第十九話
まだ、日が昇りきっていない島。
明人の言葉が、何度も頭の中で繰り返されていた。
『日夏ちゃんのご両親はいないよ』
『お父さんと二人で島に来たんだけど、もう一年も帰ってきてないんだ』
潮溜まりの前で足が止まった。
水面に、自分の顔が映っている。
「……自分が一番辛いみたいな顔しやがって」
その顔を踏みつけた。
水面がぐしゃりと崩れる。
家族が誰もいない苦しみなんて分からない。
昨日、俺は鎌倉にそう言った。
何も知らないくせに。
自分のことばっかりで。
「クソが……」
息を整え、また走り出す。
途中で、飛べばいいことには気づいた。
それでも能力は使わなかった。
久しぶりに走って、心臓が張り裂けそうだった。
脇腹も痛い。
それくらいでいい。
「はあ、はあ……どこだ、鎌倉……!」
海岸線に沿って走る。
普通に考えれば、海の近くに人なんていない。
怪物が出る。
危険なのは、誰だって分かっている。
それでも、初めて会ったときの鎌倉を思い出した。
誰もいない岩場で、俺の名前を叫んでいた背中。
「……まさか」
走る方向を変えた。
そして――
いた。
昨日、身体を洗った浜辺。
波打ち際に、日夏がいた。
「鎌倉!!!」
鎌倉が振り返る。
少し驚いた顔をしたあと、すぐにツンとした表情になった。
「……どうしたの」
前みたいには、笑ってくれなかった。
それでもいい。
「俺、謝りたくて」
「なにを?」
「ひどいこと言った。一生許されなくてもしょうがないことを」
「別に、そこまでじゃないけど」
「いや、ダメなんだ」
鎌倉の前まで行く。
膝をついた。
土下座して同情してもらいたいわけじゃない。
ただ、こいつより少し高いところにある自分の頭を、とことん下げなきゃいけない気がした。
頭を下げる。
「お前の家族のことも知らないで、あんなこと言ってごめん!」
「ゆ、許してあげるわよ。お前って言ったこと!」
「……ん?」
「……ん?」
顔を上げる。
目が合った。
「お前?」
「お前?」
数秒、沈黙した。
「なにそれ! 全然反省してないじゃん!」
「ち、違っ……え? それで怒ってたのか? お前呼びで?」
「それ以外、何があんのよ! しかもまた言ったなあ!」
「ご、ごめん! もう二度と言わないようにします! 鎌倉!」
鎌倉が腕を組む。
仁王立ちのまま、俺を見下ろしている。
「……」
「鎌倉?」
眉が動いた。
「……日夏」
「よろしい!」
一瞬で、いつもの顔に戻った。
「はあ、もういいよ。それで? さっき何謝ってたの?」
「……明人に聞いたんだよ。日夏の家族のこと」
「家族?」
「ああ。なのに俺、昨日あんなこと――」
「あー」
今思い出したみたいな顔をした。
「そのことね」
「そのことって……」
「一ミリも気にしてなかった」
「……は?」
「だって、家族がいない辛さなんて人それぞれじゃん。真理が辛いのと、私が辛いのは別でしょ」
あっさりと言う。
「それに、私もちょっと無神経だったかも。ごめんね」
「そんなことない。日夏は俺を励まそうとしてくれたんだろ」
「ううん」
即答だった。
「別に一緒にいたかっただけ」
「……そうか」
海の向こうから、朝日が顔を出し始める。
「なあ」
「ん?」
「どうして、日夏は俺と一緒にいてくれるんだ?」
「んー」
日夏は少し考えて、
「私、寂しがり屋なの」
笑った。
「……」
俯く。
「え、ちょっと」
「……」
「やめてよ。冗談だって。全然平気だから」
声が出なかった。
「え、泣いてるのー?」
「泣いてねえよ……」
「もー。二十歳の大人が、一個下に泣かされてやんの」
「……ん?」
顔を上げた。
涙が引っ込んだ。
「一個下?」
「うん」
「……一個下って」
嫌な予感がした。
「十九?」
「そうだよ」
「え」
日夏を見る。
制服を見る。
もう一度、顔を見る。
「じゃ、じゃあ、なんで制服着てんだよ!」
「ふふーん」
日夏がスカートの裾をつまんで見せる。
「コスプレだよ、コスプレ」
「…………」
「ちなみに避難してるからとかじゃないよ。外に出るときは、だいたいこれ」
「……無敵なのか?」
「無敵なのよ」
「……すげーな。ほんとに」
「なんたって、私は可愛いからね!」
胸を張る。
朝日を背負って、本気でそんなことを言っている。
もっと知りたいと思った。
どうしたら、こんなふうに笑っていられるのか。
「聞かせてくれないか?」
「なにを?」
「日夏のこと」
日夏は少しだけ目を丸くした。
それから、
「じゃあ、ちょっと話そ」
「いいのか?」
「いいよ。そんな爆笑するような話じゃないけど」
「普通、身の上話に爆笑求めねえだろ」
「えー、じゃあハードル下げといて」
日夏はそう言って、海岸沿いを歩き始めた。
俺も、その少し後ろをついていった。




