2話 ハードスモーカー、ベイビー!
「私妊婦です! お腹の中にまだ子供もいるんですッ! 今の私の命は実質2人分ですよ!?」
「俺だって未来ある優秀な若者なんだ! さあ! お前はどっちを助けるんだ!? 選べ!!」
いい天気の平日の昼間から川で溺れる2人。自称妊婦の女性と、溺れながらも鼻くそをほじっている不審な高校生。なんか図々しい奴らだけど助けないわけにはいかない。だって普通の人なら少なくとも助けようとはするだろうから。
問題なのはどっちを助ければいいのかって話だ。女性を助ければ高校生が死ぬし、高校生を助ければ女性が死ぬ。つまりどちらを見殺しにするかを俺が選択しなければならない。どちらも死ぬべきような人間ではないのに。
こんなの俺には決められない。どちらかを殺す決断に責任を持てない。片方を殺せば明らかに平等性に欠ける。それに女性や高校生の遺族が、生き残った方に損害賠償や慰謝料の請求をして裁判沙汰の争いに発展するかもしれない。俺の選択が対立を生み出す根源になるなんて、絶対に嫌だ。
じゃあどうすればいいのか――――俺は腰に巻いていた学ランを脱ぎ捨てた。
制服のズボンと白いワイシャツ姿のまま、迷わず川に飛び込む。
2人とも助ければいいだけだ。例え俺が途中で力尽きて溺死することになったとしても。
――川底は意外にも浅かった。底に足をついてもギリギリ顔が水面に出るくらいに。妊婦の女性はともかく、不審な高校生が溺れるような深さじゃなかった。
2人の救出は呆気なく成功した。それぞれの服を掴み、川岸に引っ張り上げるだけ。俺の損失はせいぜい全身がずぶ濡れになったことくらいだ。
「ありがとうございました! 私今から友達とシーシャ吸いに行くところだったんです。これで遅れないで済みます。ありがとうございました!」
礼儀正しくご満悦な女性。彼女は肥満とかではなく、お腹だけがかなり膨らんでいる。
これ、助けなくてよかったかな。
なんて考えていると、感謝の言葉を一通り述べた彼女は立ち去ってしまった。
「で、なんでお前はずっと鼻ほじってるんだ?」
俺は不審な高校生に声をかけた。年上の先輩かもしれないが、いい年して白昼堂々鼻くそをほじってしまう精神年齢の奴に敬語を使う道理はない。
不審者は鼻くそをほじっているくせに、どこか神妙な面持ちでこちらを見ていて、
「――おまえ、前世が動物かなんかだろ?」
「――ッ!?」
――衝撃だった。こいつが駐輪場の陰で鼻をほじりながら俺を見ていたのに気づいた時よりも、酷く衝撃を受けた。
俺は前世の記憶のことなんて誰かに話したことは一度もないし、当然目の前のこいつにも話してはいない。誰かに話したところで誰も信じないだろうし、俺の話を事実だと証明する証拠も上げられない。第一、この記憶は俺が前世の記憶だと思い込んでいるだけのただの妄想の可能性だってあるんだ。自分自身ですら自分の記憶を絶対的に信じることはできない。
それなのに、目の前にいる高校生は、俺がずっと誰にも言えずに胸に秘めていたアイデンティティを鼻くそなんかほじりながら、さも平然と見抜きやがった。
「な、なんでわかるんだ!?」
否定はしなかった。前世のことを。あまりにも直球で見透かされている以上、もう誤魔化しようがないし、隠す必要もない。
動揺する俺を眺め、まだ鼻くそをほじりながら口を開く。
「まあ簡潔に説明すると、俺も前世の動物の記憶がある」
「――ッ!?」
二度目の衝撃だった。ただの衝撃じゃない。こんな奴と自分が同類ということへのショックだ。
「その前世のお陰で、俺は特別に、『前世が生物だった人間を察知する能力』があるんだ」
「って……待てよ。俺意外にもいたのかよ……」
前世の、人間の頃の記憶がある人がいるという話はたまにネット上で見かけたりもするが、前世が動物の人間の話は聞いたことがなかった。いたとしてもこの地球上に俺を含め、本当にごくわずかなのだろうと。そして今日、そのごくわずかであろう俺と同じ境遇の者と出会ってしまった。運命的に。
まさかこんな奴が俺の――――運命の人!?
