8話 人類敬愛派VS人類殺戮派
「これ…………救難マークだ」
紅奈の兄からスマホに届いたメッセージ。その文章の最後に添えられた「:(」の顔文字は兄からの救難信号だと彼女は言う。
焦りを押し殺して冷静さを繕う紅奈。「助けに行かないと」と小声で呟く彼女の瞳と、目が合った。動揺で怯える小動物のように瞳は小刻みに震えていたが、芯はまっすぐだった。
紅奈は俺に、殺戮派見習いとしてついてくるように命じた。おそらく敵との戦闘になる可能性が高かったから、戦いを見学させるために。
断る理由がすぐに思い浮かばなかったし、戦いがどんなものなのか少し興味があったから俺はついていくことに了承した。
三鳥駅の地下にいた俺たちは地上に上がり、駅を出た。空を見上げると日が傾き始めていた。気怠いオレンジ色に染まりつつある。
俺と紅奈は駅前の人混みの中を駆け抜ける。紅奈の兄のいる目的地は駅近くの廃墟と化したホテル。それだけの情報では俺には正確な場所がわからないが、紅奈には心当たりがあるようだ。太ももの中程までしかない短いスカートでも構わず疾走する紅奈の後に続く。
人混みの多い大通りから、人通りの少ない路地に入る。閑散としたエリア。かつては駅近で賑わっていたであろうが、今は昼間でもシャッターを下ろしたままであろう店が連なるばかりだ。地方の都市開発と人口減少の変化に対応できずに取り残された町だ。
一気に活気が減ったが、紅奈はさらに裏路地へと踏み込んだ。
家と家の隙間みたいな道を進み、一本隣の道へ出た――――そこは人通りがまったくない、ゴーストタウンのような空間だった。窓ガラスも割れた廃れた廃墟が軒を連ねる。駅前の活気の音が、遥か遠くの世界かのように遠くに響く。決して広いエリアではなさそうだが、街から完全に忘れ去られた区画だった。
「こっち」
紅奈の後を追うと、4階建てくらいの小さめのビルの目の前で止まった。立ち止まり、静寂に耳を澄ますと…………
「――ッ!?」
上の方で、男の怒鳴り声が響いた。なにか怒鳴り合っているようだが、遠くて内容まではわからない。
俺と紅奈は顔を見合わす。紅奈が先に、割れた入り口のガラス戸を通り抜ける。俺も意を決して廃ホテルに突入した。
中は謎の木材や外から入り込んだ枯葉が散乱していて足元が悪い。壁には落書きが散見され、ここがもうずっと前から廃墟であることが窺える。
俺たちは物音を立てないように行動した。黒い墨のような汚れ跡が残る階段を慎重に上る。3階に着いたところで、言い合いの内容がはっきりと耳に飛び込んできた。
「これ以上戯言ほざいたらマジでブッ殺すぞ!!」
「できるモンならやってみろよ!! ファッキン糞チー牛がァ!!??」
2人の男のがなり声が響く。争いはこの階で起きているようだ。
3階はほとんどの壁が取り壊されていて、立体駐車場のような柱と梁だけの殺風景で風通しのいい空間になっている。紅奈と一緒に声のする方のギリギリまで近づき、わずかに残った壁際の死角に身を潜める。
壁から少しだけ顔を出して様子を窺う。
一人は白と黒の仮面をつけ、首元を赤い蝶ネクタイで整えた男。学ラン姿で、右手に鉄パイプを。左腕は骨折しているのか、ギプスと白い三角巾で固定している。
赤い蝶ネクタイの男に相対するのは二人。ツンツンした黒髪のガスマスクの男が一人と、もう一人は――――ネット上で有名な鉛筆でデッサンしたような白黒のチー牛男性のイメージ画像、それのおそらくレプリカの仮面をつけた男。そしてそのプラスチックの作り物のチー牛フェイスの口元は、携帯用らしい控えめな小さいガスマスクで押さえつけられている。
二人も学ラン姿。そして二人の後方には――地面に倒れて血溜まりを作った三人がいた。皆ガスマスクをつけており、動く気配はまったくない。俺の直感では、もう生きてはいないように見える。
ガスマスクの者は計5人。多分、人類敬愛派の構成員だ。
意識のある者は計3名。そのうち赤い蝶ネクタイの男だけが剥き出しの手や腕に生々しい傷を負っている。
紅奈が俺の服を引っ張った。俺は再び身を潜める。
「バレないようにここで見てて」
「紅奈はどうするんだ?」
