3話 け、敬愛派……?
「隠れ家はこの配管工場の地下にあるんだ」
そう言われて俺は工場の中の怪しい階段まで連れてこられた。
前世が動物の人間、輪者が集まる隠れ家があると聞き、興味もあってここまで来てみたが、本当にこの先に進んで大丈夫なのだろうか。俺をここまで連れてきた奴は今も鼻くそをほじっており、どう見ても怪しい人間だ。そんな人間によくわからない地下空間に連れていかれるなんて、犯罪に巻き込まれる予感しかしない。
地下へ続く階段は暗く、その闇はすべてを飲み込んでしまいそうだ。
「どうした? 来ないのか?」
少し下に下った彼が振り返る。俺は少しためらい、後ろを振り返った。
警備員の男が俺を鋭い目で見ていた。それはただ睨んでいるのではない。もっと深い、何か意味が込められている。俺はもう、後戻りはできそうにない。
「行こう」
俺は一歩を踏み出した。
暗闇の階段を下りていくと、すぐに階段の踊り場に着く。上階の頼りない蛍光灯の薄明かりがここまで届き、さらに夜目が利いて階段の輪郭くらいは捉えられる。
階段は踊り場で反転して、まだ下へと続いている。さらにもう一段下の踊り場まで降りる。そのさらに下へ………………。
それを10回ほど繰り返す。階段の途中には間接的な照明が置かれており、完全な真っ暗闇になることはない。それでも照明は必要最低限しかなく、油断すれば階段を踏み外すくらいには暗い。
ようやく一番下に着いた。正面に長く伸びる廊下があるが、これがまた暗い。天井に蛍光灯がまばらに設置されているが、そのどれもがチカチカと消えかかっている。真っ暗ではない不自然な明るさが、いっそ電気を消してくれた方がマシな異様な不気味さを醸し出してしまっている。
俺たちは再び暗く長い廊下を進む。50メートルくらいまっすぐ進んで、突き当たる。目の前には重厚な鉄扉が行く手を阻む。
「着いた。ここだ」
ここまでずっと鼻くそをほじっていた輪者が久しぶりに口を開く。傍から見たらずっと鼻くそをほじっている奴がいたらシュールに思えるだろうが、当事者である俺の恐怖心と緊張感はまったくもって和らがない。
俺の心の準備なんて待たず、輪者は鉄扉をゆっくりと押した。
扉の先へ、俺たちは足を踏み入れる。
中は室内球技のコートが2つは用意できそうな広さの空間だった。ここも変わらず暗く、どこからかコードを引っ張ってきた間接照明の明かりだけがほのかに灯っている。そして――――
――そこには幾人かの人間がいた。
皆、部屋の壁際の方で静かにしている。気だるげに寝転がる者や、壁に寄りかかって手元でなにかをいじっている者。小椅子に座って本を読んでいる者。こっちを見ている者とそうでない者。顔にガスマスクを着けている者など、様々だ。10人ほどが各々の過ごし方をしている。
だがいずれにせよ共通しているのは、誰も口を開いたり騒いだりは一切していないという点だ。やっと人に会えた安心感と同時に、人がいるにしてはあまりにも静かなその空間にまた違った意味で不気味さを覚えた。
この人たちが前世が動物の、人類敬愛派の輪者、なのだろうか。
「ボスに顔を見せよう。ボスの部屋はこっちだ」
鼻くその輪者が口を開く。正直この空間に居心地の悪さを感じていたから、早急に移動させてくれたのはありがたい。
広間を横断し、その先の扉を開くとまた廊下があった。こっちの廊下はある程度照明がしっかりしており、蛍光灯は若干暗いがしっかり灯っている。
廊下の左右には扉が何枚もあるが、それらはすべて素通り。一番奥の突き当りの扉で立ち止まる。扉は高級感のある木製で、他の扉は片開きなのにそこだけは両開きだ。
「準備はいいか? ボスは人を睨む癖があるけど、あんまり怖気づくなよ」
ここまで一度も心の準備なんてさせてくれなかったこいつが、ここにきて急にそんなことを言う。余計に心が乱れる。
「あと、なにがあっても殴りかかったりすんな。痛い目に合う」
「えっ?」
こんな場所で誰かに殴りかかる度胸なんてない。ましてや組織のボスになんて。なんでそんな忠告をするんだ。
「じゃあ、行くぞ」
「いや、ちょ――」
俺の心の準備はできていないどころか、乱れに乱されまくった状態で、
――コンコンコン
扉をノックする。
「失礼します」
扉は開け放たれた。