「前世が動物なのは俺たちだけじゃない。この街には前世が人間以外の人間――通称『輪者』がたくさんいる。そして俺はその中でも、人類を愛し、人間社会を存続させようとする思想の輪者の集団、『人類敬愛派』のメンバーの一人だ」
りんしゃ……人類敬愛派……。理解が追い付かない……。
「俺は輪者は輪者でも、人間に対して好意的な輪者のみを嗅ぎ分けることができるから、お前が人間に好意的な輪者、つまり人類敬愛派に加入する素養がある輪者であるということはわかっていた。だが、それだけでは足りない。人類の存続のために戦う気概があると、完璧に認められたわけではない」
ちょっと待て。俺は敬愛派に加入したいなんて一言も…………
「だからたった今、お前の人間を救おうとする心を試させてもらった。2人が溺れていて、危険を顧みずに両方を助けようとする輪者なら人類敬愛派に相応しいと」
「あれは全部俺を試すための演出だったのか!? ていうか俺は両方助けたいとかじゃなくて片方助けないと後々トラブルが――」
「ああ、騙して悪かったな。だがお前の心は完璧に理解できた。合格だ。今から人類敬愛派の隠れ家に案内する。ついてこい!」
俺の話なんてまったく聞かず、前世が鼻くその男は歩きだした。断ることもできたが、しょうがなく俺も後を追う。それに、人類敬愛派の隠れ家というのに少し興味が湧いていた。
鼻くその輪者は堤防の近くに停めていた自転車のもとに向かう。俺も自分の自転車にまたがる。2人で自転車に乗って2、30分。三鳥市と魅泉市の境目近くにある三鳥駅。その駅周辺の活気のあるエリアから少し外れた位置に立つ工場。工場敷地内の錆びついた屋根のある駐輪場に俺たちは自転車を停めた。
駐輪場は風雨に晒されて劣化しているが、工場自体は見た目はそれほど古くない。前衛的とも捉えられるシンプルな箱型の外観。かなり大規模な工場で、築年数もそれほど経っていないように見える。
工場に近づくほど薄らと油や汚水、燃料が放つ独特の異臭が漂ってくる。
「おい鼻くそ、本当にここか?」
「最初はみんなそうやって疑う」
こんな工場の中に前世が動物の人たちが集まる場所があるとは到底思えない。それでも今は目の前の輪者についていくしかない。
鼻くその輪者は工場の入り口で立ち止まると、制服のズボンのポケットから社員証を取り出した。外のタッチパネルに社員証を当てると自動ドアが開く。中に入り、駅の自動改札のようなゲートにも同様に社員証をかざす。フロントの人に、「彼は客人です」とだけ伝えると俺たちはあっさりとゲートを通り抜けた。
工場内、屋内の綺麗な事務所棟から、実際に勤務が行われる作業場に出る。
天井はあるが、トラックなどの搬入のためか、側面は壁も所々で結構開けている。外の空気がそのまま工場内に漂っている。
現場の人たちの間にはどこか殺伐とした空気を感じる。緊迫した表情で忙しなく作業に当たる者や、無気力な顔と死んだ目で作業に当たる者。いずれにせよそこに笑顔はない。
工場内は無数の配管がベルトコンベアを流れている。ある区画ではほとばしる溶岩か、あるいは熱して溶けた金属か、ドロドロしたものが赤く煌々と周辺を照らしている。
「こっちだ」
普段見る機会があまりない工場の景色に見入っていると声をかけられ、現実に戻る。俺は言われるがままについていく。
今度は再び別の事務所棟に入る。そこは簡易的な電気しかついていなくて薄暗く、不気味な廊下が続いている。予備電源しか通っていない停電中のような雰囲気だ。
廊下を抜けると再び改札のようなゲートが。しかしここは駅の改札とは違い、改札の上は頑丈な鉄格子が塞いで安易に通り抜けられないようになっている。さらにゲートの先には下へと続く階段があり、その先は完全な暗闇に包まれている。
警備の人間が一人いる。目の前の輪者は再び社員証をかざすと、「客人だ」とだけ告げ、ゲートの奥へと進む。先程のフロントの人とは違い、随分と愛想のない言い様だ。
俺も輪者に続いてゲートを抜ける。
輪者は階段を下りる前に振り返った。
「隠れ家はこの配管工場の地下にあるんだ」




