19.未来への一歩
「殿下、例の件ですが……」
少し開けた扉から、調査を頼んだ側近が顔を出した。
なぜ堂々とここまで入ってこないか、全く不明だ。
「どうだった。早く教えろ」
「それが……ヴィルローズ公爵家のエリアナ嬢は、領地に戻られるそうです」
「……は?」
「準備を進めており、直接お会いすることは出来ませんでした……」
ここ数週間、金曜日にあの部屋に行っても、エリーが来ることはない。
強引に傷つけてしまったことを詫びたいのと同時に、会ってもう一度やり直したいと伝えたい。だから側近に頼んで、手紙を持たせたのに、この有様だ。
「もう良い。僕が直接、自分で渡す」
「で、殿下……」
「――お待ち下さい」
側近の後ろから、不意にマグノリアが現れた。
「い……いつから居たんだ……? もしかして――」
「はい、全部聞いておりました」
堂々と中に入ってこなかったのも、マグノリアと通じてたからなのかと、側近を睨みつけた。
「彼女は、もう貴方には会いません」
「なっ……」
「良い加減、彼女を解放してあげてください」
「お前に俺の気持ちが――」
――パチーン!
廊下まで響く、平手打ちの音。
自分の身に何が起こったか、頭が追いつかない。頬に感じる、ジーンとした痛みとマグノリアの怒りに満ちた瞳だけが物語っているようで――
「まだ、分からないのですか!? 貴方のそれは、愛ではありません。ただの身勝手な独占欲だと、いつになったら気付くのですか」
「身勝手……?」
「これから人生を歩む彼女が、一生消えない傷を貴方が付けたのです。貴方が彼女の人生を壊したの」
「…………」
「そして、私は貴方の妻……王太子妃です。王家の名を汚す事は、例え夫であったとしても許しません」
「マ、マグノリア……」
「貴方を見放したりしません。お腹の子も目一杯愛します。だから……いつか私をもう一度見てくれる日を待ちます。貴方を……愛しているから」
金曜日の約束も、ロイヤルブルーのドレスも――それに囚われていた自分が、少しだけ遠くに感じた。
お腹を摩るマグノリアの、なんと切なそうな顔が、無性に胸を締め付けた。確かに義務的な夜伽で授かった子だけど、いつか自分の背中を追う王子かもしれない。そう思ったら……冷静にならざるを得ない自分がいた。
ただ一言。
「……すまない」
それだけ伝えて、椅子に崩れるように座ったのだった。
***
『それが……ヴィルローズ公爵家のエリアナ嬢は、領地に戻られるそうです』
報告書を抱え、扉の向こう側から聞こえた。
……王家と国のために、自分が出来ることをしようと足を踏み入れたけれど、いつしか、それを切り離しても彼女を守りたいと思うようになっていた。
だから、似合うだなんて口実でブレスレットを渡し、強引な婚約の話しにも割って入った。
きっとエリアナ嬢は思ったはずだ。
これから背負っていく傷を、伴侶となる相手に伏せて一生涯を共にするなら、一人の方がマシ……だと。
それなら、領地で慎ましやかに暮らした方が家族のためだと思ったかもしれない。罪を背負った彼女が、幸せになれる道など……もう残っていないとでも思ったのだろうか。
「いつから、こんなに――」
彼女のことばかり、考えるようになったのだろう。
これじゃ、まるで……
「恋、してるみたいですね」
「……え?」
扉に構える護衛の一人が、殿下と妃殿下のやり取りを聞いて言ったらしい。自分の心を読まれたのかと……変な声が出た。
側にいて欲しい。
隣で笑っていて欲しい。
そう思う気持ちが、恋というならば……僕は――
「結局、好きなんですよ。だって、夫婦の契りを大切にする国、ですもん」
……またしても、護衛が染み染み言った。
そうですね、と相槌だけ打って、報告書を持ったままその場を離れた。王太子夫妻なら、此度の件も乗り越えて二人で歩んでいけるだろう……なんて偉そうに思ったりもする。
愛を知らない自分に言われても、何の説得力もないんだろうけど。
――領地に戻る……。
今、無性に――会いたい。
「あっ、いたいた。ランドアーク卿、長官がお呼びですよ。急ぎ、お戻り下さい」
「何か、あったのですか?」
「辞令らしいですが、内容までは……」
「そうですか。すぐ行きます」
こんな中途半端な辞令が出るのは、珍しい。
「コラント長官、辞令と言うのは……」
「すまんが、ヴィルローズ領の貿易拡大に伴って主席外交官を探していてな。君はどうかと、推薦があったんだ。忙しくはなるが……国一番の輸出入がある。やり甲斐はあると思うぞ?」
誰がそんな推薦を――
長官の机に置かれた推薦状を見て、ハッ……とした。
“マグノリア“
妃殿下の署名が、見えたから。
「コラント長官、行きます。行かせてください」




