7話 私たちはホワイトな組織を目指しております
「――ん゛がッ!?」
首の後ろの感じた激痛と、自分の間抜けな声で目が覚めた。まだ視界がぼやけていて、周りが薄暗いことしかわからない。
徐々に意識がはっきりしていき、視界が明瞭になる。
どこかもわからない薄暗い空間。目の前には豪勢な黒革の一人掛けソファーがあり、そこに恰幅のいいヤクザのような大男が腰を下ろしていた。髪は茶色い短髪で、顔には斜めに巨大な傷跡が走っている。歳は見たところ50は超えていそうで、龍の総柄のシャツといういかにもヤクザらしい服装をしている。
ソファーの後ろには細身で高身長の男が立っていた。歳はまだ若そうで、濃い緑色の髪をしている。前髪をセンターで分けているが、少し俯いているせいか目元は完全に隠れている。口元を見ても絶対に笑ってはいない。服装はカラフルな柄シャツの上に黒いジャージを羽織っている。胡散臭い雰囲気がある。
さらに周囲には何人か人が立っている。皆、顔は動物の頭を模した仮面で隠しており、表情は一切窺えない。
俺は高校の流しそうめん部の部室にいたはずだが、明らかにここは部室でもなければ学校でもない。たしか俺は流しそうめん部の部室にいて、紅奈と話していて、そして…………後ろから口を塞がれたんだ。
改めて周囲を見回すと、隣に紅奈がいた。椅子に座っている俺に対して、彼女は立っていて、冷たい表情でただ前だけ見ている。
「おい、これはどういうことだ?」
疑問をぶつけてもまったく反応がない。無視しているのか、あるいは聞こえていないのか。
「手荒な真似をして悪かったぜ」
前方から声がした。見ると、ソファーの後ろに立っていた長身の男が顔を上げ、俺を見ていた。前髪の隙間から目元が見える。目を薄く細めた糸目で笑顔を作り、さっきまで険しかった口元まで朗らかになっている。
どうにも信用に欠ける雰囲気だったが、他にこの場でまともに会話ができそうな人がいない。しょうがなく、目の前の男に尋ねることにした。
「ここはどこなんですか? それにあなたたちは」
男は表情一つ変えずに笑顔で答えた。
「ようこそ。反社会的輪者の集う場所――人類殺戮派のアジトへ」
――――え?
人類殺戮派って、あれだよな。人類敬愛派と敵対する組織。ダテマヨが言っていた、こっちも殺す気でいかないと渡り合えないと。おそらくあの、人類敬愛派よりもヤバい組織――――俺、ヤバくないかこれ?
「ソファーに座ってるこの人は我ら殺戮派のボスの『ツキゾノ』。そんでワシは組織の下っ端の『ルート』」
ヤバい、話が全然入ってこない。おれ、殺される? 敬愛派だから。人類敬愛派なのバレてる?
「あー、そんな青い顔しないで、安心してほしいぜ。ワシらは別に君を痛めつけるためにここに連れてきたわけじゃないぜ。と、言うのも、君を運んできた紅奈たちから聞いたぜ。どうやら君もこの人間社会になんらかの不満を抱いているようだ。あるいは恨みか、社会を壊したいという衝動か…………ここはそういう思いをくすぶらせた輪者が集う場所だぜ」
「ちがっ、俺は…………」
殺されるわけではないことにはひとまず安心した。しかし、別の不安が湧いてきた。この流れは嫌な予感がする。
「俺は、人間社会に不満があるなんて言ってない」
「言ってはいなくても、少しは思うところがあるんだろ?」
「ッ………………」
違う、とすぐに断言できなかった。ルートと名乗ったこの男の言っていることはまったくの出鱈目ではないどころか、ほとんど真実だからだ。
「そんな君には是非とも、我ら人類殺戮派に加入することをお勧めするぜっ!!」
「そっ、それは……」
やはり予想通りの展開になった。しかしそれは困る。普通に人類殺戮派なんて加入したくないし、俺は既に敵対する人類敬愛派に所属している状態だ。正直、敬愛派も本当は抜けたいくらいなんだ。でも、「加入したくないです」と言って素直に家に帰してくれるような組織ではないだろう。敬愛派も、人類殺戮派も。
