20.彼女を守る場所
ヴィルローズ領は、王都から馬車で三日ほどの距離にある。
王都に次ぐ華やかさを持ち、豊かな港と広大な麦畑を抱えるこの領地は、王国でも有数の交易地だ。輸出入の量は年々増え続け、外交官の配置が必要だという話も以前から出ていた。だから……これは決して不自然な辞令ではない。
受け取った推薦状を改めて見つめるが、そこにある署名は、やはり見間違いではない。
マグノリア・ベルグランド――王太子妃の名だ。
「……敵いませんね」
思わず、苦笑が零れた。
あの方は、全て分かっていたのだろう。
エリアナ嬢が領地へ戻ることも、僕の本質的な気持ちも。
窓の外では、出発の準備を終えた馬車が静かに待っている。
外交官として赴任するだけだ。そう言い聞かせれば、誰も疑いはしない。
だけど……王家のためでも、国のためでもない。
ただ、壊れてしまったブレスレットの欠片を握りしめて泣いていた彼女の姿が、どうしても頭から離れない。出来ることなら、彼女の本当の笑顔を見てみたい。そんな欲が、僕の心を占めているから。
「ランドアーク卿、そろそろ出発の時間です」
「あぁ、今行く」
エリアナ・ヴィルローズが生まれ育った場所――
その地で、僕はもう一度……彼女に会いたい。
***
「お嬢様、支度が整いました」
「準備を任せきりにして、ごめんね」
「いいえ、これが私の仕事ですからっ」
「家族と離れてしまうでしょう。王都に残っても良いのよ?」
「私は、お嬢様の側から離れるなんて考えられません! お願いですから、連れて行ってください」
「ふふっ、願ったり叶ったりよ」
玄関先に積まれたトランクケースを眺めて、改めて領地に帰るんだと実感が湧いてくる。
最後にノエル様へ挨拶くらい……と思ったけれど、部署が変わるとかでバタバタして結局会えず仕舞いだった。
「お礼くらい……したかったな」
「ん? 何か、仰いましたか?」
「え、ううん。何でもない」
ブレスレットのお礼も。それに、ダンテの件で助けてもらったお礼も――結局、何も言えないまま王都を去るなんて。失望されても仕方ない、よね。
「そう言えば、旦那様から聞いたんですけど。貿易拡大に伴って――」
「ソフィ〜、こっちの荷物も手伝って〜」
二階の窓からソフィを呼ぶメイド長の声に、慌てて走って行った。
貿易拡大の件ならお父様から聞いている。これでも、学園での成績は良かったし、お手伝いが出来るならやってみたいと話もしてる。手に職をつければ、きっと未来だって広がるはず。
人生……何が起こるか分からないって、私が一番知ってる。
お父様が手を振る姿を目に焼き付けて、馬車は長い長い旅路を進んでいく。
――――――
「弟のライアンは、元気かしら……」
「きっとお嬢様にお会いしたら、大喜びしますね」
「……だと良いな。お土産も沢山持ったし、今までの分も合わせて、いっぱい遊ぶわ」
窓の向こうに見える、キラキラ光る海がとても懐かしい。
幼い頃は、波に足をつけて遊んでたっけ……。
「港町に寄りますか? もしかしたら新しいお店がたくさんあるかもしれませんよ」
「……そうね。久しぶりに歩いてみたいわ」
どんどん海が近くなり、往来する大型の船も見えるようになってきた。人の賑わう声も、なんだか嬉しく感じる。
ライアンは、両親の意向もあってあと数年は領地にいる。それは、街の人に触れて感じて、ここを心から愛してほしいと願いが込められている。大きくなった時、この船も街の活気も守ってほしい……領主として一番大切なものを学んでる。
「さぁ、お嬢様。到着しましたよ」
深めの帽子を被って降り立った港町は、多くの人が行き交う活気に溢れた場所だ。威勢の良い掛け声、はしゃぐ子ども、他国の衣装を商人……思わず目一杯の深呼吸をした。
「気持ち良い風ね」
「本当ですね〜心が落ち着くようです」
「久々に屋台のご飯、食べたいな」
「良いですね! 行きましょう、行きましょう」
人混みに紛れて、良い香りが集まる広場までソフィと歩いていく。
広場の中央にある噴水を囲むように並ぶベンチに座った。ソフィが、色々買ってきてくれるという。その言葉に甘えて、王都よりも強く感じる対太陽の光を浴びるように、空を見上げた。
“ノエル様へのお礼の品、何にしようかしら……“
腕に付けたロイヤルブルーのブレスレットに触れながら、そんなことを考えた。
***
あ、暑い……。
王都から遥々、三日の道のりを経て辿り着いたが……港町の気候は随分と夏模様に近い。
外交官が集まる貿易管理本館に行く前に、港町を偵察しようと思ったが……想像以上に賑わう様子に驚いた。活気に溢れ、商人の姿も多い。
しかも、空きっ腹にこの香りは反則だ。目線の先に見える屋台の列に足を向け、大きな噴水の広場を抜けていく。
“広場にベンチ……エリアナ嬢は、もうこちらに着いているんだろうか“
キラッと、青い光が視界の端で揺れるような気がした。
――気のせい、か。
屋台で食事を決める僕の後ろで、まさかエリアナ嬢の侍女が手いっぱいの食事を抱えて歩いていたなんて、この時の僕は思いもしなかった。
ここで再会出来ていたら――
もっと早くエリアナ嬢に会えていたら――
こんなにも遠回りせずに、済んでいたかもしれない。