「――ま、待ってください!!」
扉の向こうから女性の声が飛んできた。切羽詰まって、なにか揉めているようだ。
鼻くその輪者はお構いなく入室し、俺も後に続いた。
部屋の中は、無機質な黒い石の壁。天井も床面も同様。ここも壁際に置いてある間接照明しか光源がなく、部屋の中央に行くほど薄暗い。
正面奥にはあまりにも大きな黒い岩の玉座がある。どんなに大柄な男でも身に余るサイズの玉座。そこに、細身で小柄な男が腰を下ろしていた。
男は片足を片膝に乗せ、玉座の肘掛けに肘を置いて、頬杖をついて座している。オレンジの短髪で、体の線は細い。黒いワイシャツを着ており、黒い細身のズボンにしっかりとしまっていて几帳面な印象を受ける。針金のような軸の細い眼鏡をかけており、歳は決して若者とは言えそうにないが、かと言って間違いなく中年ではない。30歳過ぎあたりだろうか。
小柄で細身の男だが、鋭い眼光とその出で立ちが、いくつもの修羅場を切り抜けてきた者の貫禄と気の強さを体現している。前情報通り、入室した俺たちを睨みつけている。間違いなくこの人が人類敬愛派のボスだ。
玉座の左右には、長身の女性と大男がそれぞれ立っていた。
ボスの右にいる女性は、女性にしては背が高く、俺よりも高いかもしれない。腰まで届きそうな綺麗な黒髪。大人っぽい落ち着いた雰囲気ではあるが、俺の通う高校のセーラー服を着ている。多分3年生だ。
左にいる大男は縦にも横にも大きく、北欧神話の巨人のようだ。太っているというわけではなく、ガタイのいい広い肩幅と圧倒的な身長。もう少し大きければ巨大すぎる玉座にもちょうど良く座れそうだ。
薄く髭を生やし、ボスと同じ色の無造作に伸びたオレンジ色の髪。顔の彫りは深く、もしかしたら日本人じゃないのかもしれない。彼の着ているロングコートのフードについたふさふさのファーが、まるでオスライオンの鬣のように見える。
そんな3人の前には、地面に女性が座り込んでいた。
「やめてくださいッ! せ、せめて、この子だけでも助けてください!!」
入室した際の声はこの女性のものだった。ひどく怯えていて、焦り、憤り、されど何かを守る女性の信念も感じる。
――なにか、嫌な予感がした。
部屋の照明が暗くて中央の地面にいる女性はあまりよく見えなかった。改めてよく見てみるとその女性は――――俺が川で助けた妊婦だった。
「ダテマから君の話は聞いている。我々は人類擁護のための輪者の派閥。人類を愛し、人間社会の平穏のために戦う。ダテマに目を付けられ、ここに連れてこられたということは、君は人類のために行動し、人類を守りたいという考えの持ち主で間違いないのだろう」
ボスは、俺に話しかけていた。地面に崩れ、懇願する女性をいない者かのように扱って。
「どうだ、私たち人類敬愛派の一員にならないか」
「…………えっと、あの……ていうかそこにいる女性は……?」
ボスの話なんてまったく頭に入ってこない。だって、気づいてしまったから。川で溺れていた妊婦に、俺が助けた時には明らかになかったはずなのに、露出した手足に夥しい数の生々しい傷が刻まれていることに。
「あぁ、この女は我々人類敬愛派に仇を為す派閥、『人類殺戮派』に内通していた女だ。故に生かしてはおけない――――やれ」
ボスが誰かに命令する。部屋の隅にいた男が動き出した。長い木の棒の先に包丁の柄を巻き付けた道具を片手に、女性に近づく。
「――おッ、お願いです!! わた私はッ、私はどうしようもない人間だけど……この子に罪は――――」
――ドッ
木の棒の先の刃物が、女性のお腹に突き刺さった。大きく膨らんだお腹に。
女性は声を上げなかった。うめき声一つこぼさなかった。ただ、静かにその場で俯いている。
包丁が乱雑に引き抜かれる。女性は人形みたいにその場に崩れる。
世界から音が無くなってしまったみたいだった。俺は初めて、人が命を落とす姿を見た。
音が無くなったはずの世界で、俺の心臓の鼓動だけがうるさく響き始める。顔から血の気が引いているのが自分でもわかる。動悸は酷くなっていく。
ボスは極めて冷淡に口を開いた。
「この組織も人手不足が深刻でな。そういうわけで、これからよろしく頼むよ」
鋭い眼光。姿勢ひとつ変えずに俺を見ている。
有無を言わせぬその姿に、俺は何も答えられなかった。




