10.現実で事実
「安心してください。僕は、告発するつもりはありません。ただ、この恋が貴女を壊すことだけは間違いない」
どうして、あの日あの場所にノエル様がいたの?
まるで全てを知ってるかのような口ぶりで、最後に言った。
『その涙を拭えるのは、彼ではありませんよ』
そんなの……私が一番よく分かってる。目が覚めればもう隣にいなくて、いつだって突きつけられる。いくらベッドの上で愛を囁いたって、心が満たされるのは、ほんの一瞬だってことくらい……分かってるのに。
それでも、同じ時間同じ場所に、どうしても会いたくなる。
腕枕をしたアレクが「卒業パーティのドレスは、僕が贈りたいな」って、言ってくれた。王城のホールで行われるから、またそこで会えるねって……笑ってたけど、私は……どこまで寄りかかれるんだろう。
自分の恋人と、言えない関係を終わらせる方法を、私は知らない。
「お嬢様、少し顔色が悪いですよ?」
「ソフィ……私、どうしたら良いんだろう……きっとこのままじゃ、全員不幸になる」
「お嬢様……」
「こんなに好きなのに、どうしたら良いか分からないの」
「……実は、旦那様からこちらを預かっておりまして」
少し大きめの封筒には、何も書かれていない。
「今日の午後、この書類を旦那様のいらっしゃる部署に届けてほしい、との事でした」
「どうしてお父様は、わざわざ私に託すの? 自分で持っていけば――」
……もしかして。
今日は、金曜日……いつもアレクと会う日にわざわざ私に用事を頼む理由は……まさか、ね。
「もしかしたら、王城でお会い出来るかもしれませんよ?」
「それは……ルール違反だわ。私が許されるのは、あの部屋だけだもの」
「……お嬢様の幸せが、私の幸せです。ですが、お嬢様が幸せかどうかは、お嬢様にしか分かりません。いつまでも、このままという訳にはいきません。ご自分の目で確かめるのも、一つではありませんか?」
ソフィの言うことも、ノエル様が言うことも正しい。
いつまでも、現実から目を背けて良いなんて、私も思ってない。
「……分かった。私、お父様に届けてくる」
「私も、入り口までは同行できますから……お嬢様を、待ってます」
「ありがとう、ソフィ」
馬車に揺られながら、街を行き交う人々を見て思う。
普通に出会って、普通に恋をして、結婚して子供が生まれて……年を取る。
どうして私には普通がないのか、なんて、自業自得なんだけどね。
――何度も見てるお城に、こんなに緊張したのは初めてかもしれない。自分のヒールがエントランスに響くと、余計に“来てはいけない場所“に来た気分になる。
それでも、コツコツと床を踏みしめてお父様のいる場所を目指した。
「お父様」
財務部と書かれた札と、お父様の名前が書かれた部屋を叩いた。
「おう、エリアナ来たか。ありがとう」
「では、私はこれで……」
「まぁ待ちなさい。今日ここに呼んだのは、会って欲しい人がいたからなんだよ――おーい」
まるで待ってたかのように、顔を出したのは、いつかの夜会で強引に腕を引かれた男性だった。
表情を崩さない努力はしてるつもりだけど、それでも引き攣ってしまいそう。
「こちら、アルヴィン伯爵家のダンテ君だ。エリアナの相手にどうかと、顔を合わせる機会を作りたかったんだよ」
「こんにちは、エリアナ嬢」
現実は、こうして首を締めにくるんだ。
好きになった相手の名前も言えない。特定の相手がいないと他から充てがわれる。その繰り返し……。
「お、お父様……今日は――」
「ダンテ君、娘を送ってあげてくれ。話も少しは出来るだろう」
「ありがとうございます、ヴィルローズ公爵。では、参りましょう。エリアナ嬢」
私の意に反して、扉が開けられた。
隣を歩いてほしいのは……貴方じゃない。
「すいません、今日は先に帰ります。さようなら――」
「お、おいっ!」
振り払うように駆け出した。
隣に誰かいるところなんて、見られたくない。結局、私にはアレクしかいない――
すれ違ったノエル様にも気付かず、出会い頭に誰かとぶつかって、そのまま転んでしまった。
「エリッ……アナ嬢!?」
「…………アレク……シス殿下」
逃げるように走ってきたせいで、後ろから聞こえる足音に、振り向いた。一緒にいるところなんて絶対見られたくない。
「アレクシス様、大丈夫でしたか?」
「あ、あぁ」
一瞬躊躇ったような曖昧な表情で、私に差し伸べた手を取ろうとした時――
見えてしまった。
お腹を愛おしそうに撫でる、マグノリア妃殿下を。
それは、地獄に堕ちる扉が開かれたような、鈍い音が頭に鳴った瞬間だった。
伸ばされた手を取ることは、もう出来ない。
これが、現実で事実。
「すいませんでした」
そう一言だけ残し、雨が降り始めたなんて知りもしない外に向かって、全力で走った。ソフィも馬車も過ぎて、雨の中をただひたすら進んで行くだけ。
こんなグチャグチャな感情で、ひどい顔して、どこに行く予定もない。金曜日だろうと何だろうと、関係ない。
「――待って!!」
掴まれた腕を振り払いたいのに、離してくれない。
「ノエル様、離してください!」
「離しません」
「もういや……どうして……どうして……」
「だから、伝えたではありませんか。その涙を拭えるのは、彼ではないと」
「ゔっ……ゔぅ……分かってるの! 分かってる! それでも……こんなに好きなのに……あぁぁぁぁー……」
空に向けた顔に、容赦無く雨が打ち付けて、嗚咽を上げながら思い切り泣いた。
泣いた分だけ楽になれるなら、いくらだって泣くのに。いくら泣いたって、楽になんてなれるわけない――
一緒に濡れるノエル様は、何も言わずにただただ隣にいる。
“傷になる“
ノエル様の言葉が、痛いほど刺さる。
だから、余計に涙が止まらなかった――




