24.日常の気付き
私の生活が、ノエル様で彩られていく。
朝、目を覚まして――
今日は来てくれるかしら、なんて考えてしまう自分に、少しだけ驚く。ほんの少し前まで、何も考えないことが救いだったのに。
今は違う。
やるべきことがあって、会いたい人がいる。
それだけで、こんなにも世界は変わるものなんだ。
領地に戻った私に与えられたのは、港町の帳簿整理と、商人たちとの簡単な折衝だった。
「無理はするなよ」
お父様はそう言ってくれたけれど、首を横に振った。
「私に出来ることを、やらせてください」
過去は消えない。
それでも……前に進むことは出来るはずだから。
学園の勉強とはまるで違う、生身の数字に苦戦する日々の中で、時折訪れる――
「また来てしまいました」
ノエル様の、この笑顔に救われる。
仕事の話をしたり、港の様子を教えてくれたり。時には、他愛のない会話で笑い合ったり。
約束通り、ノエル様が、この距離を詰めすぎることはない。
けれど――
「今日は、調子が良さそうですね」
ふとした瞬間に交わる視線や、何気ない一言に、心が揺れる。微笑む顔に、胸が少しだけ高鳴るのを……もう隠せない自分にも気付いてる。
まだ、あの約束から三ヶ月も経ってないなんて……そんな風に思える自分が、愛おしく感じれるようにもなった。
「こんな時間が……ずっと続けば良いのに」
「続きますよ」
何気ない独り言を、いつもソフィが拾ってくれる。
「もうすぐ、ノエル様とお約束の時間ではありませんか?」
「えぇ。新しい帳簿で分からないところがあるから、教えてもらう約束なの」
「いつも通り、応接室に通して宜しいんですよね?」
「お願いね」
前に一度、自室へ入ってもらったこともある。けれど、今はそんな軽々な振る舞いは出来ない。互いの関係性を理解してるからこそ、マナーは守らないと。
「一年も待てないのは、お嬢様じゃないですか?」
「……怖いに、変わりないわ」
「お嬢様……」
心躍ったって、震えたって……ノエル様を傷付けない保証は、どこにもない。
切ない気持ちで窓の外に目をやれば、丁度ノエル様が馬で駆けてくるのが見えた。何だかんだ感傷に浸ったって、嬉しいものは嬉しい。
「ソフィ、行ってくるわね」
「行ってらっしゃいませ〜……行っちゃった。やっぱり恋は、人を変えますね。お嬢様……ファイト!」
いつものように応接室へ通し、お気に入りの紅茶を出す。たったそれだけのことが、とても嬉しい。
「ここ……この数字、合わない気がします」
机に広げた帳簿を覗き込みながら、ノエル様が少し身を乗り出した。
「どれですか?」
「ここです。前日の分と……」
指差した先を辿るために、近づいたせいで、ふわりと香る柔らかな匂い。
意識してるつもりじゃないのに、説明してくれるノエル様の言葉が、どんどん耳を通り抜けてしまう。
「エリアナ嬢?」
「えっ、あ、はい……すいません……」
「……近い、ですよね」
「すいません……」
一歩下がろうとした時、ノエル様が私の腕を掴んだ。
「このままで構いません」
「その……集中できなくて――」
「それは、意識してくれてる。そういう事ですよね? 慣れていきましょう。でないと、教えられません」
「は、はいっ」
クスッと、ノエル様が笑った。
揶揄われているのだと気付いて、顔が真っ赤になった私に「可愛いですね」と覗き込む。
「ですが……」
「ですが?」
「あまり可愛いと、僕の理性が保てません」
伸びてきたノエル様の手に、思わず目を閉じたけど「帳簿整理、よく頑張りましたね」って、優しく頭を撫でてくれただけ。
「こんなに短期間で整理を熟すなんて、やっぱりエリアナ嬢は適性があります。また分からない部分があれば声を掛けて下さいね」
「……はい。ありがとうございます」
「今日は、ここまでにしましょうか」
いつもより早めに切り上げられた、束の間の時間。
もっと一緒にいれたら良いのにな……なんて、烏滸がましいかな。
「……そんな寂しそうな顔、してくれるんですね」
「そ、そんな顔して……ましたか?」
「都合の良い解釈、でしたね」
自嘲した笑みをしたまま、手を振って部屋を出て行ってしまう。言いたい言葉があるはずなのに、やっぱり一歩が出なくて……結局追いかけることは、出来ないんだ。私の、意気地なし……。
「ノエル様の心に、まだ私はいるのかな……」
一人、広げた伝票を直しながら、そんな言葉が漏れてしまうんだ。




