様や婚約者はいらっしゃるのですか?」
アシェットの言葉に、王家によって用意された大きな馬車の中で、二人の騎士が苦笑いをする。
「あいにくと。私には妻がおりますし、そして横にいるのには婚約者が」
「それに我々は平民上がりでして」
少し年が上らしい騎士が答え、後輩らしい騎士が追従する。
「あら、残念」
駄目元ではあったが、平民だという割には洗練された仕草に、それなりに裕福な家か努力の賜物なのだと感心する。
なにより、令嬢に対して線を引けるのも良い。
「奥様も婚約者の方も、騎士様のような方でしたら安心ですね」
どこかの第二王子と違って。
含みのあるアシェットの言葉に、今一度騎士達が苦笑する。
「あの方は、まあ、自由な気風でございますから」
何とも苦し紛れの言葉にアシェットも笑い、それから義妹は今頃どうなっているかと思いながら、窓の外の景色に目を向けた。