「安心してだぜ。加入しても重度の犯罪行為になるようなことは無理やりさせないぜ。そういうのがしたい奴は個人の判断でやることであって、人に強要するものじゃないぜ。もし重犯罪を強要してくるような先輩がいたらパワハラとして報告してくれれば、ワシらが対応するぜ。我々は活動しやすい組織づくりを志す取り組みを推進しているんだぜ」
ホワイト企業気取りの詭弁を並べて歩み寄ってきた。重度の犯罪は強要されなくても、軽犯罪くらいなら強要される可能性があるかもしれない。いや、絶対強要してくるだろ。お前が。「ワシ」とか「ぜ」とか、取って付けたような変な一人称と語尾しやがって。
ルートは一度ため息を吐き、改めて口を開く。
「それに少なくとも社会に対する何かしらの不満を持っているなら、どこかしらそういう組織に入っておいた方がいいと思うぜ。自分の胸の内の想いをほったらかしにしておくのは良くない。自分の思想というものに向き合って、己の思想を確かな形に確立する。そうして心の内の想いを知っていくことで、自分が戦うべき本当の敵、組織、あるいは構造が見えてくる…………どうかな?」
ルートの細いツリ目が薄く開く。ルートの瞳孔が俺の姿を目に焼き付けている。いや、むしろ俺がルートの瞳孔を目に焼き付けられているのだろうか。
思想と向き合う、思想の確立、戦うべき本当の相手。なぜか、これらの言葉に酷く心を揺さぶられる。逃げ出したいはずなのに、加入してもいいかもしれないと思わされてしまう。
「ま、加入した後でも脱退したくなったら話は聞くから。とりあえず入ってみてもいいと思うぜ?」
「………………」
ルートは笑顔のまま、眉尻を下げてちょっと困ったような顔をした。
「ていうかここで加入してくれないとワシもちょっと困るんだ。当然君も。だからお互いのために、な?」
結局最後はごり押しと脅しだ。それに後で脱退したくなって話をしても、本当に話を聞くだけだろう。
ここで拒絶したら何をされるかわからない。それに、もういろいろ考えるのも面倒になってきた。それなら…………
「…………わ、わかりました。加入します」
「お、ありがとうだぜ。じゃあこの誓約書にサインを頼むぜ」
俺が加入しなかったら困ると言った癖に対して喜ぶわけでもないルート。
隣にいた紅奈はあらかじめ準備していた速度で俺の目の前に机を用意し、例の書類とペンを差し出した。俺は誓約書の内容に一通り目を通す。が、こんなもの読んでも意味がない。どうせ不都合な内容があっても俺は加入せざるを得ないのだから。
最後の署名欄に、「名無詞翔来」と記名。
「よし、これでオッケーだぜ。じゃあ今日はもう帰っていいぜ――紅奈。この中を案内してやってだぜ」
「はーい」
紅奈は乾いた返事をする。俺を案内するはずなのに俺には一言も声をかけぬまま、部屋の出口へと向かう。
「じゃあねー」
ルートがニコニコの笑顔で手を振る。何故だろう。笑顔のはずなのに、その裏には早く出て行けという脅しの意味があるように思える。
俺は自分の直感に従い、早々に席を立つ。結局、ボスの「ツキゾノ」は一言も喋ることはなかった。
長身の男、ルート以外は誰も口を開かない不気味な部屋を後にする。部屋を出ると、部屋と同じく薄暗い廊下が横に伸びていた。右を見ると俺を置き去りに歩く紅奈の姿が。俺は急いで追いかけ、紅奈の隣に並んだ。顔を覗き込んで問い詰める。
「おい、どういうことだよ。俺は流しそうめん部の部室にいたはずなんだけど」
「どうって、あなたを拉致したの」
飄々と答える紅奈。俺はその態度に苛立ちを覚える。
「んなことわかってんだよ。だからその詳細を聞いてるんだ」
「油断していたあなたをお兄ちゃんが睡眠薬で眠らせて、ここまで運んできたの」
「お兄さんがいるのか……って詳細ってそうじゃなくて!」
話が噛み合わない上に脱線しそうなのを軌道修正。
「つまり、流しそうめん部っていうのは人類殺戮派の内部組織みたいなものってことか?」
「そうね。三鳥高校の流しそうめん部は創部当初からほとんどが殺戮派輪者の部員のみで構成されているわ」