「あたしはお兄ちゃんの加勢に入る。ここに来る途中で増援も呼んだから、あと少し耐えればあたしたちの勝ちだから。じゃあ」
「ちょ、増援って――」
物陰から飛び出す紅奈。同時に両サイドの三つ編みのおさげを解き、犬の仮面を被る。
「赤リボン!!」
紅奈が叫ぶ。
「――ッ!? バカ! お前は来んな!!」
赤い蝶ネクタイの男が反応を示した。やはりこの男が紅奈の兄だった。
ということは俺の予想通り、ガスマスクをした者たちは人類敬愛派の輪者だ。そう予想ができた理由は劣勢に見える蝶ネクタイの男が、妹に救難信号を送った紅奈の兄の可能性が高いというところにあるが、それだけではない。
ガスマスクをした、黒いツンツンヘアーの男。あれは顔を見なくても佇まいや背格好からもわかる。間違いない。あれは人類敬愛派の輪者、伊達間傭平――ダテマヨだ。
「クソッ、新手が増えたか」
ダテマヨが冷ややかに吐き捨てた。
「下がってろ。あとはオレひとりでジューブンだ」
「だめ、あたしも戦う」
「………………はぁ、しょーがねぇなァ」
諦めた赤い蝶ネクタイは、右手に持った鉄パイプの先を敬愛派に向けて、宣言する。
「オレたち2人が揃ったらもう誰にも止められねぇ。テメェらカス共も地獄に送ってやる――――敬愛派なんてくっだらねぇ。テメェらのやってることが社会を良くすると本気で思ってんのか? 偽善集団のゴミ共が――――人間も社会も、全部ぶっ壊した方がいいクソカスだ!! 当然テメェら敬愛派もなァ!? ただ生きてるだけで息苦しい、冷たくて汚ねぇ、憎悪と怨嗟に満ちた地獄みたいなこんな世界が正当で正しいわけがねぇだろうが!! まっとうで守るべき社会なんかじゃねぇだろ!!」
チー牛の仮面をつけた敬愛派の男が反抗して吠える。
「しょうがないだろうが!! この世は弱肉強食、お前みたいなみじめなペテン師の負け犬が苦しむのは仕方ねぇんだ――――俺は絶対この世界で強者側に這い上がって、例え俺だけでも幸せを勝ち取る。勝者だけが幸せになるこの世界の仕組みの中で。そのために俺はこの社会を守る。声だけはデカい負け犬はここで二度と口を利けなくしてやる――――チねぇッ!!!!」
敬愛派の男と殺戮派の男。両者の言い分も、間違ってはいないように俺には思えた。この世界は歪ではあるが、そんな世界では勝つための努力をしなければ幸せにはなれない。
紅奈が落ちていた釘バットを拾う。
マズい。このままでは戦いが――殺し合いが始まってしまう。
クラスメイトのダテマヨと、部活仲間の紅奈。両方会ったばかりの同級生だけど、2人とも本心は悪い人には思えない。対立してほしくないし、死んでほしくない。
そう願っても現実はいつだって正直だ。チー牛は学ランのポケットからエナジードリンクの缶を取り出す。蓋を縦に開け、喉を鳴らして中身を一気飲みすると、空き缶を蝶ネクタイの男に投げつけた。
蝶ネクタイが空き缶を鉄パイプで弾く。同時にチー牛が丸腰で駆け出す。
握りこぶしのみで殺戮派の2人に近づき、紅奈に容赦なく拳をお見舞いする。紅奈は両腕で受け止めたが、後方に突き飛ばされた。
間髪入れず、次は蝶ネクタイに拳を向ける。しかし、蝶ネクタイは追撃を許すほど甘くなかった。
「――イラ○チオ・ランスッ!!」
「ッ!? は!?」
蝶ネクタイは至って健全で善良な技名を叫ぶとともに、鉄パイプの先端をチー牛の口元に突き付けた。俺は思わず間抜けな声を漏らしてしまったが、幸い戦闘に夢中な彼らに気づかれることはなかった。
蝶ネクタイのそそり立つ核弾頭ミサイルの如き鉄パイプの槍。ガスマスクに当たる直前にチー牛は躱し――――チー牛の拳が蝶ネクタイの顔面に炸裂する。
――パキッ!
仮面越しでも、蝶ネクタイの鼻が砕けたことがわかった。突き飛ばされて派手に地面を転がる蝶ネクタイ。殺戮派の紅奈が一人増えても圧倒的なチー牛。チー牛のエナジードリンクブーストが彼の腕力や動体視力を平常時以上に底上げしているのかもしれない。
「――キャッ!!」
紅奈が悲鳴を上げる。紅奈を見ると――ダテマヨが手頃な石を手に持ち、紅奈を殴りつけようとしていた。




