25.嫉妬に揺れる心
「ノエル様の心に、まだ私はいるのかな……」
エリアナ嬢に手を振って、応接室を出た時。締め切る前のドアの向こうから、そんな独り言が耳を掠めた。
今、もう一度このドアを開けて「いるに決まっているでしょう」と言えたら、どんなに良いか……。
一年、そう言ったのは自分なのに、まだ三ヶ月も経たない時間経過の遅さに苦笑いが出てしまう。
「今すぐにでも――」
思わず口を押さえた。
それじゃ、約束違反だ。焦らないと決めたのに、いつもエリアナ嬢を前にすると、抑えるのが必死なんだ。
さっきだって――
「可愛いですね」
思ったままを口にしたら、頬を染めるエリアナ嬢があまりに可愛くて……思わず手を伸ばしてしまった。
ぎゅっと目を瞑った彼女を見て、少し冷静になったおかげで、頭を撫でるなんて行動に移れたけど。もしも……もしも、そのまま見つめられてたら――
「……どうしていたんだろう」
もしかしたら、頬に触れてたかもしれない。
もしかしたら、髪に触れてたかもしれない。
……ダメだ。どんどん欲が出てしまう。
頭を横に振って、邪神を祓いながら公爵邸から出てくると、庭いじりをする公爵夫人が頭を下げた。
「ランドアーク卿、もう帰ってしまうの?」
「はい。今日お伝えする内容は、終わりましたので」
「いつも娘を気遣ってくれて、本当にありがとう」
「いえ、御礼を言わなければいけないのは、僕の方です。いつも新しい気付きがありますから」
笑顔が、やっぱりエリアナ嬢に似てる。
気さくで、いつも新鮮な野菜や、一人暮らしの僕に丁度良い量の料理を持たせてくれる。
「あの子がね……本当によく笑うようになったの。王都で何があったか、聞いてはいないけど……きっと何か辛いことがあったのだろうって、心配してたのよ。だけど――」
婦人が、日除け用の帽子を取って。
「貴方といる時のエリー、とても可愛いでしょ?」
「……っ、は、はい」
「ありがとう。あの子に幸せを分けてくれて。貴方たちの幸せを、祈ってるわ」
「僕は……エリアナ嬢が笑ってくれれば、それで……」
ふいに下を向いた時、婦人が近付いて一言。
「押してダメなら、引いてみろ……よ」
と、ウィンクをした。
それだけ言って、再びジョウロを片手にまた庭園へと歩いていく。
「押してダメなら……引いてみろ?」
そうは言われても……僕の恋愛経験は、かなり乏しい。恋の駆け引きなんて出来るはずもない。ただ、人生の先輩のアドバイスが絶対なのも知っている。
このアドバイスを意識したせいか、僕の行動は三歩くらい引き気味になった。
公爵邸を訪れる頻度を減らし、会ったとしても必要最低限のやり取りに留め、こないだのような距離感に決してならないよう注意を払った。
それを意識し始めてから、どれくらい経っただろうか。港で、商談をしている僕の元に、エリアナ嬢がやってきた――
***
馬車を停めて、港町に降りた私は、商談をしているというノエル様を探した。お父様曰く、往来する船の上陸許可証を発行する建物だと言う。
あんなに頻繁に訪ねてくれてたのに、最近は忙しいのか、あまり会えていない。会ったとしても、すぐ帰ってしまう……。でも、結局引き止められない自分に、いつもモヤモヤしてた。
それならいっそ、自分から会いに行こうと、管理台帳をバッグに入れて馬車に乗ってきて、今に至る。
「どこにいるのかしら――あっ! ノエ……」
ノエル様を見つけて、近付いた時。
私の知らない女性と話しが弾んでる様子で――
「そういう事ですね。とっても分かりやすいです」
「今度、もう一つの資料も用意しておきます」
「わぁ! 嬉しいっ。ランドアーク卿って、お優しいですよね。気遣いも出来て、優しくて――」
「いえ、そんなことは……」
あんなにノエル様と関わってきたのに、まるで私の知らない表情をしているように見えてしまう。照れ笑いするその笑顔に、胸がズキンと痛んだ。
このままじゃ、聞きたいことも聞けない。
「エリアナ嬢?」
馬車に戻ろうと振り向く前に、ノエル様に気付かれてしまった。
「どうして、ここに」
「……こちらの方は……?」
「あぁ、紹介しますね。この先にある六番商会のミレイヤさんです」
「ミレイヤと申します。いつもランドアーク卿にはお世話になっていて」
にこやかに頭を下げるその女性に、私は遅れて礼を返した。
「ヴィルローズ公爵家のエリアナです」
「まぁ……! 噂は伺っております。とてもお綺麗な方だと」
「そんな……」
和やかに会話が進んでいくのに、胸の奥だけが取り残されたように、じわじわと重くなる。
"誰にでも……優しいのが、ノエル様の良さ……"
「エリアナ嬢、どうかされましたか?」
「いえ……あの、帳簿で少し分からないところがあって……」
本当は、そんな理由じゃない。
「でしたら、後ほどお伺いします」
迷いのない返事。
以前なら、「今すぐ見ましょうか」と言ってくれたのに。なんて、自分で自分の首を絞めるだけ。
「……お忙しいようでしたら、結構です」
思ってもいない言葉が、口をついて出た。
一瞬だけ、ノエル様の表情が揺れた気がしたけれど。
「いえ、仕事ですから。必ず伺います」
きっちりとした距離を保ったままの声音に、胸が締め付けられる。
「……そう、ですよね。失礼しました」
それ以上、何も言えなくて、軽く頭を下げてその場を離れ。背中に視線を感じた気がしたけれど、振り返る勇気はなかった。
ノエル様が、他の誰かに向ける笑顔が、こんなにも気になるなんて……。
「……最近、来てくださらないのは――」
ぽつりと零れた言葉は、誰にも届かないまま、潮風に攫われていった。