「で、俺を騙して拉致して、強制的に殺戮派に加入させたってわけだ」
「騙したも強制的も人聞きが悪い。あなたは殺戮派に入りたがっていたし、加入すると決断したのもあなたでしょ?」
「たしかに最終決断をしたのは俺だけど……少なくとも拉致される前に俺は殺戮派に入りたいなんて一言も言わなかったぞ」
「言わなくても思ってるだけでわかるから。あたしに嘘は通用しない」
「………………」
なんだかモヤモヤする。でも、真っ向から否定もできない。
俺は自分の現状を憂いてため息をこぼした。
「あぁ、俺はとんでもないアリ地獄に引きずり込まれたわけだな」
「そうかもしれないね。まあ、あたしはスカウト役だからあなたを引き入れたわけで、自分の職務を全うしただけだからあまり恨まないでね――――別にアンタが好きだから誘ったんじゃないんだからねっ!!」
「急にツンデレモード!?」
「ルートさんに隠れ家の中を案内しろって言われたけど、それは追い追い覚えていけばいいでしょ。今日はもう帰ろう」
「……え? 今のなんだったの……?」
謎のツンデレモードを最後に会話は途切れる。道中の帰りがてら、殺戮派の隠れ家を見て回る。薄暗い蛍光灯の雰囲気は敬愛派の隠れ家と似ている。
長い廊下を進み、らせん階段に着いた。階段を上りながら紅奈に尋ねる。
「なあ、ありがちな質問かもしれないけど、なんで紅奈は殺戮派になったんだ?」
輪者として生まれ、前世の記憶を持つ少女は、どうしてこんな物騒な組織に加入するに至ったのか。自分以外の輪者に生まれた者の人生に興味が湧いた。俺はこの歳まで輪者という名称すら知らずに生きてきたから。
「さあ、なんでかな。忘れちゃった。…………でも、多分もう抜けられないし、それはあたしのせい。それに、人の嘘が見えすぎて、人が嫌いになっちゃった」
前を歩く紅奈は悲しそうに笑う。顔は見えないが、多分笑ってはいないだろう。
それから再び会話はなくなり、階段を上りきった。目の前には鉄格子があり、奥の方から光が漏れる。紅奈が鉄格子の扉を開く。
その先の排気口ダクトのような狭い道を進み、再び鉄格子が行く手を阻む。鉄格子の先は今までとは対照的で極めて明るく、左右に行き交う大勢の人間の下半身が見える。
紅奈が鉄格子の鍵を解錠して、俺たちは外に出た。
――周囲には左右に行き交う大勢の一般人。学校終わりの女子高生から帰宅中のサラリーマン。犯罪組織とは無縁であろう人々のいつも通りの日常が流れている。
「ここは…………」
「三鳥駅の地下構内よ」
俺の疑問に紅奈が答えた。
「地下だったのか。そこも似てるな」
「え? 似てる?」
「――ッ!! いや! なんでもない!!」
地下にあるという点も、それから雰囲気も敬愛派の隠れ家に似てるなんて思い、うっかり口にしてしまった。ここで敬愛派の話なんてしたらマズい。俺が二重スパイみたいな状況になってしまっているのが紅奈にバレる。
……ていうか冷静に考えたら、今の状況だいぶヤバくないか? 今後俺は、敬愛派にも殺戮派にも、自分が二重所属であるこの状況をバレないように立ち回らなければならない。そんなこと、可能なのか?
「翔来にはまだここの鉄格子の鍵は渡せないけど、あたしは鍵持ってるから隠れ家に行きたいときはあたしに行って」
まだ渡せないって、いずれ貰えるのか? 敬愛派でもあるこの俺が?
紅奈の制服の中でメッセージの着信音が鳴った。彼女はポケットからスマホを取り出す。
「あ、お兄ちゃんからだ」
紅奈のスマホ画面が横から見える。あまり良くないかもしれないけど、俺は横から覗き見た。
――紅奈、今三鳥駅近くの廃墟ホテルにいる。
帰るの遅くなりそう:(
「ん? 顔文字?」
文章の最後に、海外でよく使われる横向きの顔文字が添えられていた。「:」が目で、「(」が不満そうな口。日本でこれを使っている人はあまり見かけない。
紅奈はなぜか、目を見開いていた。
「これ…………救難マークだ」




